2008年の読書記録*page2


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チャイルド44/トム・ロブ・スミス★★★★
新潮文庫
旧ロシア(ソ連)の高名なシリアルキラー、チカチーロを題材にしたミステリーだと聞いていたので、どこでチカチーロが出てくるのかと待ち構えていたが、ちっとも出てこなくて焦れた。
主人公はチカチーロではなく、ソ連国家保安省の捜査官レオ・デミドフ。ソ連国家に忠実なこの男は、読者目線で見てみれば全然感情移入できる相手ではなく、正反対に「許せない」捜査官。惨殺事件の捜査にいったんは関わるので、そこで「本題」に入るのかと期待したが、その後延々とその捜査官の生活が描写されて、少々戸惑うものの、余りにも異常な警察機構のあり方に驚き段々と釣り込まれていった。
この捜査官が妻との関係に目を据え、夫婦のあり方を問う辺りから俄然面白くなる。真の「正義」に触れていこうとするから。一旦目覚めてしまえば、それまでの自分の考え方や同僚たちの思想などに疑問を持つようになり、自分なりの捜査を目指すようになる。それはこのソ連ではとても危険で自分の人生と引き換えになるものだとしても。
旧ソ連の人々の暮らしや思想のあり方も含めて、とてもスリリングで面白いミステリーだった。



氷上の光と影 知られざるフィギュアスケート/田村 明子★★★★★
新潮社
著者の田村明子氏はこのようにフィギュアスケートのブームが来る前、伊藤みどりさんの引退後、世間のフィギュアに対する関心が低くなっていた時期から地道にこの世界を取材されていたそうで、付け焼刃ではないその内容は迫真、的確で要所を突いていて、とても読みやすく分かりやすいです。 近年のフィギュアを変えた二つの大きな事件、ひとつは1994年、リレハンメル冬季五輪の前に起きた「ケリガン襲撃事件」。もうひとつは2002年のソルトレイク冬季五輪でのペア決勝で、二組のチームに「金メダル」が与えられた事。どちらも、記憶に刻みつけられている事件でしたが、深い内容までは知らなかった(もしくは忘れていた)ので、本を読んで再確認し、それよりもこの事件がフィギュアスケート世界に与えた影響の大きさがどんなものであったかということが良く分かります。 賞金制度のこともよく知らなかったのだけど、ケリガン襲撃により加熱した北アメリカのフィギュア熱が、めぐりめぐってアマチュアへの賞金制度をもたらしたという深い因縁には、そうだったのかと言う驚きがありました。 そして新採点方式。普段「また回転不足か!見た目がキレイならいいじゃないか、そこまで厳密なジャッジがいるんだろうか」と思ってしまいがちですが、この本を読むとなぜそうなってきたか、そしてその必要性がよく分かりました。同時に「フィギュアから『美』を奪った」と言う、その欠点にも選手たちの意見を聞きつつ言及していて、考えさせられるのでした。 過去からの各有名選手たちの、エピソードや著者に語った言葉、選手だけじゃなく、コーチ陣、コリオグラファー(振り付け師)ジャッジなどにも焦点をあて、表裏どちらからもフィギュアに迫っていてとても読み応えがありました。 個人的には「世界最高のジャンパー」は「伊藤みどり」と言う言葉に感銘を受けました。 他にも、五十嵐文男氏がジャッジの採点にたいしては決して異を唱えないと言う事、タラソワコーチのスケートに対する姿勢など、テレビで見ているだけでは分からない「影」の部分も含めて、これがフィギュアスケートなのだと思わせてくれる一冊でした。



なぜ君は絶望と闘えたのか/門田 隆将★★★★★
新潮社
光市母子殺害事件(ひかりしぼしさつがいじけん)は、1999年4月14日に山口県光市で発生した凶悪犯罪。当時18歳の少年により主婦(当時23歳)が殺害後暴行され、その娘(生後11カ月)の乳児も殺害された。(ウィキペディア) ほんとうに痛ましい事件で、テレビのインタビューに答える本村さんの姿は随分前から記憶に留まっています。さぞかし辛い思いをされただろうと想像したことよりも、やはり本書に書かれていることははるかにつらい事でした。冒頭、事件の詳細が描かれているところは涙なくしては読めません。本村さんが弥生さんに書いたと言う手紙や、弥生さんがお母さんに書いた手紙なども掲載されているのですが、辛すぎて読めませんでした。 本村さんの絶望の深さは、どんなものだったのか。。想像なんてできません。 自分だったらと思うことすら出来ません。きっと死にたくなるでしょう。本村さんもそうだったようです。だけど、本村さんは死にませんでした。苦しみながらもそんな中で敢然と法の矛盾に立ち上がって闘い続けた本村さんの記録。 事件の全貌も書かれていて、衝撃を受けますが、本書は決してそれだけではないのです。 本村さんがどんな風に、その悲しみ辛さ絶望に向き合い、生きてきたのか。 本村さんの強さにこそ感動するのです。 絶望のどん底から這い上がった本村さんを支え励まし一緒に運動した人たちの気持ちのつながりが、深い感動をよぶのです。特に本村さんが会社を辞めようとしたときに上司の人が言った「社会人たれ」と言う言葉は、深い感銘を受けました。 一審二審の供述を翻し、「母に甘える気持ち」だとか「あやす気持ちで首に紐を巻いた」とか「ドラえもんを信じているから」とか、よくまぁそんなことを言うと世間が呆れるような事を平気で言った厚顔さは記憶に新しく、日本全国民が怒りに震えたと言っても良いでしょう。 同時に弁護士同士の確執や、前代未聞の最高裁ボイコットと言う異色の騒動も、本事件の異様振りを示していて、翻弄された原告側が気の毒で、それだけとってみてもとても印象に残る事件です。 少年法についても色々考えさせられますが、死刑についても考えさせられる本。安易に反対賛成どちらかに決められないこの問題。しかし、「万死に値する」と思う気持ちはやっぱり同感してしまいます。 本書の中で、本村さんがアメリカの死刑囚に会いに行くくだりがあるのだけど、そのアメリカ人死刑囚は深く反省していて、死刑がそぐわないような印象を受けるのです。でも、それは「死刑判決」を受けたからこそ自分の罪の深さに慄き、そこから出た反省なのかもしれません。 この光市母子殺人の犯人、文中ではFとなっていますが、彼が最終判決の後著者との面会で、それまでの彼とは全然違う様子を見せ、深く反省しているようであったと書かれているのですが、本当のところはどうなのでしょうか。



聖女の救済/東野 圭吾 ★★★★
文藝春秋
長編のガリレオシリーズは「容疑者Xの献身」があるので、弥が上にも期待してしまいます。 物語は、夫から離婚を言い渡された妻が夫に「死んでもらう」と決心して、そしてその後夫が変死すると言う事件。実際には誰が殺したのか、どうやって殺したのか・・・。まったくスキのない犯行に、捜査陣は立往生するのだったが、湯川が今回は快く捜査に協力する。それは内海刑事の「草薙さんは容疑者に恋をしています」と言う一言があったから・・・。 どちらかと言うと、登場人物間の人間模様を楽しみました。 しかし、トリックはかなり「ありえない」。帯に湯川の同じ言葉が書いてあるし、作中でも「これは完全犯罪だ。君たちは負ける。僕も勝てない」と言うのだけど、そこまでたいそうなものかと、ネタが分かってみればちょっと苦笑してしまいました。逆の意味で「ありえない」です。 ↓ネタバレ
一年間、浄水器の水を使わない??ありえません。 現実的に考えて、どう考えても、変です。 トリックは色んな可能性の中で(たとえば最初のほうの水を流したとしたら?など)かなり成功率が低いと思う、あんまり「賢いトリック」とは言えないのでは。それなのに湯川の「すごいトリックだ」みたいな言い方は、ちょっと納得できませんでした。 ただやっぱりそこまでの流れや人物の心理描写などは、東野さんらしく楽しませてくれましたが。 ともかく、東野作品ははずせないので、読めて満足です。



ガリレオの苦悩/東野圭吾★★★
文藝春秋
本格風のトリックが駆使された短編5編。 「落下る」おちる 「操縦る」あやつる 「密室る」とじる 「指標す」しめす 「撹乱す」みだす 一番面白かったのは「操作る」です。 正直言ってトリックのほうは面倒でよく吟味しなかったのだけど(理解できなかったと言う・・)動機や人間関係に釣り込まれた作品。「容疑者Xの献身」を髣髴とさせるラストに、思わずジーン。 「指標す」のダウジング少女は、面白かったです。 相変わらず東野圭吾、サクッと読める。



モダンタイムス/伊坂幸太郎★★★
講談社
伊坂さんの本、こないだ読んだ「ゴールデンスランバー」もそうですが、発想が凄い。ほんとうにありそうで、手が届きそうにリアルな設定を思いつきますね。「ゴールデンスンバー」では、近未来、人はみな街中に設置してあるカメラによって「監視されている」と言う設定でしたが、今回はもっと身近なリアル。インターネットの検索です。ある言葉を検索する事で、当局のアンテナに引っかかるという。 こんなことがほんとうになったらどうしよう?と思わず背筋が寒くなり、イヤひょっとしてもう始まっているのかもとも思わせられます。 ただ、登場人物たちにイマイチ思い入れが出来ず、むしろあんまり好きじゃない。軽快なテンポやこじゃれた会話なんかは伊坂さんのさすがなところではありましょうが、私個人としてはそこまで心に残らず。 読んでる最中はサクサク行くが、後に残らず。私には伊坂さんは大体そんな感じ。あしからず。



役にたたない日々/佐野洋子★★★★
朝日新聞出版
言いたいことをズバズバと言ってるのに、嫌な気分にならないどころか、そうそう、そうですよ、もっと言ってやって下さいという気分になる本。と言う意味では結構群ようこさんの感覚にも似ているのかと思いましたが、全然やっぱり違うかな。(どっちやねん。そう言えばどちらも「ようこさん」ですね) 世の中が便利になって簡素化して、どんどん失われていくものがあるなぁ・・と言う感慨があったり、トシ取るとこんな風に考えるのかな、私もそうなりそうだなと共感したり・・・そんな本。 人生が間違いなく終焉に向かっている。誰でもそうです。諸行無常、月満つれば即ちかく、とっくに人生は下り坂。トシとか病気とか具体的に提示されると、もっと切実にそれを感じる。私も目がダメになったり、ヤル気がなくなったり(それは前からだけど)、物忘れは酷いわ、やたら脂肪が巻いてきたり、、なんとなく、ため息が出る毎日ですが、佐野さんのように潔く、人生を受け入れたいなぁ。目をそらせずに。 こんな風に「叱ってくれる」系のエッセイが胸に来るのはなぜでしょうか?(笑)



君は誰に殺されたのですか
    ―パロマ湯沸器事件の真実/江花優子
★★★★
新潮社
あるとき遠く離れて東京で暮らす息子と連絡がつかなくなり・・・タイトルの通り、パロマの給湯器の改造事故で一酸化炭素中毒で亡くなってしまっていたという最悪の事態に・・。本としては、ちょっと読みにくかったんですが、書いてある内容というのは他人事ではなく、胸ふさがれると言うか、胸をかきむしられるようなものでした。 ご家族は10年の間本当の死因を知らずに、発見当時、警察に「親の監督不行き届き!何をやっていたんだ!」と言う罵倒を浴びたこともあり、自分たちのせいだとずっと苦しみ、離婚もしてしまった。結局、改めて死因を聞いてみたら「心臓発作などの病気で死んだ」と聞かされていたのに、「一酸化炭素中毒だった」と言う事で、ビックリするわけです。それを知らずに10年間なぜ過ぎたのか?なぜ教えてもらえなかったのか?なぜ一酸化炭素中毒と言う事で死んでしまったのか?ひょっとして殺されたのではないだろうかとさえ思うお母さん。大事な友達も疑いの対象に。 もっと驚く事にパロマ給湯器の一酸化炭素中毒事故は過去多発していたと、その時になってわかるのです。 分かってからも、その原因となった「給湯器の改造」は誰がしたのか、責任はどこにあるのかでまた心かき乱されるご家族たち。まるで息子さんが勝手に改造して勝手に死んだような言い草もあったようです。 当時、親を罵倒したうえに、きちんと死因を探ろうとしなかった(明らかに初動捜査の間違いがあったはず)警察側は謝罪はしないし、罵倒したと言う件の刑事にも連絡が取れない。 やっと取れたら、その刑事の言い草たるや・・・。 子どもを亡くすということがどんなにつらい事か・・。本書を読みながら他人事ではなく、企業のあり方や警察の怠慢などにも憤りを覚えたのですが、やっぱりなんといっても、自分だったら・・と思うと涙が流れてしまうのでした。



誘拐/本田靖春★★★★★
筑摩書房
東京オリンピックの開幕を翌年に控えた昭和38年3月の末に、昭和事件史のなかでも有名な、吉展ちゃん誘拐事件は起きました。 本書は、その事件を語るノンフィクション。。 事件があまりにも有名であり、結末も犯人も落とした刑事までも知っているのです。 それなのに、読めば読むほどに緊迫感が高まり、手に汗握ります。 読んでいる最中は、事件やそれぞれ人間関係などとても読み応えがあり、追うもの追われるもののドラマにグイグイと釣り込まれたのですが、読み終えてみると胸に残るのは犯行を犯してしまった犯人小原保の哀れな一生に対する感慨でした。 一言では言い切れないけれど、貧しさがひとつの「原因」であったとは思うものの、貧乏だからと言ってこんな卑劣で残酷な犯罪の言い訳にはなりません。 むしろ、彼が犯行を認めてからの態度に感じることが多いのです。 自白のみが犯行を確定するという状況の中で、黙秘を続ければ小原に逃れる道はあったのに、でも、彼は犯行を認めます。 犯行を認めるまでは稀に見る凶悪な面を見せておき、いざ犯行を認めたときからはその罪を贖うためにもと、警察に協力的で善人のようにさえ見える、このギャップ。 獄中では見事な短歌を作り、その短歌のひとつひとつに胸を打たれてしまいます。土偶短歌会の主催者にあてた手紙などを見ても、その文面の謙虚さや真面目さからはとても犯行と結びつかず、読みながら「なぜあんなことをしてしまったんだ、小原よ」と、思わず呟いてしまうのです。 深い反省を認めながらも結局は減刑されず、小原保はスピード裁判で死刑に・・・。当然と言えば当然かもしれませんが、読みながら「なんとかならないものか」と思ってしまいました。 「明日の死を前にひたすら打ちつづく鼓動を指に聴きつつ眠る」 「おびただしき煙は吐けどわが過去は焼きては呉れぬゴミ焼却炉」(小原保の歌集「十三の階段」) 『凶悪無残な性格でもその心がけ如何によっては生まれたときのように善良に立ち返ることもある、あるいは人が人の罪を裁き処刑することの矛盾、そして被害者が加害者の処刑を当然と思う封建時代の仇討ち意識につながる恐ろしさ』と、土偶短歌会の主催者の森川氏が「十三の階段」の後記に書いているそうです。 最終的に刑を受け、平塚刑事が墓参りに行ったとき、その家族の墓には小原は入れてもらえずに、土盛の下に眠っていたと言う。犯人と思えば容赦なく警察に突き出し、刑死すればこの扱い、家族からも見放されたあまりにも哀れな生涯に、同情してはいけないのだけど、せずにいられず。泣けてしまいました。 「落としたのはおれだけど、裁いたのはおれじゃない」という平塚刑事の叫びに「罰とは、贖罪とはなんだろう」と思わずにいられませんでした。



あの戦争から遠く離れて
   私につながる歴史をたどる旅/城戸久枝
★★★★
情報センター出版局
これは、中国残留孤児である父親の生涯を丹念に調べ上げた、その実の娘さんの手による渾身のノンフィクションです。城戸久枝さん、著者のお父さんは城戸幹さん、その父親(著者の祖父)が満州軍の軍人であったことから、満州で終戦を迎えます。しかし、中国残留孤児のご多聞に漏れず、様々な悪条件が重なり中国に取り残されてしまうのです。彼はしかし、中国にて情厚い中国人女性に引き取られ、とても愛情深く育てられます。 やがて来る文化大革命の時代に、日本人であることを表明した幹氏はとても中国では生き難く、身の危険さえ感じるように・・・。大学に合格するだけの実力があっても、日本人であると言うことがマイナス材料となり不合格になったりするのはマシなほうで(と言うのは語弊がありますが)、その後の生活の全てが幹氏が中国で生きることを否定しているのです。そこで、幹氏は日本に帰ることを考えます。とても中国で生きる道はないのです。 だからと言って国交回復前の中国から日本に帰ることはとても困難なことで、ましてや世の中は文革の嵐の最中で、日本人はとても危険な目に合っていて、そんな中で幹氏がとても苦労した末にやっと日本に帰ることになるくだりは、とてもハラハラさせられるし涙なくしては読めません。特に中国の育てのお母さんとの別れ・・。 それら一連の経緯がとても丁寧に描かれていて、リアルに再現されていて読み応えがあります。 これを調べたのが、娘さんの著者なのですが、第二部はその父親の物語を書くことになった経緯やその取材の内容が描かれていて、いわば第一部のメイキングと言えましょう。 父親が中国残留孤児であるということに思いを馳せ、その人生をなぞろうとする娘の気持ちとは、親子のつながりの深さを思わずにいられない感動作品でした。 特にやはり、中国で幹氏を育てたお母さんの無私の愛情には頭が下がります。自分だったらそんな風に出来るのか??と思ってしまいます。育てたと思ったら日本に帰ってしまう息子・・。泣きながらも幸福を念じて、送り出す母。 こう言う親子の映像はかつてテレビでよく見られましたが、帰って来た残留孤児のひとにはこんな人知れぬご苦労があったのかなと思いました。タイトルがまたとても良いとおもいます。



エレクトラ/高山文彦★★★★
文藝春秋
被差別部落出身の中上健次が、文学にふれ文学を目指し、激しくもがき苦しむように、身を削り魂をすり減らすようにして作品を書き続け、やがては芥川賞を取るまで、そして自身の文学スタイルを確立させ故郷のことをルポルタージュにまとめたり、あるいは「熊野大学」を作ったり、開放同盟の運動に参加したり、精力的に活動した後、命を終えるまでの生涯が書かれた作品です。
その出自にまつわるくらい影の部分、一族たちの声なき声、先祖たちの怨念すべてを一人背負って、小説に書こうとします。しかし、それを文字にするまでの苦労は並大抵ではなく、作家とはこうも苦しみながら、作品を世に送り出すものかと思います。まさに「産みの苦しみ」と言うべきか・・。
人が何かを成し遂げる時、そこには必ず「出会い」がある。健次の場合編集者たちとの濃密なやりとりがあったればこそ、この「岬」での芥川賞受賞になったということがわかります。ここに描かれる編集者、鈴木孝一氏との真剣そのもののやりとりは凄まじいまでの気迫です。
タイトルの「エレクトラ」にまつわるエピソードは読むだけでも痛々しいのだけど、こう言う「痛み」がなければ傑作は出来ないのかもしれないし、あえて健次を傷つけた鈴木氏の態度にも感服するのです。 鈴木氏だけでなく、その後担当を引き継いだ高橋一清氏にしても、また、妻で作家の紀和鏡氏なども健次の作品に深い洞察と理解を示し的確なアドバイスをしていて、いつしか健次は「岬」と言う小説で芥川賞を取るのです。
「天皇制の昏い歴史の底に吹きだまりあえぎつづけた死者たちをもふくめた声に耳を澄まし、文字を読めず書けなかったためになにひとつこの世に残せなかったそれら死者たちの声に「おまえが書け、おまえが語れ」と呪文のように耳元にささやかれながら山を歩くとき、草の上に行き倒れて死んでいったおびただしい巡礼者や行路病者の屍を幻視し、『その死骸がいま一人の私の姿であっても不思議ではない』(引用)と健次は思う。(本文抜粋)」
私は中上健次と言う作家は殆ど知らないも同然で、作品も後年のものを一つ読んだぐらいなのですが、被差別部落の出身であると言うことを隠さず、そこによって立ち、なおかつアイデンティティとして作家となった健次の気迫が本書から感じられ、圧倒されるのです。作家になるには文章力だけではなく、その背景や背負ったものの大きさが大事で、そして人の胸を打つことが出来るのかもしれないと思いました。
彼の人生が終わるとき、本書によるだけの短い付き合いなのに、とても感慨深くなります。ふるさとの開放同盟のメンバーでもある弟同然の楠本秀一氏や永井隆氏が、健次を失った二人の嘆き、あるいはそれまでの編集者や意思であり幼馴染の日比氏や奥さんのかすみさんの喪失感が伝わり、胸衝かれる思いでした。



少年A 14歳の肖像/高山文彦★★★★
新潮社
日々新しく残忍で衝撃的な事件ばかりに埋め尽くされているいま、この事件はもう遠い過去のものになってしまった印象を受けます。それでも断片的にではあっても、しっかりと記憶に留まっていることもたくさんあります。今からもう10年以上も前になる1997年の5月、事件は発生しました。世間は震撼しマスコミは世間をあおり、情報に惑わされああでもない、こうでもないとテレビのコメンテーターたちは言い、もっともらしい憶測も飛び交い・・・。そしてついに逮捕されたのは、被害者淳君の同級生の兄である中学2年生の「少年A」。その時の驚きは・・・今はもうこれまた遠い過去のもの。事件から一年、著者が訪れた犯行現場や関連した場所はなんと観光名所になっていて、ツアーを組んで見学に来た人々にたくさん遭遇したそう。なんとも悪趣味な・・・(と思う一方で、こう言う本を読む自分はどう違うんだろう?とも思う)。
淳君が行方不明になって恐らく無事ではないのではないかと思われていたときには、もうすでに、近隣の人々は彼がやったのではという疑いを持っていたということです。それどころか淳君よりも前に被害に合った山下彩花ちゃんの事件の後もすでに、見当が付く人には分かっていたとのこと。
そうなると、淳君の事件は防ぎようが合ったのかもしれません。とても残念です。
本書を読み少年Aの生い立ちに触れ、彼が大きな苦しみを心に持っていたことは理解出来そうな気がしますが、子どもを育てると言うことは、人間を育てると言うことで、子を育てる親は決して生半な気持ちで子育てをしてはいけない、と思いました。親の責任と言うことがヒシヒシと伝わってきて、自分のことを思ってもいまさらながらに反省を促されてしまいました。



インターセックス/帚木蓬生★★★
集英社
「エンブリオ」の続編と言える作品。 前回斬新な医療方法を精力的に展開していた岸川の、悪魔的な部分はなりを潜め、赴任してきた性差医療の専門医、秋野翔子とともに、インターセックスに対して新しい視野での医療活動を繰り広げようとしている。 男でもなく、女でもない、あるいは男であり女でもあるインターセックスは、自分の意思のないころに性別を決められ、外的手術をされてしまうことが多いらしい。しかも、その手術はとても辛いもので、一度では終わらず何度も繰り返され、多くの医師達の視線にさらされ、治療そのものがトラウマになってしまうというのです。そんなインターセックスを取り巻く環境を描いていることがひとつ、読み応えのある部分。彼らが幼いころから受けてきた仕打ちや苦しみを本人たちの語りを含めて訴えているが、涙をさそうほどに辛いもので、そこから立ち直っていく人々の強さにも感動するのです。献身的に、彼らに寄り添い彼らの助けになろうとする翔子は、帚木作品はこうでなくては!と思わせられるヒューマニズムの持ち主。
物語の主軸がタイトルの通り、このインターセックスという部分になってしまっているので、その点においてはとても読み応えがあり感動的なのですが、かたや前回主役の岸川に関しては、拍子抜けしてしまうのです。アクがなくなり、すっかり翔子のよき理解者に成り下がってしまっている。この言い方は矛盾があるけど、前作からの流れで思うとかなり物足りません。
「エンブリオ」で岸川が犯した罪はあまりにもあっさりと片付いてしまうし、例の斬新かつ悪魔的な治療方法に関しては、著者帚木さんはどう思っているのかが分からない。読者にゆだねられているのかもしれませんが、帚木さんの考えを聞きたかったようにも思います。それと、(翔子がなぜ隠しているのかもわからない。告白すれば相手の励みになったことを自分だけ黙っているのが納得できませんでした。) その点でスッキリしない読後感が残りました。



黒い看護婦/森功★★★★
新潮社
福岡で看護婦(この事件が起きた時は、看護婦と呼んでいたので今回そのまま引用します)たち4人が、メンバーの中の夫2人を殺害し保険金をせしめたり、あるいは詐欺・恐喝による金銭搾取など、総計で約2億円もの大金を不当に得た連続殺人・詐欺などの事件。
女4人の犯罪というと「OUT」(桐野夏生)を思い出す人も多いと思いますが、事実は小説よりも奇なりというか恐ろしいものだと痛感する事件です。
この事件では主犯格の吉田純子が他の3人を隷属する形で支配し、言葉巧みに騙し続け、自分の贅沢な暮らしのためにお金を奪い続けただけではなく、やがてはメンバーの夫を保険金目当てで殺害、その上にも土地を奪おうとしたりメンバーの母親を殺そうとしたりしたもの。
こうしてまとめたものを後から俯瞰で眺めるように読めば、そんな嘘に何故引っかかるのだろう、と、むしろやすやすと騙されている3人のメンバーの愚かさに目が行くのです。
中のひとりは吉田の同性愛の対象にされ、嫌々ながらも性行為を続けていたのだけど、吉田が「あんたの子どもを妊娠した。珍しい事だが女同士でも子どもが出来る例はあるらしい。」というと、半信半疑でありながらも、結局はそれを信じてしまうのです。女同士の性行為で妊娠…どう考えてもそれを信じる看護婦がいるとは思えないのですが。
そんな調子で騙され続け、挙句の果てには自分の夫にさえ手をかける・・・その保険金をも吉田に騙し取られてしまって、気づかないと言う愚かしさ。
このような事件史を読むと、思い起こされるのは「愛犬家連続殺人事件」の主犯、関根元や「北九州一家監禁殺人事件」の松永太など。彼らに共通するのは、仲間や被害者の気持ちを掌握する手腕に長けていて、とうてい信じられないような嘘をさも本当のように信じ込ませる技術があるということ。
どの事件も、共犯者たちはある種の被害者でもあると思えるのですが(だからと言って殺人の罪は消えないと思うけど)その共犯者をがんじがらめに絡めとる恐ろしさ、従いたくないのに従わざるを得ない心理になっていく、仲間内での恐怖政治が確かにあるようなのです。
「殺人」と一言に言いますが、こう言う風に事件の一部始終を見せられると、その恐ろしさに慄然とします。看護婦の知識やスキルを駆使して、注射などで殺すのですが、自分がもしもその立場に立ったとき、どんな憎い相手であれ、衝動的ではなく計画的にそれを実行できるものか?「この注射を打つと相手は死ぬのだ」と、分かっているのに、ゆっくりと冷静に、注射できるのか??
まさに、尋常ではない彼女たちの心理が怖くてたまりません。稀に見る鬼女の犯罪でしょう。
本書では事件の全容とともに、吉田淳子の生い立ちからその事件との関わりに迫るのですが、一概には言えないにしても、母親の子どもに対する影響と言うのは大きいなぁと痛感します。親はやはり、責任の一端を担っていると言うことは、あるのじゃないでしょうか。
ただ、吉田淳子の家族に対して、「そこまで書いては家族が気の毒では」と言う、誹謗中傷すれすれの表現がある様な気がして、その点が気になりましたが・・・。
思うに、3人のメンバーはアサガオのようなもの。吉田が支柱です。支柱があるから上に伸びるアサガオ、アサガオが巻きつくから賑やかに咲く花を身にまとう支柱。お互いがあったからこその犯罪だったのかもしれません。アサガオと言ってはキレイすぎますか。その花はどす黒い色をしていましょう。
3人のメンバーたちも、この吉田淳子と出会っていなければ、こんな罪を犯さずに平穏な人生を歩いていたのかもしれない。殺された男たちも同様に、その「出会い」に殺されたのです。(犯人たちを擁護する意味ではありません、念のため)
そういう「出会い」がなく一生を過ごすと言う事は、まったくの僥倖だと思いました。



黒の紋様/塚本宇兵★★★
新潮社
著者の塚本氏は「指紋」のエキスパートです。 「万人不同」「終生不変」この二大特製を生かして犯人を検挙する。それはすでに一般常識にまでなっていますが(たとえば自分がもしも罪を犯し、その罪を隠蔽しようとするならば、現場に指紋を残してはいけないと言うのは最低限の必須条件でしょう)血にまみれ、荒らされた現場から、あるいは腐敗し、ウジのわく死体からも指紋を取ると言う作業を、現場でどのように苦労しながら行っているのかが描かれていて迫力があります。著者が同僚といっしょに指紋採取の方法を試行錯誤の上に獲得していく過程も書かれていて、興味深かったです。
ただ、事件そのものへの深い追求はされていないので、事件の背景や犯人の深層に迫ってはおらず、その点は不満が残りますが、本書はひたすら指紋を採取すると言う職人技によって犯人検挙に至ると言う、その過程が醍醐味になるでしょう。



最後の大奥 天璋院篤姫と和宮/鈴木由紀子★★★★
幻冬舎
歴代将軍の正室は殆どが宮家や摂津から迎えられていた。なのに、篤姫は周知の通り島津家という外様藩からの輿入れでした。なぜ島津藩なのか、というと、それにはやはり何年も何代もかけて築いてきた両者の関わりがあったからなのです。それは将軍吉宗の時代にまでさかのぼり、将軍家から島津に嫁いで来た竹姫という人の存在がとても大きかったようなのです。この竹姫の存在があったから篤姫が将軍の正室になると言う、不思議なご縁に発展したとのこと。竹姫と言う人は、篤姫に劣らず大きな働きを負った人物であったようで、ここに描かれている竹姫の姿がすごく興味深いのです。後に描かれる篤姫の姿もそうなのですが、竹姫にしても婚家の発展を一心に望み、尽力しています。その私欲を越えた「縁の下の力持ち」的な存在は、同じおんなとして深く感銘を受けます。なぜ島津から篤姫という遠縁のお姫様が将軍家に嫁いだのか、そのように時代を掘り下げて丁寧に説明されているのが前半です。
後半は、「やっとのこと」で将軍正室になった篤姫の孤軍奮闘の日々、そして、和宮との軋轢の日々を経て二人の女性が「徳川家」のために「同士」となっていく過程に読み応えがあります。何かと「京都流」に拘ろうとする和宮と、根っからの武家の女篤姫は最初のうちこそ敵対にも似た立場になってしまいますが、将軍家茂の深い愛情に和宮が応えるように、篤姫との間柄も和らいでいき、最後には深い信頼で結ばれたようです。間に立つ立場と言うのは辛いもので、どこの家でも嫁姑の間に立つ男性と言うのは苦労されると思うのだけど、この家茂は見事に二人のかすがいとなったことが良く分かります。さぞかし立派な男性であり、包容力のある夫であったのかなと思います。
また、篤姫のよき理解者として登場する勝海舟の姿にも、とても好感を覚えます。海舟語録というものがあるのだそうで、それも興味を引かれます。海舟の本もなんか読んでみようと思いました。 明治維新という、想像もできないほどの激動の時代を、まさにその渦中で生きた二人の女性の人生とはいったいどんなものであったのか、思うほどに頭が下がります。二人が晩年、暖かい交流を持ちながら生きたと言う事は、少しなりともホッとさせてくれます。和宮32年と言うあまりにも短い人生、篤姫にしてもたった49年の生涯。時代の流れに翻弄されたふたりの短い生涯にとても感慨深いものを感じました。



エンブリオ/帚木蓬生★★★★
集英社
ものすごくセンセーショナルな内容です。倫理的にはとうてい受け入れかねる設定なのに、作品中でいかにも「当然」のように行われているその医療行為は、実は「正しい医療行為」なのだと、錯覚しそうになります。主人公の医師が「営利優先」ではなく「患者優先」の医療を行っている事からもなおさらです。ある意味ではとてもヒューマニストなのです。そういう意味も込めて、久坂部羊の「廃用身」に通じるものを感じました。 「エンブリオ」とは子宮のなかにいる胎児のこと。
本書の主人公である岸川医師のもとには不妊で悩む夫婦や、密かに堕胎手術を受けたい女性などが集まります。彼らから絶対的な信頼を受けている岸川は、腕にも相当な自信のあるサンビーチ病院の院長。そこで行われいているのは、実は常軌を逸した医療行為なのです。
たとえば、(以下、ネタバレ含みます。)のぞまれぬ妊娠をして堕胎手術を受けた後の胎児は、病院で凍結保存、必要になれば臓器を培養増殖させて本人の(この場合、母体)臓器移植に使うことができる。 あるいは、死亡した若い女性の遺体からは卵巣を取り出して保存、培養。それは後に不妊治療のために使う。一見すれば「合理的」「無駄のない」「無駄にしない」医療行為なのかも知れません。しかしよくよく考えてみれば、どこか感覚が狂っているようにも思うのです。
それが明らかに「それは変だ」と思うケースでは、故意に妊娠・中絶し、胎児の脳みそを父親の脳に移植する。パーキンソン病の有効な治療の一環として。。。。
そして極めつけは、男性の妊娠。。。
それらを岸川はひそかに隠れてやっているのではなく、大々的に日本で宣伝こそしないけれど、海外の学会では発表するなど、決して悪びれる事はなく法に触れないということからも、倫理的人道的にも問題のない医療行為だとしているのです。
小説としては、岸川の女癖の悪さや相手の女優の舞台の描写など、あまりストーリーに関係ないと思われるシーンが多く、ミステリーなのかそうでないのか中途半端でもあり、その分散漫冗長になってしまったような印象があったけど(そういう部分を斜め読みしてしまう)ものすごく大きな問題を抱えた恐ろしい小説だと思いました。
たとえば将来病気になるかもしれないことを懸念して、わざと妊娠し、その子を中絶し、いざと言う時のために冷凍保存しておく。あるいは子供が病気で危ない時、移植しか助かる道はないというとき、妊娠中の二男を中絶し、その臓器を長男のために使う・・・。それらは実際に今後起こりうる事態なのではないでしょうか。 結局他人の臓器を移植したところで、拒否反応などの避けられないリスクがあるのでしょうが、この方法だとそういうリスクは極めて少ないわけです。
それが人智を超えているとか、神の領域であり人が踏み込むことは許されない医療行為だとか、言うのは簡単ですが、人間は自分が助かるためにはどこまでも貪欲になる生き物なのかもしれません。そして後戻りの出来ない生き物でもある。
ある意味では、非情に「命」を救うことに熱心な岸川ですが、その実は命を命と思わない冷徹で非情な人間なのです。
いつかこの岸川に天誅が下る事をのぞみつつ、釈然としない気持ちで読み終えました。
続編と言われる「インターセックス」も読むのが楽しみです。



告白/湊かなえ★★★★★
双葉社
物語は、自分の娘を亡くした女教師が生徒たちを前に、自分の娘は事故ではなく故意に殺されたのだ、そしてその犯人はこのクラスの中にいるのだ、と言うセンセーショナルな「告白」をする場面から始まります。自分の人生を語りながら、いかに娘が大事な存在であったか、娘をなくしてどれほど自分が辛い思いをしているのかを絡めながら、犯人に対する「復讐」を「告白」するのです。
突拍子もないといえば言えるかもしれないし、リアリティに欠けるといえばそうなのかもしれない。でも、この作品はものすごい吸引力とパワーを持っていて、読む人間を物語の中に引きずり込みます。読み始めたら止まりません。
女性教師の告白だけではなく、事件に関係した人間が次々登場して、あるものは「文芸誌への投稿」で、あるものは「日記」で、あるものは「回想」で…それぞれの形で、「事件への思い」やそれぞれの立場から見た「事件の真相」を「告白」するのです。
第一章で女性教師の口から語られた事件は、物語が進み、語る人間の別によって次第に形を変えられ、まだ見ぬ真実があらわになり、意外な方向に展開してゆきます。
そんなことが実際にあるものなのか、人がそうなったとき、どんな行動を起こすのか、自分だったらどうするのか…などなど、そんなことはどうでもいい、こちらの「思い」など挟む余地も必要もない、だた物語を「読む」だけで「面白い」と言う、近頃まれにみる傑作でした。タイトルのつけ方もシンプルだけど、内容を言い得ていて妙、そしてプロットもよく練られていて巧妙。
読み終わっても、感慨や感動など、考えさせられるものや残るものはありません。後味も良くない小説です。人によって評価も分かれるでしょうが、私にとっては「面白かった!!」と、心から満足できる作品でした。 ブラヴォー!



ダーク/桐野夏生★★★★★
講談社
「天使に見捨てられた夜」や「顔に降りかかる雨」などの村野ミロシリーズ。
一番の魅力は一切無駄な描写もないタイトでスマートな文章、どの一文もすべてが脳みそに染み込んでくる感じ、そのまま文を追うことが止められず最後まで一気読みさせられる吸引力とパワーです。
自分にはなんの努力も必要じゃない、ただ読んでいればいい、読めば面白いという私にとっては稀有な傑作でした。
シリーズと言っても、前作を読んだのがずいぶん前だったので、ほとんど覚えておらず、ミロを含め登場人物のキャラクターがどんなものだったのかも忘れ去っていました。結果それが良かったのかもしれない。 以前の恋人が、獄中で死んでしまったということに端を発し、ミロは恋人の死を自分に伏せた義父の村野善三を許せず、その命を奪いに北海道まで出向きます。善三はそのころ、北海道で盲目の恋人と一緒に暮らしています。その恋人はミロと同じ年齢なのでした。
善三の命を奪ったミロ、それを許さない善三の内縁妻久恵、かつては仲間であったのに裏切りあう存在になってしまった友部、そして善三の腹心であったはずの鄭。逃げるミロと追うものたちの攻防が息をつかせぬ展開で繰り広げられます。
やがて物語は舞台を韓国に移し、意外な展開になっていくのですが、その破天荒で無軌道な展開にのめりこんでしまうのです。どのキャラクターにも全然好感は持てない。とくに久恵や友部のいやらしいこと。あまりにいやらしすぎて、逆にそれが魅力です。
「救いがない」なんて、全然そんなことはない。「柔らかな頬」「残虐記」などに比べても明らかに救いのある物語です。40になったら死のうと思っていたミロは生きる希望を見つけるし、ミロの求めた愛は、現時点ではたしかに存在するんだから。(続編があるか?できたらここで終わってほしい)
私の中ではマイベスト桐野作品となりました。「OUT」よりも好き。



さよなら渓谷/吉田修一★★★
新潮社
俊介は、奥団地と呼ばれる古びた市営住宅に、内縁の妻かなことひっそりと暮らしていた。
が、隣に住む母子家庭の主婦が、子ども殺しの容疑を掛けられ、世間やマスコミに注目されてしまう。
隣に住むものへも影響は免れず、俊介は思いがけずマスコミがらみの古い知り合いに会ってしまう。
古い知り合いが、事件を追う記者の尾崎に漏らした俊介の過去とは・・・。そして、尾崎が調べた事件の結末とは・・・。
やりきれない実在の事件をモデルにして取り扱っているので、感想も書きにくいです。
本筋の事件(過去)の詳細が、冒頭の事件をきっかけとしてだんだんと明らかになっていく。
その中で描かれる、男の気持ちと女の気持ち、自分だったらどうだろう?と思うと良く分かりませんが、小説としては面白かったです。

以下ネタバレで↓

隣の主婦が起こした事件というのは、秋田の我が子を含めた連続児童殺人事件のことで、主人公がかつて起こした事件とは、よく似た事件がたくさんあってどれの事やらわからないぐらいですけど、大学の野球部が起こした集団レイプ事件。
どっちの事件が展開に大事かというと、主人公側の事件です。はっきり言えば、隣の主婦が起こした事件は何も実際の事件になぞらえて描く必要を感じませんでした。
主人公側の起こした事件は、これも許しがたい事件。自分がこの事件の被害者だったら、というのは置いておいて、俊介とかなこふたりの関係は、切なさと哀れさと痛さとその他もろもろ入り混じった複雑な関係で、その辺が読みながらも釣り込まれた部分です。
とにもかくにもかなこの生涯が哀れで悲しい。そしてそれをかなこに与えたのは、ほかでもない俊介だったという事に、複雑な気持ちを抱きます。
同じグループで同じ犯罪を犯したひとりに、社長の息子がいて、その人物はその後とくに事件の影響も受けずに、まさにのうのうと暮らしている。その姿を見たときに俊介は「自分のあるべき姿」というのを悟ったんではないでしょうか。
罪を犯したものは、その後の人生をどう生きればいいのか。そんなことがなかなかリアルに描かれていると思います。



結婚のアマチュア/アン・タイラー★★★★
文藝春秋
「歳月の梯子」が面白かったので、もうひとつこの作者のをと思い借りました。
これもおもしろかった〜。
些細な日常の中の、見過ごしに出来ないこと・・・それは各人それぞれに違う感覚があるんでしょうけど、そういうものが積み重なって長年経つと、夫婦の間は修復しがたいものになっていく。とういのが、上手く描かれています。
パールハーバーの年、1941年、主人公の二人マイケルとポーリーンは衝撃的に出会い、弾みがついた形で結婚。
物語は、その数年後、そしてまた数年後、それからだいたい10年程の時間を飛び越え飛び越え、この夫婦の一生を描くのです。
誰もがお似合いだと思った二人の結婚生活は、決して「ラブラブ」ではなかった。双方が「この結婚は間違いだったのじゃ?」という煩悶を内に秘めながら暮らしていくんです。表面的には、でも普通の夫婦に見えたと思う。まぁ普通よりも起伏があるかな?
夫が妻のことを、そしてまた妻も夫の事を「ここが気に入らない、あそこが嫌い」と思うのだけど、それがまたどっちの気持ちに対しても「わかるわかる!」となるのが面白いんですよ。
各章ごとの視点(主役)は、マイケル、ポーリーン、カレン(二人の二女)、ジョージ(ふたりの長男)と、様々で、物語をより立体的に眺める事が出来て、それも面白いんです。
どんな夫婦にも歴史がある。
よいときも悪い時もある。
でも、過ぎ去ってみればやっぱりどんな形であれ「夫婦」だったね・・・という、しみじみとした感慨。後味はほろ苦くもあり、さばさばとしたものもありで自分たちの結婚生活について、自分たちの夫婦の形について、深く考えさせられてしまいました。
この二人が歩んだ歴史は、予想外の展開で驚かされ、グイグイと引っ張られました。
結婚20年前後の主婦などが読んだら、身につまされるのでは?(わたしのことです!)



越境捜査/笹本陵平★★★★
双葉社
警視庁捜査一課の鷺沼は、配置換えのあと暇をもてあまして、時効間際の殺人事件を洗いなおすことにした。それは悪質な詐欺事件の被疑者が殺害された事件であり、その折には殺された被疑者が被害者から騙し取った12億円という大金が忽然と姿を消しているという事件だった。この殺人事件を再び追い始めたとき、鷺沼はなにものかに付けねらわれ、闇討ちに合う。
消えた12億円をめぐって熾烈な争いが水面下で始まる。
鷺沼に事件を託した神奈川県警監察官室長の韮沢、なぞのちょいワル風刑事の宮野、誰が味方で誰が敵か、何が本当で何が嘘か、、裏金にまみれた醜い警察という組織の実態を明らかにしつつ、鷺沼は「正義のために」事件の真相を暴こうと思うのだったが・・・。
+++++++++
半分ぐらいまではとても面白く、息つく暇も与えられずに読まされた気がしますが、三分の一ぐらいから話が込み入りすぎて混乱してしまいました。
スピード感があって・・というより、緩急、の急ばかりでグイグイと引っ張られるので、半分ぐらいからすこし疲れてしまったというのもあり。
しかし、全体的に面白い小説でした。
主人公の鷺沼がカッコイイのです。上司の韮沢や、宮野とのやりとりなどに、男らしさをにじませていて、硬派な男前を堪能したカンジ。
物語は二転三転、四転五転・・・・?さすがに疲れますが、だからこそドキドキハラハラもさせてくれてグッド。
ラスト間際の展開はかなり盛り上がりました。最後の最後は「賛否両論?」と思ったけど、にやりとさせられる。わたしは支持!好きなラストです。硬派なエンタメとして楽しめました。


ひとこと:
金髪でピアスで家事をマメにするオネエことばの刑事、宮野がお気に入りだったので、終盤事件に介入する人物があっちからこっちからと増えてきたために、宮野の印象が薄れてしまったのが残念でした。

ひとことその2:
主人公鷺沼を柴田恭平で2時間ドラマになっているんだそうです。まだ放送していないのかな。非ドラマ体質なので見ることはないかもしれませんがキャストは気になります。宮野は誰がやるんだろう?



明日もまた生きていこう
 十八歳でがん宣告を受けた私/横山友美佳
★★★★
マガジンハウス
バレーの全日本入りを嘱望され(実際、ワールドグランプリでベンチ入りを果たしています)希望にあふれ充実の真っ只中にいた18の頃、ガンを宣告され過酷な治療も残念ながら効果なく、21歳でこの世を去った横山友美佳さんの手記です。

驚いたのはこのひと、中国で10歳まで過ごしてきた「中国人」だったのです。でお父さんの転勤で日本にやってきます。
日本人として過ごしてきたのは11年ほど。それまで日本の事、殆ど知らずにいたのです。(中国と日本の学校の子どもたちの姿の違いなど興味深い記述もありました)
それなのに、なんと言う文章力!
バレーを病気のために諦めなければならないかもしれないと、闘病生活と並行して大学入試を受験するんだけど、それも早稲田の推薦。
それまで殆どバレー漬けの生活だったのに。
エッセイや小論文などの受験です。
病気の体を押して、書いて書いて書きまくったそう。
だからこんなにも文章が上手いし、人の胸を打つ深みのある文章が書けるんだ・・・。
そして、バレーや受験に向けた頑張りと同じように、治療にも本当に精一杯頑張った様子で、ただひたすら頭が下がりました。

生きたい、今日もまた生きる事が出来てうれしい。明日もまた生きていこう。そのシンプルで尊い気持ち。これは病気じゃなくても、本来誰もが思わねばならないことなのでは・・。病気になり辛い治療に挫けるのではなく、そこから人にとって大事なことを学び取っていく友美佳さん。

病気になってもとにかく前向きで、バレー以外のことに目を向けようと大学受験、バイトもしたいし、旅行にも行く、そういう「楽しみ」があって「生きたい」と思う気持ちが、とっても過酷な治療に立ち向かう原動力になったようです。

ガンの治療って本当に辛いものなんですね。
幸い、自分も周囲も(祖母ぐらいしか)ガンの経験者がないので、患者の治療をあまり見たことがないのです。
最初はガンは自覚症状が少ないので、一見元気なのですね。
でも、手術と治療(抗がん剤投与、放射線照射)によって体力を奪われ体調を崩していく。
そんなにも苦しい治療を乗り越えても、元気にはならず、どんどん大きくなるがん細胞。
「やっぱり治らない。何をしても無駄なんだ」と思うときの絶望感とは。。。
せっかくものすごい努力をして合格した大学を去らねばならない無念とは、どれほどだっただろうと思います。

それでも友美佳さんは、苦しみもがきながらもその事実を静かに受け入れます。
その姿は神々しいほどです。
そして、やっぱり自分の「目標」を定めます。
「成人式の写真を撮ること」「本を出版する事」。
最後の最後まで、希望を捨てず、でも事実を受け入れじたばたせず、目標を持ち「生きた」友美佳さん。

あとがきが書かれたのが今年の4月1日。
そして17日に亡くなっています。
本の完成は見ることが出来なかったようです。

命を大事にしてください
今という瞬間を大事にして下さい

振り絞るように書かれた友美佳さんのメッセージを、忘れてはいけないと思いました。



生けるパスカル/松本清張★★★
文藝春秋 松本清張全集
もともとイタリアのノーベル賞作家のルイジ・ビランデルロというひとの「死せるパスカル」という小説(作中では「死せるパスカル」と紹介されていますが、Amazonで探したら「生きていたパスカル」となっていました)に題材を得たミステリーなのですが、この元になった「死せるパスカル」というのがそもそも、面白い。
映画にもなっているようで、本当にある作品なのですね。
あらすじは、パスカルという主人公が不幸な結婚生活に嫌気が差し、家出をします。どちらが先であったか忘れましたが(^^ゞ、郷里では自殺者の死体をパスカルのものと間違い、パスカルが死んだことになってしまいます。パスカル自身は家出先でふとした弾みに大金を手にし、自分が亡き者となったのをこれ幸いと、姓名を偽って新しい自分となって生活する。しばらくはその生活を謳歌するんだけど、戸籍がない彼は、恋人が出来ても結婚できず泥棒にあっても被害届けも出せない、自分が掴んだ自由はまやかしであったと悟るのです。
そこで、いったん郷里に帰り決着をつけようと決心すると、郷里では元妻は他の男と再婚している。勝手にパスカルが死んだことにしてしまった妻側は、妻側で後ろ暗いのです。そこで、改めてパスカルは堂々と戸籍を自分の手に戻し今の恋人と一緒になる、という話。
そして作者のビランデルロという人はそもそも私生活でも精神に病を持つ妻との生活で、苦労した作家だったようですが、清張のこの物語は妻がほぼ統合失調症のようで異常な嫉妬や猜疑心を持ち苦しめられている新進画家が主人公なのです。
パスカルに自分をなぞらえて、だんだんと妻への殺意が募っていく主人公の内面が読み応えありです。女から見ると、この浮気ばっかり性懲りもなく繰り返す主人公も、同情出来ない。
罪を犯してまで手に入れようとした「自由」。しかし、そうは問屋が卸さないよという、こう言う終わり方は胸がすく思いがします。どうやって犯行が暴かれていくのか、そこのところが一番の見所です。






金メダルへの道/荒川静香★★★★
日本放送出版協会
NHK総合テレビで2006年2月25日放送のNHKスペシャル「荒川静香 金メダルへの道」をもとにして、NHK取材班がまとめたものに荒川静香さんが加筆訂正を加え、長時間インタビューとともに構成したものです。(冒頭本文)

トリノオリンピックで日本人としてただ一人のメダル獲得者である、荒川静香さん。彼女の金メダルはみんなの記憶に刻まれた事でしょうが、荒川さんはそれまで以前の大会では決して、優勝争いと言われるほどの順位を上げてはいませんでした。2004年世界選手権で優勝するも、翌2005年はグランプリシリーズを含め、あまり芳しい結果は得られなかったのです。それは、トリノオリンピックの前(2004−2005年)に変更になった採点方法のせい。なかなかこの新しい採点方法になじめず、得点が得られないで順位を上げられずにいたのです。その彼女が何故、優勝候補であったライバルたちを圧倒して優勝したのか、その過程と彼女の内面が、インタビューと取材を通してとてもリアルに伝わってきます。
どんなに頑張っても、なかなか到達しないレベル4。それを取ると言う事は、こうも難しい事なのだと改めてわかり、選手の努力のすごさを垣間見ました。
荒川さんはファンの「選手だから得点を狙うのは当然だけど、優雅に舞う姿が素敵だなと思う」という言葉に刺激を受けます。技の難易度が高くてもそのすごさが観客には伝わりにくい技を無理してまで、レベル4狙いで入れなければならないというシステムになじめなかった葛藤がよくわかります。
でも、結局は、採点には殆ど関係のないイナヴァウワーを演技に入れることで、観客たちに大きなインパクトを与えて、そして見事に優勝。誰もが、新採点方法の得点狙いだけの演技をしなかった荒川さんのフィギュア選手魂とでも言うか、その心に感動したはずです。
金メダルは自分にたくさんのチャンスをくれた。切符と同じで、たくさん持っていても使うか使わないかは自分次第、どう使うかをコーディネートしてくれる人はいないのでその先は自分で考え、自分で成長して行かねばならないという意味のコメントが印象的です。
彼女は外見だけではなく、内面もクールビューティー、とても強くしなやかな素敵な人だと、改めて感じました。
そして、ライバルのスルツカヤ選手、彼女はお母さんの看病のため大会を欠場したり、自分の心臓病のためにワンシーズン棒に振ったりと、波乱の選手生活を送ったとの事。金メダルを目指して、取れない選手一人ひとりにドラマがあり涙があると、これもまた改めて思います。それだからこそ、価値がある金メダルなのでしょう。

ちなみに、わたしは浅田真央ちゃんのファンです。先日のドリーム・オン・アイスではすごく感動的な演技でした。これからも、日本のフィギュア選手に頑張ってもらいたい、日本だけじゃなく世界のフィギュア選手に素敵な演技をして、見せてほしいと思います。



二人だけで生きたかった―老夫婦心中事件の周辺 (NHKアーカイブス特別編) /NHKスペシャル取材班★★★★
66歳妻、認知性に冒される。その介護をする夫は77歳。老人ホームへの入所もできず、息子夫婦に引き取られながらも、誰にも黙って死への旅に出ます。ふるさとの近くの温泉地をめぐり、やがて二人が入水自殺をするまでの最後の軌跡を追います。
いまや老人が老人の介護をするという「老々介護」は当たり前の時代、(認知症が認知症を介護する「認々介護」の時代さえも目前です)この本は、決して他人事ではないのです。
「介護」や「老い」と言う社会問題だけではなく、自分の人生の終焉をどのように迎えなければならないのかという大きな問いかけにも胸をえぐられるようでした。
この本の中の夫は、認知症の妻と共に人生に幕を引きます。自分だったらどうするんだろう?と思ったとき、この夫の大きな愛情に胸打たれてしまうのです。



大人が知らない ネットいじめの真実/渡辺真由子★★★★★
ミネルヴァ書房
「ネットいじめ」と、ふつうの「いじめ」との違いは・・?
特にはないと思います。どっちも加害者側はホンの悪戯心で、軽い気持ちで「いじめ」てしまう。
だけど、被害者側はひょっとしたら一生を台無しにされるぐらい大きな傷になったり、いじめられたことで対人恐怖性になったり、引きこもりになったり、人生に影響を及ぼす影を落とされたりもするのです。
ただ、インターネットが普及して、誰もがケータイを持つ今日では、その匿名性と手軽さからいじめが以前よりも「お手軽」になってしまいました。そして内容も巧妙で陰湿、過激でわいせつなものが増えていて、子どもたちに被害を及ぼしている。それはもう「いじめ」ではなくれっきとした「犯罪」としかいえないような手口も多いようなのです。
このあたりのことは以前「教室の悪魔/山脇由貴子著」を読んだ時にも詳しく書かれていました。が、「教室の悪魔」を読んだ後にも、こうしたいじめは後を絶たず、事実ネットいじめが原因で自殺してしまった子どもたちがニュースに上ることも珍しくはなくなってしまった。
たとえいじめがなくても、そもそもケータイに振り回されたり、縛られたりする生活が、子ども達にとって良い生活であるわけがない。
本書は、そういう「ネットいじめ」の実態や、問題点をわかりやすく説いてくれてます。そしてこの状況をなんとかしようと、教師や保護者、周囲の大人に出来る事があるのではないか、もっと大人はこのことに真剣に向き合うべきではないかと問題提起をしています。
本書に書かれていることで、印象的だったのは「ネット・リテラシー」と言う言葉です。これは、「インターネットがもつ特性を理解し、そこにあふれる情報の善悪・真偽を自分の頭で判断し、使いこなす能力」のことです。これを持たないでネットをしていれば、ネットがらみの犯罪に巻き込まれたり、気軽にいたずら心でいじめ行為に加担してしまうこともあるのです。「メディア・リテラシー」と言うテレビなどのメディアが子どもに与える影響を(たとえば、お笑い番組で流される『弱いものいじめ』に近いものや、あまりにも軽々しく扱われたり間違っている性情報など)ネットリテラシーと同じように自分たちのちからで判断する能力とともに、今の子どもたちには必要なことだと痛感しました。
あと、「いじめられる側にも問題があるのでは」「いじめられる子どもは弱い子ども」という固定観念について。いじめは、たとえどんな理由がいじめる側にあったとしても、決して許されないということ。どんな理由も「いじめてもいい」ということにはならないこと。いじめられる子どもは決して弱いのではなく、逆にいじめられていても極限まで我慢したり相手を思いやったりする強い心の持ち主である事が多いこと。などなど、分かっているつもりでもこうして説得力ある文章によって、あらためて確認できた事も多々ありました。
そして、どうしたら可愛い我が子を守れるか、家庭はどう対応するべきなのか、もしも子どもがいじめにあったらどうするべきなのか、きちんとした対処法が書かれていて参考になります。いじめは決して許されない事だと子どもに教え、もしもいじめられたら、それは自分が悪いのではないし恥ずかしい事でもないから親に言うように、その環境をもともと調えておくべきだということ。
いじめる子どもたちにはそれはそれで、問題があるのだから、「いじめるな」と言うだけではなく、なぜその子が「いじめないではいられないのか」を探って原因を取り除く事。いじめの解決法は、いじめられている子どもに我慢を強要したり、いじめられた子にメンタルケアを施すのではなく、まず、いじめる子どもをなくすことなのです。
巻末には、いじめている子どもいじめられている子ども双方への呼びかけがあり、子どもたちにも是非読ませたい一冊。相談窓口もこのように載っています。
たいへん参考になる一冊でした。

インターネットホットライン協議会
http://www.iajapan.org/hotline/
警察サイバー犯罪相談窓口
http://www.npa.go.jp/cyber/soudan.htm
社団法人テレコムサービス協会
http://www.telesa.or.jp/
法務省人権擁護機関インターネット相談
http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken113.html
迷惑メール相談センター
http://www.dekyo.or.jp/soudan/index.html
@いじめ
http://ijime.playzm.net/



決壊/平野啓一郎★★★
新潮社
もう何年も芥川賞作家の作品には興味がないわたしですが、今回本の紹介文にある「無差別殺人」とか「連続殺人」というあおり文句に引かれて読みました。
もちろん平野啓一郎というひとの作品は初めて読んだのですが、こう言う文体なんだという、まず確認。わたしには読みやすいとは言えませんでした。物語の枝葉にあたる部分でも、それぞれにものすごく詳細で濃密で深い記述やうんちく然とした部分が多々あり、全体としては無関係ではないだろうけど、読んでいるのが面倒になってしまいました。
そんな中でやっと見えてくるのは、とある一家の一見幸せに見える仮面の下の実の姿。ほころびそうでもなんとか保たれていた家族の姿が、ある殺人事件に巻き込まれることで破壊されてしまう姿が描かれています。
こちらはミステリー要素を期待して読んでいたのですが、この作品はその「事件」よりも登場人物たちの心理描写の巧みさを味わう小説でしょう。まず、主人公である崇の、常人には(というか、わたしには)理解しにくいまでの複雑な思考回路(たまに、うん、わかる!と思う部分もありました)。この作者の投影なのか、まったくのフィクションでこの「頭の中」を作ってるとすれば、やはり「さすが芥川賞作家」と言うことになるんでしょうか。何を考えているのかわからない不気味さを隠しもち、ストーリーに伏線を張ります。その他の主要登場人物たちの心理描写もとてもリアルで、その点はとても釣り込まれてしまいました。すべてが「決壊」へと向かっていく、その流れが丁寧に緻密に描かれていて、とても重い苦しい物語です。
特に「インターネット」に関しては、ものすごく興味がそそられる部分で、崇の弟の良介のHPをめぐる妻たちの心のやり場など、こうしてブログやHPを実際開設して、自分の文章を知らず知らず(知っているはずなのだけど)ワールドワイドに公開してしまっていることの恐ろしさや罪深さを突きつけられます。読書や映画の感想はともかく、個人的な日記は消してしまいたくなるような気持ちにさせられました。
先日このブログでもご紹介した「大人が知らないネットいじめの真実」あるいは「教室の悪魔」など、現代社会のなかの子どものケータイ依存への警告と言うものも含め、ネットが生活のなかに深く入り込んでいる事の恐ろしさも痛感させられるのです。
ちょっとネタバレで↓
ただね、殺された良介のHPに書き込みをしている「666」というHNの人物のことがはっきりと究明されていないのが消化不良ですね。誰なの?666って。最初から読者に「崇が怪しい」と思わせるように仕向けてある割りに、いきなり(でもないんだけど)666が登場しても、なんとなく唐突な感じがしましたけど。崇の勤め先である図書館で、二人は接触したのか?そのときに崇は666をそそのかしたのか?? 666の一応その正体の説明はあるんだけど、ここまで長い小説ならば、崇や友哉とおなじバランスで666の人生にも触れて欲しかった。例によって、七面倒な記述部分は斜め読みしていたからわからないのかも知れませんが、結局「離脱者」ってなんだったのか。テロ行為という重大な犯罪に至る割りに、666のことはあまり書かれていないように感じました。わたしの読みが浅いかな? しかし、やっぱり自分は第一子として崇に感情移入する部分はありました。物語自体は、簡単なものをわざと難解に小難しく描いてある感じですが、崇の気持ちだけを考えて読みすすめて見れば大いに共感して、切なく悲しく苦しくなるのです。(無罪なら)



血と暴力の国/コーマック・マッカーシー★★★
扶桑社
映画「ノーカントリー」の原作本です。映画を見て、ある一点が気になり原作はどうなのだろうと思い、読みました。映画はこの原作に忠実で、映画を見てから間がないのも手伝って、原作を読むというよりも、映画の場面を文章で確認すると言う「作業」になってしまった感じがします。
映画と違うのは、映画では添え物のような存在だった保安官、最後の最後にやっと「ひょっとしてこの人物が主人公だったのかも」と思った保安官こそ、本当の主人公だった事。
現代の無法社会ともいえる、昔とはあまりにも様変わりした現代社会に対する嘆きと言うか、一人語り風に保安官の思いが挿入されていて、なんとかモスを助けたい、助けたいのに助けられない焦燥感や無力感にさいなまれる彼の姿が印象的です。
映画では、意図してそうしたのでしょうが「ぷつん」と切れているラストが、原作では後を引いていて、保安官の心情を描いてあるのが良かったような気がする。
でもいかんせん、「読んだ」と言う感じにならなかったのが残念です。
確認したかった部分は、原作でも似たような感じでしたが(モスはどうやって死んだのか)映画よりはちょっと説明があったけど、深く満足できるほどには描かれていなかった。それが「わざと」なんだろうけど。



世界屠畜紀行/内澤旬子★★★★
解放出版社
「屠畜」とは、生きた動物を殺して食肉に加工する過程全般を指す言葉。
著者はモンゴルで初めて動物を殺して肉にすると言う行為を目の当たりにし、猛烈に興味を持ち、動物が肉になるまでの過程を克明に知りたいと思いはじめる。日本では特に、「屠殺」と言う仕事は差別と関連付けて考えられがちだけどそれはなぜか、と言う疑問と共に海外の屠畜現場を取材して歩きます。韓国、バリ島、エジプト、イラン、チェコ、モンゴル、インド、アメリカ・・・。もちろん日本でも東京の芝浦屠場や沖縄、本当にパワフルに各地を、「屠畜」現場の観察取材のために渡り歩いていると言う印象です。ひたすら「屠畜の面白さ」を伝えようとするガッツ!その姿勢とパワーにはひたすら頭が下がります。すごい。。
彼女は屠畜現場を見て、目を輝かせてしまうのです。あまつさえ「やりたい!」と思う。そういうタイプの人間は、おそらく20人に一人ぐらいしかいないのではないかと言われてしまいます。そんなユニークな彼女の渾身のルポルタージュが本書なのです。食と文化、宗教からも屠畜を見直してみる幅の広さも伺え、とっても興味深い内容です。屠畜の過程を見たままこと細かくレポートしてあり、イラストも手伝ってものすごく臨場感があるのも本書の魅力です。
屠畜が身近な地域での取材を見ていると、人々の屠畜への慣れや、著者の屠畜に触れる喜びやパワーが伝わってきて、なんだか自分にもその屠畜現場が平気で見られそうな気になって来るから不思議。子供たちにも是非とも見せるべき、見せて「君たちが普段食べているお肉は、こんな風に生きていた動物の『命』をいただいているんだよ。だからきちんと『いただきます』と言って、残さずに食べなければいけないよ」と教育すべきだと思えてきます。
たしかに、それは大事なこと。普段私たちは肉を見ても、『元は動物だったのだ、命いただきます、南無阿弥陀仏・・』などと思うこともなく、平然と(嬉々として)食べてしまいます。そんな自分の「罪深さ」にハッと気付かされるという本でした。
ただ、冷静に考えてみると、やっぱり自分に屠畜の現場を著者のような心理状態で眺める事ができるかどうかは、不明です。多分、動物を「殺す」のを目の前で見せられたら「怖い」と思ってしまうんじゃないでしょうか。内澤さんはそれを「何故怖いのか、残酷で可哀想だと思うのか」と疑問を呈していますが、本能的なものかな。自分も食べられるために殺されるのがイヤだから、動物のこともそう思うのかも。ともかく、それは「なぜ?」と聞かれても答えようがないぐらい、当然の気持ちのような気がします。
その上で意識しなければならないのは、人は自分が生きるために「他の命」を心ならずも奪ってしまっていると言う事、そして、自分には(極限状態にでもならない限りは)出来ないと思う「動物を殺して食肉に加工する」と言う過程を、誰かに、請け負ってもらってると言うこと。それを思うとき、「食」に限らず人間は生きていくうえで、他人の手を煩わせずには生きていかれない事にも気付くはず。「人に迷惑をかけるような人間にだけはなるな」と、よく聞きますが、人は生きているだけで人に何らかのお世話になっているのですよね。



出星前夜/飯嶋和一★★★★
感想



性犯罪被害にあうということ/小林美佳★★★★★
朝日新聞出版
とある小説を先日読んだ時、この本を読んでみたいと思った。タイトルの通り、性犯罪にあってしまった著者の、実名と顔写真を公開しての手記です。
彼女は恋人と別れたことを引きずり、泣きながら夜道を自転車で家路についていました。道を聞かれ、答えようとしてクルマに引きずり込まれ・・・。
不幸にもレイプされてしまったときに人はどうなるか、それは想像もできないぐらい壮絶なものでした。数々のトラウマやPTSD(心的外傷後ストレス障害)は、実際に被害者でないとわからない、気楽に「想像できる」とは口が裂けてもいえません。
削除したいのは「記憶」ではなくて「事件」そのもの。でも削除なんて実際には出来ない。時間は戻らない。起きてしまった事はなかったことに出来ないのです。
どんなにか、人は傷つくのか。
加害者側はきっと分からない。すごく気楽な感じでレイプしたのだと思う。この被害者と加害者の気持ちのズレは、どこまでも交わる事はないのでしょう。「悪いことをしたと反省してほしい」「ごめんねと思っていてほしい」・・・繰り返す著者の言葉が胸に響くのです。
娘として一番この人の事を愛しているはずの両親にさえ、彼女の苦しみは理解されず、両者の感情もまたどこまでもズレてしまい、彼女はさらに苦しむ事になってしまいます。肉親による二次被害は悲しいことにとても多いんだそう。
インターネットサイトでの交流やカウンセリングを受けたり、心理カウンセラー育成の専門学校への通学を経て、彼女は「事件被害者を支援する活動がしたい」と思うようになり、片山徒有と言う人に出会います。このひとは、息子さんをダンプカーに轢き逃げされてしまったという事件の被害者でした。この人との出会いで、著者は前向きになっていったようです。
一番理解し、愛しているはずの家族に傷つけられ、かたや、見ず知らずの人間に救われとはなんと言う皮肉。しかし、それが案外真実なのではないでしょうか。あまりにも身近であればあるほど、物事を冷静に受け止める事は到底無理で、でも、だからと言って傷つけて良いと言うことは間違ってもないはずで、傷つけたいと思ってるはずもなく守ってあげたい、癒してあげたいと思ってるに違いないのに・・。
人間関係の難しさは、こういうときこそ浮き彫りになるのかもしれません。
彼女は「被害者を救うのは周囲の理解である、理解を得るためには伝え合わなくてはならない」と言います。家族との間に衝突やすれ違いと言う「溝」ができたのも、お互いの気持ちをきちんと伝え合う事ができなかったから。家族の本当の気持ちを知れば、もっと被害者自身も救われるのだと。
伝え合い、理解し合っていくことの大切さ。
被害者がもとめ、被害者を支援するのは周囲の人たちなのだから。



シズコさん/佐野洋子★★★★★
新潮社
絵本作家でエッセイストの佐野洋子さん。彼女がお母さんとのことを書いた本です。
最初のほうで、もう、涙がダラダラと流れてしまいました。
容赦ないまでに感情むき出しの、文体とかにも気を使ってなさそうな(失礼ですか?)、あふれるような母に対する思いが、ものすごく何と言うか私にびんたを食らわすような。
「私は母を捨てた」と何度も繰り返す著者。
母親を好きになれない、愛せないという自責の念に、ずっと苦しみます。
苦しむというよりは、その自責を決して捨てようとしないで、自ら進んでその枷の中で生きているように感じるのです。
このシズコさん、確かに娘の眼から見ると「良い母親」ではないのかもしれないけど、その娘が書いた「母親像」は、決してダメな母親ではなく、むしろ素晴らしい「母親」なのでは。
関東大震災、戦争、引き上げ、3人の子供を亡くし、若くして夫を亡くし、4人の子供を育て上げ、、、、いつも社交的で、人を暖かく迎え入れ、器用に洋服を縫ったりセーターを編んだり、家の中はいつも見事に整理されていてキレイで、お料理も手早く美味しくきちんとこなす。。。 著者自身が言うように、決して誰にでも出来る事じゃない。
しかし、そんな母も娘には愛されない。二人の間には深くて強い確執があったから。親は一時期娘を虐待し、娘は徹底した反抗期に入る。決して二人の間には「和解」はないだろうと思えます。

読みながら何度も泣けるのは、「ひとは老いるのだ」と言うことがしみじみと迫るから。傲慢にさえ見えるシズコさんが、小さな背中を見せるとき・・。従順になり「可愛く」なってしまうとき。それはやっぱり「老い」によってなされたものではないかと思うのです。
決して溶ける事はないと思われた娘の母への気持ちも、皮肉にも母が老いて惚けることで、氷解していく。 触ることすら出来なかった母の体を触り、さすり、なで、いとおしむ娘。
なんて長い年月や色んな犠牲が必要だったのか。
あまりにも壮絶な母と娘の記録です。

本書の中ですごく印象的だったのは「家族だからこそ互いによくも悪くも深いくさびを打ってしまうのだろう」と言う部分。あるいは「家族とは、非情な集団である。他人を家族のように知りすぎたら、友人も知人も消滅するだろう」と言う部分。
他人だったら許されないような事も、家族だから許される。許すまいと思っても、いつの間にか許してしまっている。逆に家族だからこそ許せない思いもあるに違いない。
母のことも含め、家族というものをじっと見つめた本でもありました。
著者が繰り返し「母を好きじゃない」と言いながらも、伝わるのは不思議と母への憎しみではなく、愛情なのです。



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