2004年の読書記録*7月



キリンヤガ/マイク・レズニック★★★★
ハヤカワ文庫
22世紀のはじめ頃、主人公の「コリバ」は自分たちの部族「キクユ族」のためのユートピア社会を求めて、ケニアからテラフォーム世界(宇宙に作られた人工の小惑星)「キリンヤガ」へやってきた。
ヨーロッパ人によって破壊された質素で牧歌的な生活を実現するために。
コンピューターで制御されたこの星で、コリバはムンドゥムグ(祈祷師)として伝統を重んじ、文明の悪影響から部族とユートピアを守るために人びとを導こうとして孤独な奮闘を重ねていく…という連作短編集。

コリバってひどいのだ!!
逆子で生まれた赤ん坊は「悪魔」として、その場で首をしめて殺す。
年老いて動けなくなった老人は、野ざらしにしてハイエナのえさにする。
文字を知りたい、色んなことを知りたいという子供の欲求を徹底的に退ける。
「あんた!!何様のつもり??」
と、腹を立てる読者も多いのではないだろうか?

しかし、過去の事を思うとただたんにコリバを非難するだけの気持ちにはなれない。
コリバは一切の文明を拒否した暮らしを住民に押し付けているが、それはコリバの考える「キクユ族」にとっての「最善」「最良」の暮らしなのだ。
アフリカでは以前、それぞれの部族がそれぞれの暮らしをしてきたが、ヨーロッパ人が入り込み文明をもたらし、部族社会を崩壊させ「ケニア」という国を作り無理やり自分たちを「ケニア人」にした。
そして、アフリカの自然も損なわれ、野生動物たちも絶滅していった。
地球が急速に絶望的な状況に向かっている今、もしも戻れるのなら…と、本当に「地球」のことを考えたら思うのではないか?
もしも時間が戻ったら、二度と同じ過ちは繰り返さない、そのためには…

うまく行くように見えた「ユートピア運営」だったが、次第に「知恵」を身につけて「反抗」していく住民たち。
一度身に付けてしまった知識はなかった事にはできないし、そこに「知っている」人がいたら自分も「知りたい」と願うのが人間だろう。
人間は進化する。
コリバのしようとした事はその「進化」との戦いだったのだろうか。
コリバを通して文明とか権力とか進化とか価値観(というよりも価値そのものを考える)などなど…問題提起して興味深い一冊でした。

くーのお母さんからいただきました。ありがとう♪



もの食う人びと/辺見庸★★★★
角川文庫
だいぶん前に、テレビのドキュメンタリーでこの「もの食う人びと」を見た。
そのときタイトルロールで原作があると知り、ずっと読んでみたいと思っていたのが、この度念願かなったということ。
テレビでは確か(このわたしの記憶なので怪しいけど)「アフリカの飢餓」「チェリノブイリの事故の跡地で暮らす人」「韓国の従軍慰安婦」などが取材されて放映されたと思う。
本書にもちろんそれらはインパクトのある話として登場するけど、ほかにも1冊の中に30くらいの紀行エッセイが書かれている。
著者、辺見さんは飽食に慣れきった胃袋をいじめる為に異郷に出かける決心をする。
日本にいつか「飢渇」の時代が来るのではないかという漠然とした不安を抱えて、1992年に世界各地を「食べる」ことで行脚した記録の書。

軽く「食べてみようか〜」という感じで食べて、書かれた文もあるし、現地の人の人生を垣間見ながらの「食」もあり、一口に「食べる」といっても千差万別な様子に引きこまれる。

たとえば、「食と想像力」の章。
日本で使われている猫用のペットフードはタイで作られている。
日本での市価は120円。しかし、あるネコ缶工場に勤めている女性の昼食代は日本円にして50円ほど。そして、日当は600円足らず(*物価の違いもあるそうだ)。
日本のペットの為に貴重な水産資源をむさぼり、安い労働力で加工させる。人間と動物の入れ替わった消費構造に反論が出始めている。
しかし、これを生活の糧としている人たちは社会問題として取りざたされて、生活に支障をきたすのは本意ではないらしい。
ネコ缶を通して「食」と「生活」に重い問題提起を投げかける。

また「ミンダナオ島の食の悲劇」では、元フィリピン軍の大尉に話を聞く。
ミンダナオ島の残留日本兵は現地の人たちを食べたのだそうだ。
村の人に、著者が話を聞くと誰もが肉親の誰かを食べられている、と言う。
「棒に豚のようにくくりつけられて運ばれた」と言う。
それでもその口調は激しておらず、静かに淡々と当時を語る。
食べたという、日本人のその後も書かれていて、戦争がもたらす悲劇を突きつけられた気がした。

食べずに生きていかれない。
いのちを「いただいて」わたし達は生きているんだと改めて思う。



穴 HOLES/ルイス・サッカー★★★★
講談社YOUTH SELLECTION
スタンリー・イェルナッツ4世は「あんぽんたんのへっぽこりんの豚泥棒のひいひいじいさん」のかけられた呪のせいで、いつもついてない。
まずい時にまずい場所に居合わせる、そのため盗んでもない靴を盗んだかどで「グリーン・レイク・キャンプ」という更生施設に入れられてしまう。
そこはレイクとは名ばかりの乾ききった広大な地面。そこを施設の子どもたちはひたすら掘らされている。所長は「それが根性を養うため」と言うのだが、なんだかわけがありそうだった。

スタンリーは、無実なのに何にも言い訳しないでこの矯正施設に入れられる。学校でも苛められていたけど、ここでもシンドイ思いばかり。
物語は、大昔、このグリーンレイクが満面の水をたたえていた頃の、スタンリーの先祖の話を織り込めながら進んでいく。
進むうちに何もかもスッキリとわかってくるという…。
そしてその途中で、スタンリーがどんどんたくましく変わっていくという、そんな物語。

これ、子供向けの本なので、小学校の高学年くらいからいけるのではないかと思う。
しかし、大人が読んでも楽しめる!
実はディズニー映画にもなっている。
映画を先に見ていたので、思い出しながら読んだ。原作に忠実に映画化してあるので、どちらを先にしても良いけど、どちらも楽しめると思う。
映画のほうの感想はこちら



ウィーンの密使―フランス革命秘話―/藤本ひとみ(再読)★★★★
講談社文庫
フランス革命もの(著者お得意)
主人公のルーカスはマリー・アントワネットのウィーン時代(子供時代)の幼馴染。
時はまさにバスチーユ陥落の直後、ルーカスは母国オーストリア皇帝の密命を受けて、このままでは王政の存続すら期待できないフランスの、王妃マリー・アントワネットの下にはせ参じた。
目的はマリー・アントワネットの軌道修正…そして、革命の阻止。
そこで20年ぶりの邂逅を遂げたルーカスの目に映ったアントワネットは、20年前のまま大人になりきれていないワガママで自己チューな「中年女」だった。
ルーカスは責任を感じる。アントワネットをそのようにしたのは幼い頃の自分であるかも知れなかったのだ。ルーカスは祖国オーストリアのため、アントワネットのため、なんとか革命を阻止しようと努力する。しかし…。

みなさん!!
とくに「ベルばら」ファンのみなさん!!
いまでも、あのアントワネット像が全てだと思っている方は、ひょっとして少ないかもしれない。
でも、やはり、アントワネットといえば真っ先に「ベルばら」を思い浮かべる人も中にはいらっしゃる事だろう。
しかし!
ここに描かれているマリー・アントワネットはそんなイメージを根底から覆し、アントワネット神話に鉄槌を下すでしょう。
本書は↓でご紹介する「マリー・アントワネットの生涯」(著者の歴史エッセイ)と、対を成す作品で、この2冊で「藤本さん、ひょっとして、I田R子さんにけんか売ってる?」と思えるぐらい正反対のマリー・アントワネット像を導き出している。
しかし、その説得力たるや往年のベルばらファンであるわたしを、そしてアナタを納得せしめるに十分なのである。
そこには、著者自信のアントワネットへの愛が見えるから。
決してこき下ろして喜ぶという気持ちからではなく、
「みなさん、真実に目を向けましょう!
ほんとはアントワネットはこんな事もしてあんなこともして、こんな人だったのですよ!
ね?ひどすぎるでしょ?でも、それは彼女だけの責任ではなかったのよ。
歴史的に彼女はまさに悲劇の女王だったのですよ。
ほんの少し、何かが違っていたらきっとあんな悲劇的な結末にはならなかったのよ。
そこんとこ、ただ盲信するだけではなくてちゃんと、ホントの所を探ってみましょう。
それが本当のアントワネットへの愛ではありませんか?」
という気持ちが溢れてるのだ。(特に「マリ・アントワネットの生涯」にそれは色濃く出ている)

歴史に「たら」「れば」があったらば…
主人公のルーカスは著者そのものだ。
この時代、もしも、自分がマリー・アントワネットのそばにいたら、こんな風に助言して、こんな風に軌道修正して、立憲君主制として王室を存続させ、国王王妃の断頭台もなしにできたのに…と言う無念。自分でなくとも誰かそんな人がいたら…。
バスチーユ陥落の後も、何度もチャンスはあった。
アントワネットさえその気になれば、国民を理解しようと努力して、国民の母としての自覚を持ち、フランスのために命を捧げる覚悟さえあれば、こんな悲劇的な結末にはならなかったろうに。

藤本さんはルーカスの口を借りてアントワネットにお説教し、かなわぬ夢を実現させようとしてみる。
でも、いくらルーカスや藤本さんが頑張ってみても、「結末」は歴然としてるのだから最後はひたすら悲愴だ。
ルーカスがあわれでならない。
革命とアントワネットの板ばさみになり苦しむルーカスはまるで「オスカル様」だった。(やはり、藤本さんもベルばらは好きなんでしょ〜?と思う)
かれとフェルゼン(これがまたバ〜カ!!)との対決も見ものなのだ。

そしてどんな風にアントワネットの実態が暴かれようとも、結局わたしのアントワネット像は「ベルばら」の彼女に戻っていくのであった…(苦笑)

ラムちゃんからお借りしました。ありがとう♪



マリー・アントワネットの生涯/藤本ひとみ(再々?読)★★★★★
中央公論社
↑でご紹介した「ウィーンの密使」の解説的な歴史エッセイ。
マリー・アントワネットの両親の性格や、育ってきた環境から、断頭台に消えた女王の全てを分析する意欲作だ。
「ベルばら」や遠藤周作氏の「王妃マリー・アントワネット」などは、アントワネットを思いっきり美化した作品で、だからこそ我々はのめりこむようにして読んだのだ。
悲劇の女王はかくあるべし!
そんな我らの要望通りのアントワネット像のほうが読んでて楽しいもんね。
実際、王室の革命中の逃亡劇だが、断然遠藤さんの書かれたものの方がドキドキハラハラ度が高いし。
もしも、中学時代とかにこの本を読んだら、ちょっと受け付けなかったかもしれないが(苦笑)今は冷静に読めたので、色んな発見がありとっても面白かった。
美化されたアントワネットの話にはあんまり書かれてない事が掘り下げてあり、ベルばらファンも一読の価値ありと思う。
フェルゼン伯爵なんてね〜〜…とか、メルシー伯なんてね〜…とか、ルイ16世もね〜…とかね(笑)

それにしても、一番思ったのは、やはり幼い頃からフランスに嫁ぐ事が決まっていたというのに、フランス語の習得さえもさせられなかったオーストリア王室の責任だな〜。
いくら「人を指に巻く」アントワネットだからといって、それを本人だけの責任にしちゃいかんでしょ〜!頂点に立つ事が最初からわかっていたのにそれ相応の教育を施す努力しなかった両親、ハプスブルグ家、責任取ったれ〜!!って感じ。
カラーの資料もたくさんついてて嬉しい一冊♪

ラムちゃんからお借りしました。ありがとう♪



蝦夷地別件 上下/船戸与一★★★★★
新潮社
フランス革命にヨーロッパが揺れる中、アイヌの対和人最終蜂起といえる「国後・目梨の蜂起」が起きる。
国後の中心的存在のツキノエ、その子どものセツハヤフ、そしてまたその子どものハルナフリという親子孫3代のアイヌを中心に、本国からやってきた謎の武士・葛西政信、薬学の心得がありアイヌのために療養所を作ろうとする清廉の坊主・洗元、どこかつかみ所のないこれも坊主清澄、そして、アイヌ北海道を手中に握る松前藩の番頭新井田孫三郎らの和人たちや、ポーランドの運動家マホウスキなど、複雑に絡み合いながら、「国後・目梨の蜂起」の全容を描く超大作。

アイヌのその後の事を考えれば、この蜂起の結末がどうなったかは、わかると思うのだけど、この物語はそこまでに至る過程とその蜂起の全容だけに留まらず、その後のアイヌや関わった人たちの顛末も描いていて、わたしとしてはむしろその「後日談」に面白さを感じた。
「事件」がおわっても、世の中は続いてるという…本のように実際にはすっきりとは終わらないということだろうか。

とくに、ツキノエというアイヌだけど、この人は歴史上はどういった位置付けの人なのか詳しくは知らないけど、本書の中ではそれはそれはすばらしいひとだ。
年が70を超えた老人なので、勇敢というよりもその聡明さが際立っていた。
私利私欲や功名心に走るのではなく、どんなときもアイヌ全体の未来のことを考えている。どうしても目先だけにとらわれがちなアイヌも多い中で、彼だけはほんとうに全体が「見えて」いるのだ。
見えすぎるゆえに、アイヌたちから浮いてしまうのだ。
そのツキノエの苦労や苦しみと、和人たちとの蜂起によって、アイヌの中が急激に変化して、信頼感がなくなり、身内同士でさえ争う事になる…というところが、心理的にも細かく描かれていてとっても読み応えがあった。
登場人物も多く、ストーリーも、アイヌ側だけじゃなくて和人側、そしてロシア(ポーランド)側と視点が多くて複雑なんだけどそれぞれがとっても魅力的に描いてあり、引き込まれた。
江戸末期、諸外国から開国を迫られ揺れる日本だが、世界もまた揺れていたのだ。その背景も織り込まれていて視野の広さもうかがえて、疲れるけど面白い。特にここに出てきたポーランド貴族のマホウスキ、この人の人生もそれだけでも読み応えがある。
いつのときも、日本人ってひどい事を…と、思うけど、結局「人として尊ぶ」という気持ちがないと、こういうことになる。日本人に限らず。
まーともかく、長くて難しい内容なので疲れたし、読後感は暗くて、虚しさが残るのだけど、「読み終えた!」という達成感があったかな(笑)でも、こういうのは好みなので。
T町図書館本



川の深さは/福井晴敏★★★★
講談社文庫
「亡国のイージス」を挫折してしまったわたしだけど、この本は最後まで読むことができた。
そして、面白かった。
ただし、やはりクライマックスのシーンでは文章を映像に変換するソフト下さい!と言う感じであったが。
こちらの物語は、現実に起きたカルト集団の地下鉄サリン事件を題材にして、実はこの事件はただのカルト集団が凶気の果てに起こした事件ではなく、その背後には…という、大胆な著者なりの仮説を織り込んだ力作だ。
「亡国のイージス」とよく似た点は、人物の組み合わせと言うか…。
屈折した冴えない中年と、陰ある謎の美少年スパイ…というか。
この「川の深さは」では、警備員をしている元刑事の桃山と、とある小競り合いのあった夜に桃山の所に逃げ込んできた一組の若いカップルが主人公。
人生をリタイアしたように暮らしている桃山が、かばうべく相手を授かったために「生」を取り戻して生き生きとしていく所がわたしは一番よかったかな。
かばわれていた保は、このとき同時に読んだマンガの主人公が、あまりにもしっくり来てしまって頭の中は少女漫画モードだった。と言ってもその漫画、とっても硬派なストーリーだったけど。
物語の中で、桃山と保が同じ場面にいるシーンはそうはないのだけど、保の登場シーンがいちいちドラマチック(漫画チック?)であったり、会うたびごとに二人の友情というか愛情が濃くなっていくのがわかって、このあたりは「男の世界にあこがれる女」殺しだなーとも思った。つまり、男の世界を描きつつ、それにあこがれる女心を鷲づかみにしてるというか。
このとき、文章が硬くて冒頭すこし、苦労したんだけど、「イージス」ではそういった苦労なく入り込めたのにな〜…。

お友達のぴょんさまからお借りしました。ありがとう♪



2004年の読書記録*6月



ファイアスターター/S・キング★★★★
新潮文庫 上・下
ロト・シックスという実験を受けたために、アンディには不思議な力が備わった。 対象となる人の思考を、自分の思うように変えられるのだ(おおむね) それを、アンディは「押す」という。
同じ実験を受けたヴィッキーという女性(彼女は小さなテレキネシスの力が備わった)と結婚して、二人の間に生まれたチャーリーは、大きな力を持っていた。
それは念力放火のちからだった。彼女は偉大なファイアスターターだったのだ。

タイトルからすると、少女チャーリーが主人公のようだけど、わたしはその父のアンディが主人公だと思った。
実験をした政府機関≪店≫は、アンディたち一家を執拗に追いつづけ、いつかは恐ろしい能力を持つチャーリーを闇に葬ろうとしている。
妻のヴィッキーはすでに殺されてしまった。
逃げる親子、追う≪店≫。
その攻防がストーリーの大きな見どころだろう。
特に下巻の、親子2人が≪店≫に捕まってから、引き離されて監禁されてる時の緊迫感溢れる展開は、一気読みさせられる迫力。
父親アンディの、娘を思うゆえの頑張りが胸に迫る。
ただ、突っ込ませてもらうと、捕まった時点でなぜ、チャーリーは「ちから」を使って逃げようとか思わなかったのか?いつでも、その「ちから」で「敵」をやっつける事が出来たはずなのに。
しかし、それがキングのうまい所で、チャーリーが心理的にちからを使わないように縛られていると言うことを、言わば上巻で長々と説明しているような部分もあり。
アンディの「押すちから」は、自分の身をすり減らして使うが、チャーリーはいとも簡単に爆発的な力を出す事ができる。能力的には断然チャーリーのほうがすごいのだけど、父親の能力があれば、何でもできる気がする。人を操る力さえあれば、爆発的なチャーリーのちからもコントロールできるのだから。
チャーリーのその後が気になる。
なぜ、これに続編がないのか??
はなちゃんにお借りしました。ありがとう♪



マリー・アントワネットの首飾り/エリザベス・ハント★★★
新潮文庫
同タイトルの映画のノベライゼーションです。
フランス革命の火付け役の一端をになったと言われる、「王妃の首飾り事件」。
今まではどちらかと言うと、その犯人ジャンヌが徹底的な「悪」として描かれていたが、今回はジャンヌの「ヴァロア家復興」という切願が軸になっている。
「ベルばら」でもおなじみのレトーがここではジャンヌの同士であり、恋人であり、唯一の理解者となって登場。
映画でもわたしはこのレトーが一番のお気に入りだったのだけど、本になってもやはり、レトーがよい。
最初はチンケなプレイボーイだったが段々と本気でジャンヌを愛してジャンヌのために尽くそうとする姿が印象的だ。
でも、型やジャンヌはというと、相変わらず自分の家柄の事だけを思っているのがどうも、自己チューに見えた。
本当に大切な物って何なの?
レトーと一緒に地道に幸せを築いていくと言う選択肢はなかったのか?
と、説教したくなった。

らむちゃんにお借りしました。ありがとう♪



幽霊人命救助隊/高野和明★★★★
文芸春秋社
高岡裕一は受験を苦に自殺した。「そこ」で出会ったのは3人の自殺者たち。24年前に死んだ暴力団親分の八木、約20年前に若くして死んだ美晴、バブルのころに死んだ会社経営者の市川…。
そこに神様がやってきて、「自殺しようとする者を100人助ければ天国に行ける」と言う。
そこで、4人の「幽霊人命救助隊」が出来上がった。

面白かった!さすが「13階段」の高野さん。と言う感じ。
正直言うと最初は「これが高野さん?」と思ったんだけど…(笑)でも、読み進めるうちに引き込まれた!

まず、最初の発想はなんとなく「カラフル(森絵都)」を思い出したり、彼らは生きた人間にコンタクトは出来ないのだけど、その内面に入り込んで「モニター」する事ができる、そのあたりは「七瀬シリーズ(筒井康隆)」を思い出した。
そして、どうやって自殺志願者を助けるか?
「専用メガホン」があって、それで話し掛けると生きた人間になんとなく伝わるのである。
自殺した人間だからこそ、自殺の「罪」が、わかるのかも知れない。「経験」を生かしたりしながら一生懸命に自殺を思いとどまらせようと説得する4人の姿が、ユーモラスでありながら胸を打つのだ。
自殺した後悔や、残された者の悲しみや辛さを感じる事で、命の大切さを訴えて、真摯で前向きなストーリーである。

ところで、私が面白かったのは「メガホン」だ。
私たちもふっとなぜかわからないが急に気が変わったり、忘れ物を思いついたりすることってあると思うのだけど、これって、耳元で幽霊たちがメガホンを持って「忘れてるよ〜!!」と、訴えてくれてるのかも知れないぞ!なんて、思って面白かった(笑)
中盤、同じような展開が続きちょっとだけ、だれたけど、4人の自殺にもそれなりの原因と結果があるということもきちんと描かれていて、作品のコンセプトが伝わり、高野さんの筆力もありとっても読ませられる作品だった。
終わり方も私好み。
鬱の事もきちんと調べられていて、もしも、身近に鬱になった人がいたらこの作品を思い出したいものだと思う。

この世の中は、真面目で優しい人ほど生きにくいのだ…という、主人公のつぶやきが心に残る。

トラキチさんの「レンタル」でお借りしました。ありがとう♪



偉大なる王/バイコフ★★★★
中公文庫
野生のシベリア虎、額に「王」の文字を持ち首筋には「大」の文字の模様を持つ。
その巨大な虎はその名のとおり森の大王「王(ワン)」だった。
誇り高く、誰も恐れず、逆に誰からも畏れられる、威厳と英知を備えた偉大な王。
その王の生涯をアジア大陸の北方を舞台に、豊かな自然の中で情緒豊に描く。

ただ1人、王が認めるのは、年老いた狩人トン・リ。
その長い生涯の中でたった3度の邂逅だったが、魂の触れ合うような濃密な一瞬を共有する様は、読むものを魅了する。

子供のころに学級文庫にあった児童書で読み、すっかり王の魅力に取り付かれ、その後学年が終わるまで本を返さなかった…というよりも、王と別れる事が出来ずに返せなかった。
担任の先生が「一冊足りないなぁ」と、探していたのを横目で見つつも、どうしても王と別れられなかった。(N島先生ごめんね)
今まで初恋は「オスカルさま」と思っていたけど、その前にこの王に恋をしたのかもしれない。
今読み返すと、子供向けにダイジェストにしてある方が面白かったのかな?と思うが、「どんな凍てついた空気の夜も王はものともせずに岩を蹴って駆け回る。」 なんて感じのところが当時ツボにはまったのだろうなぁ…と、思われて懐かしかった。
冷え冷えとした夜、青い月の光の中で駆け回る王の姿がまざまざと思い浮かぶようなのだ。
今でも「好きな動物は?」と訊かれれば「虎」と、即答するのだけど、この本の影響である。
孤高の王者…と言う感じの所が大好きだ。
いい男(虎)指数=100%って感じだ。

大人になってから読んでも尚いっそう面白いのは同じ動物モノでいうとロンドンの「野生の呼び声」「白い牙」だなー。
特に「野生の呼び声」は、大好きな作品。いつかきちんと感想書いてみたい。その主人公のバックもいい男(犬)指数=100%だね(笑)



預言者ノストラダムス(再読)/藤本ひとみ★★★★★
集英社
ノストラダムス、と言う名前を聞くとどう言う人物を想像するだろうか?
「1999年7の月、空から恐怖の大魔王が降ってくる」と、予言したノストラダムスだ。
きっと怪僧ラスプーチンとか、魔法使いとかそういう得体の知れない人物を想像した事が誰でも一度はあるのではないだろうか。
ここで描かれるノストラダムスは「予言者」ではなく「預言者」だ。
占星術も使うけど、医学をまなびペストの治療が得意で、美顔薬や石鹸を作り、そしてなによりも人心をうまく掌握しては支配して、あるいは誘導して、そしてアドバイスする。
美食家で自分は痛風もちだけど、家庭を大事にして家族を愛するよきパパなのだ。

かたや、カトリーヌは、フランス宮廷で四面楚歌。夫のアンリ2世は愛妾ディアヌと大元帥モンモランシーの意のままである。
ギュイース一族も淡々と政権を狙っている。
カトリックとプロテスタンの抗争も日々深刻さを増してきている。
そんな中で唯一、心からの信頼を寄せて教えを願うのが、ノストラダムスである。
ノストラダムスもまた、カトリーヌにフランスの未来をかけて、そしてまた自分の栄光をかけている。
孤独な女王カトリーヌと賢者ノストラダムス、2人の出会いはフランスに何をもたらすのか?
豪華絢爛な宮廷で、お上品な会話に隠れた火花散る女同士の戦い。権力争い。陰謀と裏切りの渦巻く舞台裏。カトリーヌの自慢の「女官遊撃隊」とは一体何ぞや?むっチャかっこよい男アルベルト・ゴンディはどんなことをするのか?
藤本ワールド全開!藤本さんの魅力炸裂の面白さ!!
いい男指数 アルベルト=98%!泣けまっせ〜!!

長編なので紹介もなかなかはしょれなくて長くなってしまったけど、ほんとうに面白い!
カトリーヌと言うとどうしても、「バルテミーの大虐殺」の張本人と言う感じで、これまた得体の知れない人物を想像してしまうのだけど、ほんとうは不幸な生い立ちの愛を知らない寂しい女なのだ。
そのカトリーヌが、夫の死の際に初めて心を触れ合わせると言う経験をしたり、部下のアルベルトの身を呈しての献身ぶりに(ここは本当にどきどきはらはらしたし感動した!!)それまでとはまた、全然違う部分を持って、尚いっそう魅力的になっていくのが見どころだと思う。
頑張れ!カトリーヌ!!って、思わず叫んでしまいそうだ。
藤本さんには、このあとの「聖バルテミー大虐殺」事件も、ぜひとも小説にしていただきたいものだ。
先生!お待ちしています!

らむちゃんから貸していただきました。ありがとう♪



暗殺者ロレンザッチョ(再読)/藤本ひとみ★★★
新潮社
「預言者ノストラダムス」よりも、もう少々前の時代の、カトリーヌ達がまだ、大太子妃だったころの物語。
これは歴史モノというよりは、ロレンティーノという1人の人物が、どう言う心理状態を経て殺人を犯したのか…という、犯罪モノと言った方がしっくりくるような感じの物語だ。
フィレンツェで、主君を暗殺したロレンティーノから、どうにか話しを聞き出して、今後の身の振り方の助言にしようとか、保身に役立てようとか、またまた宮廷の麗しい女たちが躍起になるんである。
その姿は、一見優雅に見えて水中では必至に足をバタバタさせてると言う評判の「白鳥」そのものだ。
このあたりの会話の運び方など、藤本さんは描くのがお上手!!
笑顔で優しくトスを上げているのだけど、心の中ではスパイク!スパイク!!って感じなのだ。
ロレンティーノが延々と殺人の言い訳を語っている…と言う感じの後半は、ちょっとうんざりする気もしたけど(なにを言い訳してるんだよ!!みたいな)でも、殺人の描写などは迫力満点!
自分の体はどうなろうとも、「行為」が歴史に刻まれる事を望むと言うその気持ちは、自己顕示欲だけで行動した結果殺人事件に発展する今時の犯罪事情に似てると思う。
実際の事件から、ストーリーを作り出すのは、どの作家さんでも見られるかもしれないけど、それを歴史の中で再現させると言うのが、藤本さんの偉業だね。
「預言者ノストラダムス」と比べたら、ちょっと物足りないが、無視できない一冊です。

らむちゃんから貸していただきました。ありがとう♪



誰か/宮部みゆき★★★★
実業之日本社
久しぶりの宮部さん!!ほんと、2002年の1月に「人質カノン」と「R・P・G」読んで以来。宮部ファンとはいえないのではないだろうか…いや、言えまい。完璧に。
でも。久しぶりに作品を読んで、思ったのは「やっぱり、宮部さんはいいなぁ!」ってことだった。
前置きはこれぐらいにして…(苦笑)

ストーリーは、主人公の「私」は、家族をこよなく愛する逆タマに乗った男。義父の会社の、義父のプライベート専用の運転手が、自転車と接触事故で死んでしまう。
犯人探しのためにも、娘たちは死んだ父親のことを本にして出版したいと言うが、「私」はその手伝いを義父から頼まれた。
しかし、そこにはなんとなく秘密の匂いがするのだった。

事件そのものは、本当に日常にあるような、事故と事件の境目にあるような小さな(と言うのは語弊があると思うけど)事件なんだけど、それを追う過程で出会う「人」の描写が、宮部さんならでは!と言う感じで、唸ってしまう。
たとえばここに、とある玩具会社の元社長が登場するが、この老人など、ほんとうにリアルで、その人生がまた一つの作品ができるんじゃないかと思うほど、紆余曲折悲喜こもごも…という面白いもので、この個所だけでもわたしは好きだな〜。
奇をてらった事件やトリックがなくとも、こういう「人間模様」で読ませる宮部さん、久しぶりに堪能したし、ラストは泣けてしまった。↓ネタばれ開始につき、ドラッグでどうぞ
大体、こんな妹を持って、このお姉ちゃん可哀想!!(苦笑)
わたしは自分が長女なので、いたく感情移入してしまって、本当に涙が出たよ。
逆に妹と言う立場の人たちはどうだったろうか?聞いてみたいもんだ(笑)
最初っから、父親の人生を本にして出版するなんて、その発想からしてこの妹は虫が好かなかったんだよな。
私でも「やめてくれ〜〜!!」って思う。
しかし、うちの姉妹は男の好みが三人三様で全然違った。
ああ、よかった…(爆)
この本は「5月の葉っぱ」のkigiさんから、カウプレでいただきました。ありがとう!kigiさん。



ハプスブルグの宝剣/藤本ひとみ(再々読)★★★★★
文春文庫
主人公のエリヤーフー・ロートシルトはユダヤ人。よき家族に恵まれたユダヤ社会の中では前途洋々の若者だった。しかし、ユダヤ人のためだけにヘブライ語で書かれた律法をドイツ語に翻訳した事が、ラビの逆鱗に触れユダヤ社会と決別する覚悟を決める。
おりしも、愛した女性を巡ってドイツ貴族と決闘する事になり、その相手を殺してしまった事からその相手の親に拷問を受ける。
それを救ってくれたのは…

ユダヤに絶望し、ユダヤ人であることを辞め、オーストリア人になろうとする主人公に、立ちはだかる「ユダヤ人」である事実。そして、主君の妻であり帝国の女帝となるマリア・テレジア。
苦しみながらもなんとかユダヤを捨てようとあがく主人公の姿が痛々しくも凛々しい。
数々の戦乱を仲間と共に戦い抜く様子も雄雄しく、機知に富んだ明晰な頭脳も読者を唸らせる。
差別に苦しみながらも自己のアイデンティティーの確立を目指して闘う主人公に思わず本気でほれてしまう作品である。

一度目は主人公に夢中になりながら一気読み。
2度めは、ラストを知っていてのちょっと複雑な思いで読みつつもやはり感動は薄れず。
そして、今回3度目。
涙のツボは同じところであった。
↓ネタばれにつき、反転で読んでください。
エディ、相変わらずカッコイイ〜〜♪ この人今まで読んだ作品、人生で読んだ全作品の中で、一番かっこよい人なのだ。
ユダヤを捨てたエディは、フランツに助けられる。
その妻がマリアテレジア。つまり、フランツとテレジアはマリーアントワネットの両親だ。
このマリア・テレジアのエディに対する仕打ちのひどい事。
まったく、許せん!!
しかし、 過去2回の読書では、マリア・テレジアのことも単にわからずやのトンチキチンだと思っていたが、立場や育った環境を思えば、あながち本人の責任とばかりも言えないかも…とか思って、最初に読んだ時ほど憎い気持ちは無かった。
今回の読書ではこの、フランツにとっても焦点が合ったわたし。
なんて、なんていい人なんでしょう。
実はその後に出された同著者の「王妃アントワネット」という歴史エッセイにもちょっと書かれているけど、藤本さんはこのフランツにとっても肩入れしてるんだね。この本作でもすごく、よい人に描いてあって本当に涙が出るぐらいなのだ。
ユダヤ人大嫌いな妻のマリア・テレジアと、その人生に自分の夢を託した友達のエディとの間に立って苦しむ様は、若い時にはちょっと理解できなかったが、この年になると「間に立つ苦労」がある程度分かるだけに、フランツの苦労もとってもよくわかる!!
どうしてもエディを認めようとしないテレーズに見切りをつけて、フランツがエディに言う言葉「10年前にはふたりでオーストリア人になろうと誓った。今度はふたりでトスカナ人になろう」と言う言葉は今でも私の中ではトップクラスの名言で、やはりその時のフランツの友情の美しさには涙せずにはいられなかった。
そして、テレーズのイジワル炸裂の「プラークのユダヤ人追放」という重荷を背負って当地に赴任したエディが愛する家族と10年ぶりに邂逅するシーンも泣ける。ほんとに泣けるのだ。
どんなにか、困っていただろうに…でも、エディのことを思ってぐっと我慢して何も言わず、その目に「愛してる、生きていてくれてうれしい、成功を祈っているよ」という気持ちを見せてさって行く家族には…。泣かずにいられようか。
そして、どうしても家族とは離れられない=ユダヤである事から逃れられないのだと思ったとき、一時は生きる目的を失ってしまうエディだが、自分の翻訳した律法を大切に読んでいたユダヤ人の少女に出会って、シオン再建の夢を見出し、再びユダヤとして生きる決心をしたその瞬間は… 一旦失った「生きる力」を再び取り戻す…しかも、それは捨てたはずのユダヤとして。ここも要チェック。泣き所です。
結局最後にはエディはロートシルト家の本当の子供ではなく、オーストリア人の子供だったとわかるのだが、ここで手のひらを返したようにもろ手を広げて「エディ、愛しています」と、いけシャーシャーと恥も外聞もなく喜び勇んで言ってのけるテレーズはこの際放って置いて。それでも、自分はユダヤ人であることを「選んだ」エディに、最後の感動だ!!
わたしは、エディは生きてると思う。絶対に。
それと、藤本さんはなんと言っても「カッコイイ男」を描かせたらピカイチで、今回はエディのほかにも、プロシアのフリードリヒ、ハンガリーの武将バチャ-ル、名将ケーフェンフェラーなどなど、いい男がわんさか出てきて、エディ一筋のわたしも思わずにんまりするのだ。
ほんとに、ほんとに愛しい本作、愛しいエディだ。
この本はラムちゃんに譲っていただきました。ラムちゃん、本当にありがとう。



/★★★★
感想