2007年の読書記録*8月



自閉症裁判―レッサーパンダ帽男の「罪と罰」/佐藤幹夫★★★★
洋泉社
「累犯障害者」を読んだ時、障害者が犯した事件と裁きの結果において、とても象徴的な事件だと言う印象を受けたので、この本を借りてきました。
事件は2001年4月東京浅草、レッサーパンダのニット帽をかぶった知的障害のある男によって、女子大生が殺されてしまうというもの。
しかし、裁判は、男が「自閉症」であると言うことを加味しない判決となって、無期懲役。(その後控訴しましたが、被告自ら取り下げたとのこと)
行きずりの一般人を一方的に殺してしまう、ということはもちろん、障害者であれ健常者であれ許される事ではない。
亡くなった女性の家族の方々の言葉を聞いて(読んで)いると、辛さ悲しさが伝わりいたたまれません。
しかし、決して公正とは思えない障害者を取り巻く司法のあり方を見て、日本の福祉と言う点でも多いな疑問を提示しています。

しかし、「累犯障害者」を読んだときも思ったのだけど、この事件の陰にいる「被告の妹さん」というのがとっても気の毒なのです。彼女の事を知りたくてこの本を読んだと言っても過言じゃないです。

妹さんは、つまり兄が知的障害者で昔から手を煩わされてきたのですが、父親も実は知的障害者だったのです。(母親は既に他界)
でもそれを知らずに、当然障害者手帳なども持たずに、ひたすら父親の面倒を見るだけの生活。働いても働いても父親が賭け事などに使ってしまう。そうして癌に侵されてしまうのですが、その病気の時も自身の病院代を支払うために、働いています。しかし、それでも父親が使ってしまう。そんなときに起きたのが兄の刺殺事件。
しかし、皮肉な事に、この事件がきっかけで妹さんは、共生舎という障害者の支援グループの援助を受ける事ができるようになったのです。
しかし、そのとき既に命はわずか数ヶ月と、限られていました。せめて数ヶ月楽しい事をしよう、と言う共生舎の人たちの提案に「25年間生きてきて、楽しい事は一つも無かった」と言ったらしい。
残りのわずかな期間だけでも、共生舎の人たちの充分なケアを受けて少しでも幸せな時間を持てたようなので、その点救われる気もするのですが、こんなにも困窮している家族(困っていたのは妹さんだけだったのだけど)を、公共の福祉は何の手助けもしてない。癌の手術を2度も受け、いたるところに転移もあり、そんな体でも自分の病気の必要経費のために働かなくてはならない・・・もっと早くなんとかならなかったのかと、無念と言うか腹立たしいと言うか。
父親にも兄にもお金をせびられ、自分のために買ったものも持ち出されて金に換えられる生活。
なんとかならなかったのか。それしか言葉が出てきません。



音羽幼女殺害事件―山田みつ子の「心の闇」/ 佐木 隆三★★★★★
青春出版社
山田みつ子がなぜ、春奈ちゃんを殺したのか。
あまりにも不可解な犯人の心の闇に迫ります。
結局この犯人は、欝だったんですね。
鬱といえば最近読んだ山本文緒の「再婚生活」。
しかし、同じ鬱でもヤマフミさんの場合支えてくれる家族(夫)の大きな愛が救った。
しかし、山田みつ子にはヤマフミさんの「王子(夫)」がいなかった。
山田みつ子の夫は、やたら理論的で冷たい。というか、普通です。
ごく普通なんですが、うつの山田みつ子には冷たいと感じられたと思う。

件の女の子、春奈ちゃん。
春奈ちゃんを殺したのは決して春奈ちゃん自身が憎かったからではなく、その母親が憎かったのです。でも、この母親にしてもごく普通の母親なんです。山田みつ子から見たら確かにちょっといけ好かない部分はあったかもしれない。でもそれって、誰にもありうる事では。
誰だって完璧に誰かと合う性格なんてない。どこか気に入らない部分もあってそれを受け入れたり受け入れてもらったりして生きていくんだと思う。
それが出来ない完ぺき主義の山田みつ子は気の毒と言う一言では済まされないけれど。

春奈ちゃんのお父さんは春奈ちゃんが行方不明になった時まっさきに山田みつ子を思い浮かべたとのこと。山田みつ子が、春奈ちゃんのお母さんの事を夫に愚痴ってるように、春奈ちゃんのお母さんもあることをだんなさんに愚痴ると言うか、報告すると言うか。
そんなことからふっとお父さんの方は山田みつ子を思い浮かべ妻にそれを言う。でも、春奈ちゃんのお母さんは即座に「あのひとはそんなことはしないでしょう」と、否定している。

子どもがいなくなったとき、そしてちっとも手がかりないまま時間だけが過ぎてゆく。やっと見つかった我が子は既に冷たくて・・・その時々の気持ちが親として泣かずにいられません。

人間関係の難しさ。
思うほうと思われるほう、その温度差の違いと言うか感覚の違いがこれほどまでに惨い事件を起こすなんて。

春奈ちゃんのお母さんを、被告人はもっと前から「殺したい」って思ってたらしい。その「殺したい」気持ちが娘の春奈ちゃんに転換されて行ったと。

被告は犯行事実を全面的に認め、量刑を争うような裁判は望まなかったらしいけど、それでも、犯行の動機がわからないので裁判が長引いたと。
犯行事実を認めている犯人の裁判では、異例の長さらしい。
それほどに、犯人の心理が誰にも理解できなかったのです。
心理がじょじょに明らかになってゆく過程が本書で分かりやすく解き明かされているのですが、分かった所で犯行を認める気持ちにはすらすらなれない。

極刑にしていただきたい。と言う春奈ちゃんのお父さんの気持ちが痛いほどに伝わります。

しかし、この犯行はなんらかの助けが犯人にあれば、起らなかった悲劇かもしれないと思う。
避けられたかも知れないだけに、亡くなってしまった春奈ちゃんとその家族の気持ちを思うとやりきれない。

本当に憎い人がいて「殺したい」と思いつめる。幸いわたしにはそんな気持ちになった事はありません。もしあるとしても普通の人が想像(妄想)で済ますことろを、実行してしまった山田みつ子。
あまりにも悲しい事件です。

印象に残っていることのひとつ、同じ幼稚園の母親がインタビューに答えて「山田みつ子容疑者が・・・」と、言ってたこと。
たとえば、自分がそういう立場になったとして、昨日まで「山田さん」と呼んでいたひとをいきなり「山田容疑者」と、容疑者呼ばわり・・・すんなりとできるもん?
逆に言えばあっさりと「容疑者」呼ばわりされてしまうような人間関係の中に身を置いていた、あるいはそういう人間関係しか作れなかったとうことにも、事件を象徴する部分があるように思えた。







遺言・桶川ストーカー殺人事件の真相/清水 潔★★★★★
新潮社
ストーカー法という法律は、この事件で亡くなった娘さんのお陰で出来たのです。この事件のあらましを知ると、この事件の所轄の警察に憤りを覚えてなりません。
被害者の訴えを無視したり、バカにしたり。挙句やっと受け付けた「告訴」を取り下げるように勧告までしています。
その結果、被害者の女性が恐れていた通り、殺されてしまうのです。
警察はそのときになって慌てる。
その怠慢振りを隠すために、犯人探しをマトモにせず、犯人を放置。
犯人を見つけ出したのが、当時FOCUSの記者であった著者なのです。
著者が記者として、取材をしながら事件と犯人の真相に近付く過程が、本人ならではの詳しさで描かれていて興味深いです。
この警察の体たらく。



超「暴力」的な父親 (ベスト新書 152)/梁 石日★★★★
ベストセラーズ
以前、梁石日さんの「血と骨」を読んだ時に、その主人公の破天荒と言うか型破りと言うか破れかぶれと言うか、なんとももの凄い人となりに驚いたのです。「こんな人間が主人公ってアリ?」みたいな。
でも、その「血と骨」に登場した主人公は、著者の父親がモデルと聞いて二度ビックリ。実在の人物だったとは!あまつさえ、著者の父親だったとは!
で、その父親について著者が語ったのがこの本書『超「暴力」的な父親』です。最初から釣り込まれるように一気読みしてしまいました。

まるで吼えるように、猛るように人生を荒々しく生きた、梁さんの父上。DVはあたりまえ、母親に暴力を振るう家具を壊す(時には家も)しかも、母親が一生懸命働いて得たお金も自分のために奪い去る、それが当然の如く。自分がいくら稼いでも一切家族のためには使わない、びた一文でさえ。妾は作るし、その生活費を妻に要求したり、息子(梁石日さんのこと)にたいして、妾を「お母さんと呼べ」と言ったり。
妻が瀕死の病に倒れてもやっぱり、お金を出さなかったり。
と、驚きの連続なのです。
ただ、儒教の国の生まれのこの父上は、一家の嫡子である梁さんには暴力を振るわなかったらしい。しかし、身体的暴力は振るわねど、たとえば息子の目前で自分の肉体を、無残に傷つけて見せたりという一風変わった「仕置き」は何度もしている。
圧倒的な存在感を示す父親も、老いには勝てなかったようで、というか、多分日ごろの生活の付けが回ってきたのか、病に倒れます。
そしてついには著者と決定的な別れのシーンを迎えますが、それがなんとも哀愁に満ちているのです。
また、著者の梁さんがこの父上を反面教師にして「良い父親」になったのかと言うと決してそうではないらしく、その辺りが赤裸々に描かれているのも興味深いです。
どんな父親像も、このひとのまえにはかすんでしまうと思われる、梁俊平氏の強烈なすがた。事実は小説よりも烈しい!!



八日目の蝉/角田光代★★★★
中央公論新社
不倫相手の子どもを誘拐してしまい、そのまま自分の子どもとして育てた女の逃避行劇。日のあたる場所に出られないために、隠れるようにして、変な宗教団体みたいなところに身を寄せる。変な宗教団体だけど、彼女たちにとってはそれなりに世間から隠れるための「繭」のような安心感があった。しかし、世間の目を逃れ続けるために、住居を転々とせねばならず・・・そんな中で、「我が子薫」に寄せる愛情が切なく胸打ちます。子どもにとって一体何が幸せなのかと考えさせられてしまう。 だけど、やっぱりこの主人公がしたことを、同じ母の立場からして許すことはできない。母として未熟だったら、ほかの誰かにかどわかされても文句が言えないのかとか、ちょっと考えてしまった。 また子どもが、そういう幼少時代のトラウマから(というか、家族含めて呪縛にかかっている)逃れられないのが痛々しい。前半は逃げて逃げて、そして後半は逃げられないと言う対比が面白かった。



十九歳の無念/三枝玄太郎★★★★★
角川書店
以前、このご両親の手記を読んでとっても印象に残っています。 この事件の特筆するべき点は、犯人たちの執拗な残忍なこと!! たとえば、少年たちの事件でぱっと思いつくのは「名古屋アベック殺人」と「コンクリート詰め殺人事件」とかが「怖い事件」の筆頭なんですが、この「栃木リンチ殺人」もそれ以上に恐ろしいです。
ご両親が正和さんの足跡をたどって、借金の返済をしながら、一生懸命我が子とのコンタクトを取ろうとするのに、少しのところですれ違いがあったりで、いっても詮無いことですが「あのとき、ああしていれば」と言う、ご両親の気持ちが手に取るように伝わります。
それよりも警察の怠慢ですよ!!! この事件では本当に警察を許してはいけないと思う。 こないだ3月に判決が出て、全然納得できない判決だったんですよね。我が身に置き換えて考えても、本当に恐ろしいことです。 黒木昭雄さんの書物も知られてますが、こちらもかなり迫真で、最後は涙涙です。著者は、当時からこの事件に関心を持ち、新聞連載を担当したサンケイ新聞の記者。世間の関心は皆無に等しかったそうですが、あるときテレビで取り上げられてから、注目を浴びるようになったらしい。テレビの影響の凄さ。よくも悪くも。



ひとり誰にも看取られず 激増する孤独死とその防止策/ NHKスペシャル取材班&佐々木とく子★★★
阪急コミュニケーションズ
NHKスペシャル「ひとり団地の一室で」という番組が反響を呼び、孤独死と言うものの実態に迫り、そして未然に防ぐために各方面からの取り組む様子を紹介してある。 読み物としては面白くないです。データなんかが多いし。でも、これは今後やってくるますますの高齢化社会に向けて大切な手がかりとなる本だと思う。 今後、どうすれば孤独死を防げるのか。各自治体や都市再生機構などの官と、民間マンションの取り組みなど、まさに民間一体となっての取り組みが必要であり、いまそれを実際に実地しているところの紹介など、勉強になります。



慟哭ー林郁夫裁判/佐木隆三★★★★★
講談社
贖罪って一体何なのか、考えさせられる。たとえば麻原彰晃が死刑になったとしても贖罪の念の一つも無かったばあい、被害者のご遺族は・・・。

オウム関係の本は数冊読みましたが、これもかなりインパクトがある本です。数年経って、事件は過去のものになっているのに、こうして読むとまざまざとリアルに感じられる。
林郁夫の裁判がなぜ取りざたされるかと言うと、それまでは、別件で逮捕されていたこの人が、まさかサリンを撒いた実行犯だったなんて、取調官もついぞ思わなかった。それを、長い間の自問自答により林郁夫は取り調べの時に唐突に「わたしがサリンを撒きました」と自白したらしいのです。それには取調官たちも驚き「うそだろう?」と叫んだとか。
賢い人だし理性もあると思うのに、なぜ麻原祥晃のまがい言を信じてしまったのか。
それはやっぱり分からないけど、彼が本当に悔いていることだけは切々と伝わってきた。だからといって、 林郁夫のした事もやっぱり許せないのですが、自分の犯した罪におののき号泣慟哭する姿に(それぐらいだったら最初からするなよ!とも言いたいのだけど)「罪を悔いる」ということを考えさせられました。彼もまた被害者だと言えると思う。しかし、亡くなった人は戻らず、被害者の家族の悲しみや辛さは癒えない。



日本残酷死刑史―生埋め・火あぶり・磔・獄門・絞首刑/森川 哲郎 平沢 武彦 ★★★★
この本は「尊敬する戦国武将は織田信長」とか言ってる人に是非とも読んでもらいたい。どれだけ彼ら(家康にしろ秀吉にしろ)残酷な一面を持っているか、よく分かり勉強になります。たしかに偉大な面もあるに違いない。だけど、偉大な面があるからといって見過ごしに出来ないほどの残酷な所業の数々。信長の場合比叡山や長島の一向一揆の焼き討ちなど、わりと知られていると思うのだけど(それでも「尊敬する」って言う人がいるので解せない。個人の自由だと言えばそうなんだけど)秀吉や家康、武田信玄などの残酷物語も書いてあって興味深かったです。特に家康の場合構成の歴史書などでは神格化され、負の部分は公文書から削除されてしまったとか。
人間の命が犬一匹、花一本よりも軽い時代があったとおもうと、処刑の歴史は人権の歴史とも言えそうです。
その昔、薬子の乱で藤原仲成が処刑されてから平清盛が保元の乱にて自分の一族でもある平忠正など敵方(崇徳上皇方)を処刑するまで、
350年もの間、政府による死刑は実質上行われていなかった・・・と言う話や、江戸時代の歴史に名を残す切腹の美学やら、歴史上の有名な処刑の数々など、ウンチク部分がとっても興味深く読めて、なおかつ人間の命や人権も考えさせられる、なかなか有意義な一冊でした。
タイトルは残酷で、たしかに残酷な処刑の方法や様子なども書かれていますが、基本的には「死刑反対」の書。そういう誘導になっているから、と言うだけではなくこの手の「残酷拷問処刑モノ」を読むと、死刑はたしかに野蛮な拷問の延長上にあるような感じを受け、死刑反対に思いは傾きます。たしかに、明らかに許しがたい殺人者などもいてそういう人を死刑にするのは当然!って言う気持ちもどこかにはあるし、自分がその被害者の近しい人間だった時の事を思うと、大きな声で「死刑反対」って言えない。しかも、最近死刑を避けるため(だけではなく、刑を軽くしようとして)にあの手この手のいい訳合戦みたいなのが繰り広げられているのを見ると、いくらそれが「死刑廃止」というヒューマニズム思想からの行為であっても、どっか間違ってるとしか思えない場合もあります。特に山口県の母子殺人事件とか。法、刑法はいったい誰のためにあるのか、よく考えたい所です。



いじめはなぜ防げないのか「葬式ごっこ」から二十一年/ 豊田 充 ★★★★
朝日新聞社出版局
「いじめはなぜ防げないのか」は、「葬式ごっこ」の餌食となって自ら命を絶った鹿川君の一件を中心に、学校が「いじめ」を隠したがる体質であることを問題提起しています。
なぜいじめは防げないのか・・・それを考える事で、いじめの実態に迫りいじめを防ぐ、なくす方向を模索したいと言う著者の意図。
ともかく、学校や教育関係者たちはいじめがあったことを認めない。認められない構造が出来上がってしまっているのです。いじめを隠そうとするのです。
驚いたのは99〜06年までの7年間に、いじめが原因で自殺した子どもの数は「0」になっていたのです。
文科省が各都道府県教委に通達しているいじめの定義と言うのがある。
・自分より弱いものに対して一方的に
・身体的・心理的な攻撃を継続に加え
・相手が深刻な苦痛を感じている
という3定義。
しかしこれに86年に「学校としてその事実を確認しているもの」と言うオマケ定義をつけたために、たとえいじめが実際にあったとしても、「学校は知りませんでした」という事でいじめを否定する事になってしまう。
その結果、86年のいじめの報告件数が3分の一に減る。
しかし、その後いじめが多発したために94年にこのオマケ定義を撤回したけれど、現場では「いじめは確認しなければいいのだ」と言う「見て見ぬ振り」「事なかれ」主義が定着したと、著書は指摘。
しかし、94年に北海道滝川市の小学6年の少女が遺書を残して自殺。しかし、学校側は1年以上その事実を隠してきた。発覚してからバッシングの報道があったのですが、それをきっかけにいじめ自殺「0」の実態をもう一度見直すことになります。
遺書があれば「いじめと自殺は関連があった」とされるけれど、遺書がなければほぼ「いじめと自殺の関連」は否定される。どんなにいじめを苦にしていたかがわかっていても。こんな理不尽な事はないのではないかと思います。

子どもたちを取り巻く社会はお先真っ暗に思えてなりません。子どもたちの今のような「いじめ」が出現してきたのは「つっぱり」がなくなってから、と言う一説があります。つっぱりくんたちは気に入らない事があると教師を殴る暴力を振るうなどの過激ではあったけど、言いたいことをストレートにぶつけてきた、だけど、それを徹底的に押さえつける事に成功してからツッパリがなりを潜める代わりに、陰湿ないじめが始まったと。
それが時代的に、ファミコンなどゲームのたぐいが子どもたちの間に広まった頃と時を同じくしている。もしもゲームの影響だのなんだのというのなら、ゲームを子どもに売りつけ利益を得ようとしているのはオトナたちではないかという話です。
うまく感想をまとめる事はできませんが、今病んでいる子供たちの世界は、そっくりそのまま社会が病んでいると言う事の反映ではないかと思います。

いじめをなくそうとするよりも、まず大事なのは「いじめがある」ということを認めること。簡単なようでむずかしいのかもしれません。でも、子どもたちのために一番良い方法を考えるべきなのではないかと思いました。



教室の悪魔/山脇由貴子★★★★
ポプラ社
子ども同士の「いじめ」って言うのは、今の時代はものすごく恐ろしいものです。大げさに騒いでいるとか、子どもに堪え性がないとか、そんな次元ではないようなのです。
その具体的な例があげてある本が「教室の悪魔」です。
まず、この「教室の悪魔」には、驚くべき現代のいじめの様相が書かれていますが、にわかには信じられないようなケースがたくさん。
特に考えさせられるのがケータイやインターネットを使ったいじめ。メールで悪口をばら撒いたり、根も葉もない誹謗中傷をばら撒く、本人だけではなく親の悪口なども。知らないうちに出会い系サイトに登録されていたり。こう言うのは昔では考えられないいじめの種類ですよね。
で、誰がやったのかわからない、どんなメールが飛び交ってるのか分からない、それで精神的に追い込まれてゆくのです。
そのほかには
・共犯関係を演出しては「一緒に遊ぶんだろ?」と脅し、金銭強要する子供たちの話
・女の子同士で下着を隠したり貼り出したりと徹底的に「恥ずかしい思い」をさせていじめるケース
・いつも常に「汚い」『醜い」と言い続ける事で、言っている方も集団ヒステリーに陥り本当にターゲットが「汚い」と感じ、またいじめの被害者も「自分が汚い」という強迫症に駆られてしまう
・教師やオトナに発覚しないように、見えないところで小さな暴力を続ける(コンパスの針で背中を刺し続ける)
・奴隷にしてしまう。いじめにより被害者の心が挫けている時に「いじめるのを止めてあげるから」と、言われると万引きから援助交際までなんでもしてしまう。そういう気持ちに追い込まれている。
などなど、実際にこのようなすさまじいイジメが(れっきとした犯罪ですよ)描かれていて驚きを通り越して暗澹たる気持ちにさせられます。
この本の、しかし、一番重要な点は「もしも我が子がいじめにあったら親はどうすれば良いのか」と言う点が、しっかりと示されている事。
ともかく、親は「子どもを守る」事が重要。と著者は言います。
いじめに合っても親には相談しない(出来ない)子どもが多いので、親は自ら子どもの異常に気付かねばなりません。その点もチェック式でいじめられたいる子どもの発する「合図」を書いてあるので、わかりやすく参考にしたい本です。



累犯障害者/山本譲司★★★★
新潮社
感想 秘書給与詐取と言う罪により実刑判決を受けた著者が、1年2ヶ月の服役中に見た「障害ある受刑者」の実態と、罪に問われた障害者への司法のあり方への疑問を問題提起する。出所後も福祉に関わりながら地道に障害者たちとコンタクトを取り、世の中に「タブー」を突きつける問題作です。

考えた事もありませんでした。重度の知的障害者の人が刑法39条にも触れずに、裁判で裁かれ刑に服していたなんて。
そのほかにも驚くべき事実がここに書かれていて、唖然とするばかりです。
浅草で女子短大生がレッサーパンダの帽子をかぶった男に視察されたとされる事件、これは非常にデリケートで難しい問題です。実際に女子大生は命を奪われたわけですから、知能障害者であれなんであれ、罪は罪。しかし、彼が障害者だったために、障害者=犯罪者と言う偏見やモンダイが人権問題に発展する恐れからこの事件の報道はうやむやになってしまったらしいけど、著者は「同様の悲劇を未然に防ぐためには事件の背景にあるものを社会全体が直視すべき」と言う思いがあるのですが、全くその通りだと思いました。

また別の章では、障害者であるがゆえに無実の罪を押し付けられそうになった一件も紹介。また、ヤクザたちに障害者年金が目当てで不当に養子縁組をさせられ、年金を巻き上げられている障害者が多いとの事。
福祉も見て見ぬフリのことがあるというので驚きです。

そして同じ女性として衝撃だったのが、知的障害者の売春をする女性が多いということ。そういう人を狙って、組織に引き込んだりする輩がいるそうで、まったく怒りに目がくらむというか、恐ろしさに身がすくむ気がしました。

第4章と5章はろうあ者の犯罪について。
ここではまず、普通に音の聞こえる健常者の「手話」が、ろうあのひとたちには全然(というか殆ど)わからないものだと言う事に愕然。
考えてみれば、わたしたちが使っている言語は文法などにしても音が聞こえ、目が見え文章が読める人のものです。ろうあのひとたちには独自のコミュニケーションがあって当然です。彼らを健常者の視点で見て、その枠に押し込めようとする手話や口話を「押し付けている」様なものだとのこと。
マンガですが山本おさむさんの「遥かなる甲子園」はろうあ者たちが甲子園を目指す物語ですが、そこにもそのような事が書かれていたなぁと思い出したのですが、犯罪の話とは別に、それがとってもショックでした。

ともかく、ここには書ききれないほどの、自分が知らなかった真実やもろもろが書かれていて非常に驚き衝撃を受け、深く考えさせられた一冊でした。いつも以上に乱れた文章だったと思うけど、良かったら皆さんにも読んでいただきたい一冊です。