2009年の読書記録*8月



もうすぐ/橋本紡★★★
新潮社
お初の作家さんです。 主人公はネット新聞の記者由紀子。産婦人科医が、出産事故を起こして妊産婦が死亡した医療事故から三年も経ってからの逮捕という事件になんだか腑に落ちないものを感じながら、その事件を調べようとすると、出産、妊娠に関する様々な問題点や、女性たちの訴えを知ることに。年齢的に他人事ではない立場の由紀子だが・・・。 なかなか重大な社会問題をはらんだ深刻なテーマの小説だけど、読物としてとても面白かったです。出産しようとしても産院が見つからない夫婦、子どもがほしいのに妊娠しない女性、夫が子どもをほしがらない夫婦、いろんな問題がネット新聞での取材や掲示板を通して集まってくるのです。妊婦のたらいまわし、訴訟問題を恐れてと言われている産科医の激減など、実際に社会問題化している産科の問題が分かりやすく描かれていて、とても興味深かったです。 子どもを生む・・・私はもう遠い昔の話になってしまったけど、簡単に妊娠し、簡単に出産しました。そこに奢りがあったような、身のすくむような気持ちで読みました。



輝ける闇/開高健★★★★★
新潮社
著者の体験をもとにしたらしい、ベトナムに従軍記者として派遣された主人公の「日常」を描く作品。 この小説の中では確かに「日常」なのだけど、それは戦時下の日常であり、こちらから見ればそもそもが非日常の世界。だけど、その場にいてそこで暮らせば、その「非日常」が「日常」になるんだと思う。たとえば、戦闘が繰り広げられる中でも「シエスタ」という習慣は健在で、その時間が来たらのんびり昼寝をすると言う・・・不思議な感じがするけど、それこそが「ベトナム戦争の日常」なのだと思って、ちょっとびっくりしてしまう。そして、常に人が死に、死体をその辺で見たりするのだそうで。 そういう、舞台自体が「ドラマティック」で、ストーリー展開は「非ドラマティック」、淡々と語られる。 圧倒されたのは、その文体です。 湿気と粘り気のある空気、そして独特の臭気まで漂うような描写、表現・・そして主人公の内面を高までえぐるように描いてあるそのことに圧倒されました。これぞ純文学、これこそが文学なのか?と思えるほど一つ一つの表現がものすごく洗練されてすごい。今まで私が読んだ事のある文章はナンだったんだろう?と思えるほどに・・・(って言うと、既読の作家や作品にあまりにも無礼なんだけど)。ひれ伏したい気分になりました。



日本最初の盲導犬/葉上太郎★★★★★
文藝春秋
タイトルの通り、日本に盲導犬がどのように導入されたかが、書かれたノンフィクションです。
今でこそテレビなどで、盲導犬の訓練の様子などよく見ます。街頭募金で盲導犬がジッと座ってる事もあります。(まだ、実際に盲導犬を連れた人を見たことはないのですが)
でも、その歴史というか、一番最初にどうやってそれが日本にやってきたか、はっきりとしたことは分からないらしいです。それを取材を重ねて著者の分かる範囲でまとめられています。
知らなかったのですが、そもそも盲導犬は、戦争によって盲目になってしまった軍人の社会復帰の為に、導入を試みたのだそうです。と言っても太平洋戦争の初期までの話で、傷痍軍人への補償や福祉は戦局の悪化と共に手が回らなくなります。
除隊した(せざるを得なかった)傷痍軍人の社会復帰を支えたパートナーとしての犬とその飼い主の物語であると同時に、日本のもうひとつの戦争記でもありました。
戦争で身体を傷つけられた軍人のその後の人生は、体の痛みと共に精神的にもとても苦渋に満ちていて、たった一言で「除隊」とか「帰還兵」などと言っても、その後の生活や体調の不調は凄まじく、想像を超えています。
たとえば、浴びた弾丸や戦車の破片などの「異物」が、直後の処置では除ききれず、退院して何年もたってからでも、皮膚を掻けば小さな破片となり、砂のようにボロボロと表面から「沸いて」くる・・、あるいは後年背中の一部が膿んできて、よく調べると中に残っていた弾が表面に出てきたためで、手術で取り出すなどと、戦争が個人に与える影響の計り知れない事にいまさらながら驚きです。
絶望に陥ったのは、特に目が見えなくなってしまった人たちだそうで、自分の身に置き換えてもさもありなんと思うのだけど、(その想像はとうてい及びはしないのだけど) 彼らが盲導犬とのふれあい、献身的な愛情によって社会復帰を果たしたり、気持ちを持ち直したりする様子が描かれています。

そもそも、一番最初日本にやってきた盲導犬は、1938年に飼い主のゴルドン君というアメリカ人大学生(ハーバード大)と一緒にやってきたオルティというメスのシェパード。日本人には初めて見る「盲導犬」で、それはもう驚きをもって迎えられたようです。ゴルドン君の「布教」に触発されて、軍部の一部軍医たちが日本にも盲導犬を導入する事を考え、理由は明確には分かってないらしいけど、軍では導入できなくて、愛犬家の民間団体の代表者の相馬さんと言うひとの働きかけによって、1939年の5月に、ドイツから4頭の盲導犬がやってきました。
それが並大抵のことじゃなく、ものすごい手間ヒマ金銭をかけての輸入だったようで、初期の盲導犬に関わった人たちのご苦労がしのばれ、感服します。

なによりも、犬と飼い主との結びつきが感動以外のなんでもないのです。 登場する犬のどれもが健気で、とてもとても賢くて優しく、いじらしくて、それだけでも涙モノです。表紙の犬は、山崎さんと言うひどい怪我の末に失明された人に与えられた千歳と言う、ドイツからやってきた犬の二世。この犬の健気な献身も感動で、山崎さんの失明の絶望と共に、涙なしでは読めない物語でしたが、他の犬たち、ドイツから来た犬やその二世たちの活躍やその死もまた涙涙の物語でした。

ただ、本書は犬と人間の涙の感動物語として描かれたものではありません。元来戦争があったからこそ、盲導犬と言う存在が生み出されたのだと言う事、今は人々の純粋な福祉の為に活躍する盲導犬も、元をたどれば戦争が生み出したものだと言う事を、きちんと見つけなければならない。戦争は「終戦」で終わったのではなく、その後の長い終戦を生きた人々にとって盲導犬がどんな役割を果たしてくれたのか、そこにあった数々の物語を忘れるべきではないと、著者は言っています。だから単なる「感動」だけで終わらせてはならないのだと感じたしだいです。



差別と日本人/辛淑玉・野中広務 ★★★★
角川グループパブリッシング
野中広務さんと、辛淑玉さんとの対談集です。
以前「差別と権力」と言う本は、小難しくて(^_^;)挫折したんだけど、こちらは読みやすかった。薄かったし。
野中さんは被差別部落の出身で、辛さんは在日朝鮮人。
二人の対談や辛さんの解説文から、被差別部落の人や在日朝鮮人の人たちが受けてきた差別がどんなものか、分かります。
とは言っても、この本に書かれているのは、さわりに過ぎないだろうけど。
それでも、近代史の中で順を追って差別がどう変化してきているか、変化してないかが書かれてて分かりやすかった。
書かれていることのすべてに、頭が下がる気持ちです。いっちょまえに知ってるつもりになってても、そんなの何のたしにもならない壮絶な歴史がここには書かれていて、うなだれてしまいます。
特に終盤ふたりが、本当に腹を割って話し合っている部分は、大きな感動でした。
その部分を読みながら「これを口に出すなんて、泣かずにおれなかったのではないか」と思ったけど、後書きによると、やっぱり二人で、嗚咽を堪えたり言葉に詰まりながらの対談だったようです。
野中さんの懐の深さに、辛さんも辛い過去を「こんなに辛かった」と告白しているようだし、またそんな辛さんの本音を聞いて、野中さんも今までは誰にも言わなかった事を言ってしまった、と言う感じで、こういうのをクサいけど「魂のぶつかり合い」と言うのではないかと思いました。とことん、本音で、気持ちをぶつけ合い、受け止めあう姿には感動を覚えました。
対談部分だけでは分からなかったと思うけど、辛さんの解説はとてもわかりやすかったです。すごく冷静でスマートな文章でした。だからこそ後半の「辛かったんですよ」と言う訴えが、胸に沁みました。 オススメです。



任天堂 “驚き”を生む方程式/井上理★★★★
日本経済新聞出版社
ウチの子どもたちはみんなゲーム大好き。だけど、親はそれに対してあんまりいい感じは抱いてないですね。ゲームやる暇に少しでも勉強して欲しいし、本も読んで欲しい。子どもにとって大きな誘惑の一つがゲームだから。。。
しかも、任天堂もSON●も、次から次に子どもにとってとても魅力的なハードを売り出し、たとえばDSなんて、やっとDSを買ったと思ったら次はDSライト。ライトを買ったと思えば今度はDSi でしょう。(ソニーも似たり寄ったり)
任天堂は、不景気知らず・・と言っても、子ども相手にあくどく儲けているんじゃないのか、と思う節が無きにしも非ず・・・でした。でも、そんな気持ちは本書を読んで吹き飛んでしまいました。
ここに書かれているのは、任天堂を支えた技術者や開発者が、どんな風に新しいものを生み出し、どんな風に売り出してきたか・・・。もちろん「売りたい」って言う気持ちはあるし、売れて儲けたい・・って言う気持ちがなくもないのは当然ですが、それ以前にユーザーに楽しんでもらいたい、と言う根っこがものすごく誠実に感じられました。
何が世間に求められているのか、何が必要かしっかりと見極め、時には先端を切り捨てる勇気と判断力を持つ。各ハード誕生秘話や、ソフトに関する裏話など、任天堂ゲーム好きには懐かしくて興味深い話題が満載で、会社が盛況である秘訣なんかと共に読み応えのある一冊でした。

個人的なこと↓

年齢的に言えば私は、インベーダーゲームが世間を席巻したとき高校2年生でした。田舎に住んでいたので(今でも田舎だけど、当時よりはずっと便がいい)近くにゲームが出来るお店があるわけでもなく、滅多にやったことはなかったですね。
友だちとボウリングに行ったとき、その併設のゲームテーブルがあり、そこで友だちが「ドンキーコング」にチャレンジ。なんて面白いんだろう!!と思いました。マリオが・・って、当時マリオと言う名前も知らなかったんですけど、上の段に上がるときの一生懸命さとか、必死な感じがお尻に出てて、爆笑しながらゲームしましたっけ。
そして、結婚したとき、夫の甥10歳が持っていたんです。当時出始めだったと思う、ファミリーコンピューターを。テニスや野球などのソフトを持ってたと思うけど、大人がやっても面白いなと思ったのは、マリオブラザーズ。コインを取るだけの、今思うと他愛のないゲーム。だけど、すごく面白かった。。。
そして、スーパーマリオブラザーズが登場。世の中にこんなにも面白いものがあるのか!!と思いましたね。折りしも甥が、新しい本体を買ってもらい、古いものをウチの長男にくれると言うので、ありがたく頂戴し(笑)、我が家に初の任天堂ゲーム機がやってきたのでした。
息子が5歳の頃、スーパーファミコンが登場。ソフトはもちろん、「スーパーマリオワールド」です。これは本体も中々高価で、幼稚園児の息子に買い与えるにはためらいがありましたけど、友だちが持っていて「一晩、本体とゲームを貸してあげるから遊んでみたら?買うか買わないかはそれから決めたらどう?」と言ってくれまして、一晩だけ、まずはマリオワールドを遊びました。
結果は一目瞭然、あの面白さを知って、買わずになんていられません。即、買いましたよ。子どもにと言うよりも親が欲しかったですね。
それから後は、任天堂なくして我が家の歴史なし。ゲームボーイ(白黒、カラー、ライト)もロクヨンも、アドバンスも、そして今はWiiに、DS、DSライト・・・。ただ、スーファミでいろんなソフトをやりましたが、マリオが基本で頂点。あとは全部マリオの亜流でしかないと思ってました。
ともかく私は任天堂と一緒に、子育てしてきたと言う感じです。特にマリオは長男と一緒にどっぷりハマったシリーズなので、感慨深く愛情を感じるキャラクターなのです。マリオは子育てのパートナーであると同時に、息子の兄のような存在。
それでも、母として、子の成長と共に「ゲームばっかりしていてはいけません」という、常識的なセリフを何度も何度も吐いてきました。これからも吐くと思います。
だけど、本書を読んで、自分の中の任天堂の位置づけがずいぶん変わって、昔の「なんて面白いものがこの世の中にあるんだろう!!」と言う驚きとわくわくの気持ちを思い出し、「ゲームばっかりしててはいけません」と言うセリフにも、ちょっと柔らかさが入るかもしれません(笑)。



なぜ本屋さんでトイレに行きたくなるのか―人間の行動を支配しているのは「脳」だけではない! /高橋恭一★★★
主婦と生活社
この本の存在を知ったとき、「これは読まねば!」と痛切に思いました。タイトルどおりのことを、私も常日頃感じていたからです。図書館で・・・・、古本屋さんで・・・・、書店で・・・・、そして、家の本棚の前でも。その場にしばらくいると、この状態になります。
しかし、それは、私だけの症状ではなく、万人に共通する現象・・とまではいかなくても、共感する人がこの世にどれほどいることか、そしてひそかに「他の人はどうなんだろう?自分だけだろうか?」とちょっとした悩みの種となっていることか・・。
この現象を、じつは「青木まり子現象」と呼ぶ・・・れっきとした正式名称があったとは。このたびビックリした発見でした。1985年、「本の雑誌」と言う本に一枚の投稿があり、それを書いた人物が「青木まり子」だったと言うことから、「青木まり子現象」と呼び習わされるようになったとか。
無論、その投稿内容は、「本屋さんでトイレに行きたくなる」というもので、その反響はすごかったらしいです。
で、本書ではそれが「なぜ」なのかを明らかにしようといろんな推論を立ててるんですが・・。下を向いて本を読むと、脳下垂体のなんとかが「OFF」になりなんとかが「ON」になるから・・とか、ちょっとこじつけでは?と思う推論もあり、面白くはあったけど、それほど「原因解明」には至らず、消化不良気味。でも、こう言うのって「なんでだろう?何でだと思う?」と言う、意見交換など含めて、「原因不明」だからこそ、面白いんじゃないかと思います。
しかし、ここで語られる「腸は第二の脳にあらず、第一の脳では」と言う説には、すごくビックリしたし勉強になりました。
なんでも、実験マウスなどの腸を切り取り、腸だけの状態にしておいて、腸の入り口に食べ物を置いてやると、腸はそれをナンなのかという分析をしながら、その物質に対する最適の消化酵素を出しながら、ちゃんと消化しながら、腸の出口まで運ぶらしいですよ。
体って、手でも足でも、絶対に「脳からの指令」で動くと思ってました。内臓もそうかなと。でも、腸に限っては、腸自身が脳みそを持っているかのように、脳と切り離されていても自分のすべき事を成すらしいです。 元来、生物の祖先はもっと単純なつくりをしていて、脳みそが先にできたか、腸が先にできたかと言うと、断然腸が先に出来ていたと。ミミズなどを例に取れば分かるでしょうと。
今は「腸は第二の脳」などと呼ばれているが、実は「第一の脳」なのではないかとの事です。 腸の要求よりも頭の脳の要求で私たちは飲み食いしているけれど、本当はもっと「自然に」つまり「腸の要求」に従わねばならないのでは・・・と言う意見にもはっとさせられました。
他には、「なぜなんとなく人を好きになってしまうのか」「なぜなんとなく行列に並んでしまうのか」など、なんとなく行動してしまうことのなぜを分析しています。



三人姉妹/大島真須美★★★
新潮社
お初の作家さん。 個人的なことを言うと、私は三人姉妹の長女。長女気質というのは絶対にあると思う。長女と言うよりも「第一子」気質ですね。「三人姉妹」なんてタイトルを見たとき、期待感が膨らみ、なんとしても読みたい!と思いました。
でも、読んでみたら、三女の水絵の視点で全てが描かれています。視点が3人それぞれに移るタイプの連作短編集か?と思ったんだけど・・・。
Amazonのカスタマーのレビューにもあったのだけど、それは知らずに読んだので、私もレビューアーの人とおなじく、ちょっと拍子抜け。 かといって、長女の視点で描いてあったとしても、この長女はかなり私とタイプが違うと思うし、姉妹間の年齢設定も、うちの姉妹とは違うので、全然印象が違いました。お姉さんの亜矢の気持ちに共感ができなかったので、残念です。
三姉妹の末っ子としての物語より、ごく普通に、将来の夢と現実の間で揺れつつ、友だち以上恋人未満の彼氏との関係にジリジリし、ときには姉の離婚騒動に巻き込まれたりし、免許を取ったり、映画を作ろうとしたり・・・という若者の姿を描いてある作品で、三姉妹という立場はそんなに強調されているとは思えなかったですね。
でも私は、人格形成には、血液型でも星座でもなく、きょうだいの中のどの立場かが強く影響していると思うので、あながちこのタイトルでも悪くはないのかも・・と思うけど、それは穿ち過ぎってものかも。
文体に勢いがあり、サクサク読めたので面白かったんですが。
一番面白かったのは、亜矢の義妹の雪子さん。もっと彼女の事を知りたくなりました。
妹の立場で描かれている、というのなら、氷室冴子さんの「いもうと物語」が面白かったです。姉の立場から読んでも共感できると言うか、妹の苦労が良くわかりました・・と言ってもずいぶん前に読んだので忘れてしまったけど(^^ゞ。



チョコレートの真実/キャロル・オフ★★★★★
英治出版
コロンブスが新大陸を発見し、スペインのコルテスがアステカを滅ぼしたときから、チョコレートはヨーロッパに伝わり、様々な試しを繰り返して、今現在私たちはとても気軽に美味しいチョコレートを、望めば毎日でも食べられます。
しかし、その裏には、チョコレートの何たるかも知らないで、原料のカカオ豆を作っている子どもたちがいる。学校にも行けず、賃金さえもらえず、ひたすらカカオ豆を作っている子どもたちがいるということ、あるいは新大陸発見の後の覇権国による、大陸先住民への暴虐無人な侵略、略奪、搾取、蹂躙などのことが書かれています。
アメリカ大陸原産のカカオ豆は、やがてアフリカで栽培されるようになり(カカオベルトという地帯で作られます)、多国籍企業の食い物として発展していきます。
コートジボアールに代表されるアフリカ西海岸の国々では、世界的な果てない需要を満たすため、幼い子どもたちまでが奴隷としてカカオプランテーションで働かされています。
「奴隷労働」を禁止する国際法があるにも関わらず、奴隷労働はなくならないのです。
するとそこにまた、子どもたちを食い物にした裏のビジネスが横行します。
片方から搾取される為に、反対側から搾取せざるを得ない・・と言う図式。
犠牲になるのは弱者です。
いつの時代にも、弱者を救おうとするヒューマニストが登場するのですが、結局巨大なチカラの前に「消され」「潰され」「駆逐され」結局「悪いヤツラ」は高笑い。
近年では「フェアトレード」という理念が国際的にまかり通ってますが、巨大資本はそれすらも「操作」している、あるいはしようとしているという現実。
問題は資本側だけじゃないのです。無論、消費者側に問題があるのです。
誰でも自分の食べるチョコレートが「幼い子どもが奴隷労働させれられて作られたチョコレート」だとは、思いたくないし、実際、そんなチョコレートなら食べたくない。
だけど、チョコの表に「スレイブフリー」=奴隷は使用していません、と書かれていたら、ホッとして食べるでしょう。その真偽は追及しない人もいるのでは。とりあえず「スレイブフリー」と書かれてるんだからオッケー、となってしまうのでは。
たとえばオーガニック・チョコレートという、農薬を使わないカカオ豆から出来たチョコレートがある、オーガニックと言う「ラベル」を貼るには、大変厳しい審査をくぐりぬけなければならない、でも、そのオーガニック・チョコを発売している会社を「巨大資本」が買収して、「オーガニック」という審査の「規制緩和」に乗り出す・・・ということも。
それでも、チョコの表に「オーガニック・チョコレート」と書かれていたら安心して、少々お高いチョコレートも食べる。それで「満足」できるんです。
知りたくないことは知ろうとしない、臭いものには蓋、これに限ります。
だって、知ったところで自分たちには何も出来ないし、あるいは不買運動をしたところで、それが本当にアフリカの子どもたちの為になるのか?って言ったら、きっとそうでもないような気がします。
あまりにも巨大な力の前には、我々一般人はなす術なし。
せめて、「それ」を知っている・・・ということが大事なのかも知れません。
たとえ自己満足だとしてもね。

「ブラッド・ダイヤモンド」を見たとき初めて「紛争ダイヤモンド」の存在を知りました。 「女工哀歌」を見たとき、自分のはいているジーパンが、あんなふうに作られていると知ってビックリしました。 そしてまた今回、チョコレートです。 世の中、こんな事がいくらでもあるんでしょうね。ごく普通に生きているつもりでも、実際には、こう言う「犠牲」「搾取」「蹂躙」などなどの上で暮らしていると言う事なのでしょうね。






橋の上の「殺意」―畠山鈴香はどう裁かれたか/鎌田慧★★★★
事件モノ、ノンフィクション。
事件は記憶に新しい、メディアでも大々的に取り上げられた「畠山鈴香」受刑者が、我が子と近所の子どもを続けて殺した事件です。
この畠山鈴香に対して、一般的にみなさんはどう感じているでしょうか?
わたし個人の抱いたイメージを振り返ってみると・・・
「だらしない母親」「すぐにキレる母親」「みだらな母親」が「子どもの世話をするのがイヤで」「虐待のすえに」「子どもを殺し」「近所のこどももついでに殺した」・・・・と言う感じかな〜と思います。 言い過ぎのきらいはあるかもしれないけど、一般的にもおおむねこう言うイメージを抱いているのではないでしょうか。
少なくとも、取材のカメラに対して、大声で怒鳴ったりキレたりした映像からは、いいイメージは持ちません。そのうえ、自分の娘を手にかけて「警察は事件なのに事故として処理した」と自ら騒ぎ立て、最終的にはすぐ近所の子どもまで殺してしまうと言う一連の流れの中では、ヒステリックな犯人に同情する余地はない、たとえ「記憶が混濁していた」とか「子どもの頃からイジメにあっていた」とか「父親に虐待を受けていた」と言うことを聞いても、「だからって殺して良いわけはない」と言う結論が出ます。
このノンフィクションの著者は、どちらかと言うと犯人側に寄り過ぎている感じです。
ノンフィクションにしてはずいぶん感情的に犯人を擁護している部分が多いと、感じました。
しかし、その敢えてそういう著書にした著者の文面からは、一般的にメディアから受けたイメージをそのままに受け取ってしまうことの危うさが切々と伝わります。
あまりにもメディアに、感情を操作されてしまっていること、検察側が自分たちの作ったイメージに当てはめて捜査を進めたことによって、真実が置き去りにされたのでは・・と気付かされます。
そして本書は、事件の真実を追究するという司法のあり方をも問う問題作になっています。
おりしも裁判員裁判が幕を開け、たった4日間で量刑を決めてしまうと言うことに対し、とても重大な問題提起をしていると感じました。
事件の背景をきちんと探り、なぜこう言う犯行をしたのか、きちんと検証して原因究明し、同じような犯罪が二度と起こらないようにすることこそが司法のあり方ではないか・・・ 「畠山鈴香は私だったかもしれない」と思った母親が何人もいたことを、忘れてはならないのではと思ったのでした。
犯人に同情しても、殺された子どもたちの命は帰らない・・とは言え、子どもの頃のイジメ(そもそも小1のとき担任に「水子の霊がついている、お払いをしなければならない」と言われたらしい。いくらその担任が悪いとは言えクラスメートに与えたダメージは大きく「心霊写真」と言うあだ名を付けられたとか。それ以後いじめられがちな子どもになったようです)や、父親から受けた虐待の数々、そしてその後の恵まれない人生には同情を禁じ得ません。人格障害や発達障害等のことも書かれているけど、この幼児期の体験が根底にあることは、想像に難くないでしょう。
自分の子どもを殺しながら、それを「健忘」してしまい、子どもが死んだことを「事件」ではなく「事故」として処理された事に憤りを感じ、警察に「事件だから調べて欲しい」と談判し、街頭でチラシを配るなどの行動に出る・・この矛盾は、かい離性人格障害の一種だそうだけど、それをマスコミや警察は「演技」と判断。だけど、よく考えてみれば「殺した」のなら「事故」として処理されればホッとするのが本当のところであって、やっぱり鈴香受刑者の行動の矛盾はもっと良く審議されるべきだった。
もしも、娘の彩香ちゃんが死んだときにもっと突き詰めて捜査されていれば、二件目の事件「豪憲くん殺害事件」は起きなかったのです。
結局「健忘」という壁に阻まれ、「橋の上」で何があったのか、母親が娘になにをしたのか、何をしなかったのかということが曖昧でうやむやなままに刑は確定しました。
人が人を裁くということの難しさ、裁判員裁判制度の是非など、色んなことをじっくりと考えさせられる一冊となりました。



弟を殺した彼と、僕。/原田正治★★★★
ポプラ社
仕事中で事故で死んだ男性が、実は会社の社長に保険金をかけられて、そのお金目当てに殺されていた殺人事件の被害者だった・・・という、事件の、被害者の兄の手による手記。
最初は「事故」として処理されて、1年以上経ってから別の殺人事件がきっかけで、「実は弟は殺人事件の被害者だった」と知らされた著者。
最初は犯人が憎いばかりで「死刑に!」と思っていましたが、他人の目から見れば「意外にも」著者は犯人の死刑を望まず、生きて罪を贖って欲しいと考えるようになります。
だけど、特筆すべきは、著者がこの犯人を「長谷川君」と、「君」付けで呼ぶこと。
犯人と文通らしき事をして、そのうえに面会もしていること。
そして、犯人の死刑を望んでいなかったこと。
・・・と、上記の3点を取ってみただけでも、まるでこの著者が犯人を「赦している」ような錯覚を覚えてしまいますが、そうではないのです。
犯人は捕まって、裁判にかけられ、死刑判決を受け、死刑になります。
でも、だからと言って著者の気持ちが「おさまった」ということはなく、相変わらず弟を殺されたと言う悲しみや苦しみや恨みの中で生きているのです。
この本で考えさせられたのは「被害者の遺族の気持ちを慮って」という、判決文の一部分について。
もともと、「それなら、被害者が天涯孤独だったらどうなるんだろう?」と思っていたんだけど、今回この本を読んで「では、被害者の遺族が死刑を望まなかったらどうなるんだろう」と言う疑問も加わりました。
殺人事件は起こしたほうの家族も辛い思いをします。犯行によって、本書の加害者の、まず親代わりの姉が自殺してしまい、そして次には加害者自身の息子が自殺してしまいます。
なんとも辛い結末です。
しかしそれ以上に殺人の被害者側には、本当に理不尽な苦しみばかりが課せられてしまうと言う事も、とても良く伝わってきました。
たとえば、最初、この弟は「事故死」だったから「保険金」が下りたのだけど、その後「実は事故死じゃなく殺人だった」と分かったら、保険会社は下りた保険金の返還を求めてきます。でも、葬儀の費用や、保険会社が勧めた保険にそのまま入ったりして(弟の死亡保険でまた兄も保険に入ることになりました)保険金はそのまま残ってはいない。それでも全額返金を要求されて、保険の解約(買い取り)など、手を尽くしてもやっぱり何百万円かは借金が出来てしまったらしいんです。
犯人である長谷川君は刑務所の中で3度の食事を与えられてヌクヌクと生きているのに、殺されたほうは借金だらけと言う矛盾。
それに著者はこの事件に執着する為に家庭がうまく行かなくなります。
仕事先でも近所の人たちからも、事件の絡みで眺められてしまうと言うつらさなど、被害者なのに・・・・とやりきれないです。
奥さんにしてみれば、もっと家庭に目を向けて欲しかったでしょう。
たしかに犯人が死刑になったからと言って「ジ・エンド」になることではない、しかし、本当の「被害者遺族の感情」は当事者にしかわからないのです。当事者でもないのに死刑制度の是非を論じる事は、やめたほうがいいんじゃないのか・・・。などなど・・・。
色々考えさせられました。



2009年の読書記録*7月



母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き/信田さよ子★★★
春秋社
「墓守は任せたよ」と母に言われて、今までの母の自分への献身を「謀られたのか」と思う・・・端的に言うとそんな親子のことを分析した本です。ウチの親子関係にはちょっと当てはまらない部分もあって、それほどこの本に分類されるタイプの中には身につまされるものはなかったように感じますが、要所要所で自分の「過去」が頭をもたげて、とても居心地の悪い思いにさせられた一冊。 「赤毛のアン」が好きな人は全員が全員「孤児願望」があったとは思わないけど、確かに孤児願望があった私には、その部分が一番はっとさせられたかも。 家庭内での夫の立場が問題の根源だとする後半では、なんだか自分がその「夫」になったような気がしましたがそれはなぜ・・(笑)。



恍惚の人/有吉佐和子★★★
新潮社
舞台は今から35年以上も昔の1972年、主人公は、その当時ではハイカラな「働く主婦」。スープの冷めない距離である離れには、夫の両親が住んでいて、舅のほうは根性が悪く主人公をネチネチといびるような男だったのだけど、姑の突然死がきっかけなのか、はたまた舅のボケが先だったのかわからないけれど、主人公たちが気付いたときには、すでに舅のボケが大変に進んでいて、主人公は否応もなく自分をいびりぬいた舅を介護しなければならなくなったと言う話。
主人公がほとほと困る様子がリアルに描かれていて、古い物語だけど一気に読まされてしまいました。特に、舅は自分が元気なときは、息子の妻である主人公をいびりにいびったらしいのだけど、ボケてからは自分の息子や娘の顔もわからず誰かも分からないのに、主人公のことだけは認識していて、何をするにもこの主人公、昭子の名前を呼ぶのです。夜中のトイレもこの昭子でなければ「同伴」させず、昭子がたまにはあなたが行って下さいと、夫に頼んでも、息子である夫を「泥棒」だとか「強盗」だといって怖がり、昭子の名前を呼ぶのです。
今ほどの主婦は働きながら主婦もしている方々が大半だと思うけど、この時代はなかなか希少であったと思われる昭子のようなライフスタイルの持ち主でさえ、やっぱり介護は「嫁」のすること、と思っていたようで、介護の重荷がドッと双肩に掛かっていてその重いこと。読んでいてこちらも気が重くなるようでした。 自分だったらと置き換えると、この主人公のような立派な態度は取れないだろうと思うし、自分の狭量を差し引いてもこの主人公は立派過ぎるような気がしてしまいますが、とても読み応えのある一冊でした。 入れ歯を自分で作って、それを箱いっぱいにためておくとか・・・そういう描写のひとつひとつに「うわ!」と思いながら読みました。



自分の体で実験したい/レスリー・デンディ他★★★★
紀伊國屋書店
第1章 あぶり焼きになった英国紳士たち
第2章 袋も骨も筒も飲みこんだ男
第3章 笑うガスの悲しい物語
第4章 死に至る病に名を残した男
第5章 世界中で蚊を退治させた男たち
第6章 青い死の光が輝いた夜
第7章 危険な空気を吸いつづけた親子
第8章 心臓のなかに入りこんだ男
第9章 地上最速の男
第10章 ひとりきりで洞窟にこもった女

サウナに入って、どんなに体を温めても、人間の体温は変わらない。と、いわれて見れば「そんなの当然」と思うかもしれないけれど、かつては周囲の温度に合わせて体温も変化していると思われていたらしいです。この第一章「あぶり焼きになった英国紳士たち」に登場する紳士たち(軍人さんもいる)は、90度以上の温度の部屋にこもり、人間の体温が周囲の温度に関わらず一定を保つことを実証しました。彼らのお陰で、いま、病気になったとき真っ先に体温を測って、体調の目安や病状の推測に用いられているようなのです。
と言う風に、自分の体を使って、さまざまな実験に取り組んだ人たちの列伝。
科学者たちは「喜んで」実験台になり、病気が発生すると「自分の憶測が間違ってなかった」ということで「喜ぶ」ほどです。その探究心・・・・同じように危険に身を晒しても、たとえば自分の趣味だけではなく、人類の為になるんだから、意義があるのだと文中に出てきまして、フムフムと思った次第。
第3章の「笑うガスの悲しい物語」のように、身を呈して実験をして、結果を出してもその手柄が認められたのは、死後20年以上経ってからだったとか、(しかも本人は自殺してしまう)、第4章「死に至る病に名を残した男」や、第5章「世界中で蚊を退治させた男たち」のように、自分の体に病原菌を打って(あるいは、その可能性のある蚊にわざと刺されて)その結果病気が悪化して死んでしまった科学者もいて、結果的に気の毒な科学者も多いです。彼らの壮絶な実験の果てに今現在はいろんな事が分かっているんだとしみじみ思わせられます。

原書はアメリカで、子ども(小学校高学年から中学生)向けに書かれたものらしく、訳本である本書もとても読みやすいので、お子さんにもオススメできます。 真似したい・・・と思われたら困りますが・・(^_^;)



絶対貧困/石井光太★★★
光文社
1日1ドル以下で生活している、絶対的な貧困層の人々と、ともに寝起きした著者ならではの生の声が聞こえるルポルタージュ。 「もの乞う仏陀」や「神の棄てた裸体」など、過去の著書と比べて、さらに踏み込んでいるように感じましたが、その絶望感をカバーするためか、ことさら明るい調子に努めているように思います。そこが、なんとなく違和感があったかな。 でも、現地でこれだけの取材を出来るライターは、そうはいないと思うのでその点は、やっぱりすごいことだと思います。 フィリピンの女性が売春をしながら、子どもを売春宿でそだて、そこから学校にもやらせているのですが、著者の「こんなところで、お母さんの売春する姿を見せては、子どもによくない影響があるのでは」と言う意味の質問に答えて「子どもがわたしの売春する姿を見て、軽蔑して『お母さんのようになりたくない』と思えば、それが一番子どもの為になるのだ」と言う答えを返します。 この言葉が本書の中で一番印象に残っています。






風花病棟/帚木蓬生★★★
新潮社
医師を主人公にした物語の短編集です。 医師として患者の死に立会い、あるいは命を救い、感謝されたり思い出を語ったり・・・。 どれもしみじみとした物語ですが、テーマがテーマだけに切なさがこみ上げる物語が多いです。 時々はウルウルとしながら読みました。 短編集は苦手なので、これも読むのに時間がかかりましたが(^_^;)。

「藤籠」がめちゃくちゃ切ないです。泣けた。
「顔」という作品では、衝撃を受けました。
「ショットグラス」うーん、許せない。
「終診」しみじみしました。
お医者さんは代々お医者さんの家系って多いようですが、ここにも父と息子の確執や思い出を交えた作品が2〜3ほどありました。
医師の・・というよりも、人として真摯で優しさのある人々の物語だったような気がします。
先日読んだ「ノーフォールト」でも考えさせられたけど、今の医療制度に抜け落ちているのではないか?と思われる「人情」みたいなのが詰まってました。



デンデラ/佐藤 友哉★★★
新潮社
すさまじい小説です。なんせ、登場人物は、アラウンド70からアラウンド100歳までの「老女」たちのみ。姥捨て山に捨てられた彼女たちは、「デンデラ」という自分たちの村を作り上げ、ひそかにコミュニティを作り、しぶとく生きています。あるものは、自分を捨てた村への復讐に燃え、あるものはそこで余生を静かに送りたいと願い・・・。50人もの老女たちが、それぞれの思惑の中で対立しながらも、老女たちを死滅させようとする「自然の脅威」と戦い・・・・と言う物語です。
すさまじかったです。
しかし、いつの時代の設定なんだろう?と言う疑問を筆頭に、老女たちの名前に全て名字がついていたり、言葉使いや、身のこなしも、その体力知力など、どこをとっても、リアリティに欠けた感じがしました。昔話の雰囲気は皆無。
ひょっとしてこれって、現代なの?と思うほどでしたが、振り返って語られる老女たちの若い頃の生活は、やっぱり現代ともかけ離れていて、読んでいてずっと疑問がぬぐえず、違和感が高まっていきました。 老女たちがサバイバルで段々と減っていく・・・・って、バトルロワイヤルの老女版か?という印象。



女神記/桐野夏生★★★
角川グループパブリッシング
「じょしんき」と読みます。 桐野さんが描く古代日本神話。 桐野さんだからまぁ一気に読まされるが、興味のある分野ではなく、心惹かれなかった。 今まで読んだ桐野作品では、どれよりも「ふつー」だったかな。



ノーフォールト/岡井崇★★★★
早川書房
産科に勤める若い医師、柊奈智(ひらぎなち)は当直の夜、容態が急変した妊産婦の出産に立ち会う。その妊産婦は緊急性の高い帝王切開をすることになり、奈智が執刀をすることになった。一旦は成功したかに見えた手術だったが、その直後に容態が急変し、奈智は裁判に巻き込まれてしまう。 出産と言う医療に生き甲斐を感じて、その世界に入った奈智だったが、現実に周産期医療を取り巻く状況はかなり厳しく、翻弄され疲弊してしまう。そんな中で、医師として成長していく奈智の姿をとおして、現代医療の抱える問題点、矛盾点などを克明に提起した意欲作。

うーん、こんなひどい事になっているのか・・・。と言うのが読み終えて正直な気持ち。
正直言って、とうの昔に出産と言う大事は済ませてしまったので、(子どもたちへの問題として捉えるにはまだ先のことかな・・)現実問題として切実な感じはないんだけど、でも、近頃ニュースなどで聞く「出産を受け持つ病院の激減」とか「市内に産科が皆無」とかの話は、えらい時代になったなぁ・・・と暗澹と感じてはいました。
だからこの本を読んで、そのからくりと言うか原因と言うか、だからこんなに産科が減ってしまい、妊産婦たちが困っているのだということが改めて良くわかり、事の重大さに愕然とした次第。
主人公の若い医師は、その志とは関係なく医療訴訟に巻き込まれます。
どんなに誠意があって力を尽くして治療に当たったとしても、患者側がそれを承知していたとしても、裁判に持ち込めば医師を悪者にしなければならない・・という図式。
訴訟を恐れて産科に入局する医師が減っているらしいですが、この作品では、人員不足による当直の多さなんかも大きな問題になっていて、確かに悪循環を生んでいると思えます。
日本がアメリカ方式になんでも転換して行き、そのうちアメリカのような「訴訟大国」になってしまえば、どんな未来が待っているのかと思うと空恐ろしいです。
著者は、「無過失保障制度」と言うのを日本も取り入れるべきだと紹介しているのだけど、その制度は、医療事故がおきてしまったとき、その事故が「医療過誤」と「医療災害」のどちらでも患者側が補償を受けられるというもの。本書に書かれているので、ここでは詳しく書きませんが、その制度であれば、医師側患者側が一体となって事故の原因究明に取り組み、結果的に医師側も、患者側も、そして後年同じような事故を防ぐためにも、誰のためにもなると言うすぐれた制度であるように思えました。
この作品は、現役の医師である著者が、医師がどんどん減っていく今の医療界を憂えて、その現実を世間の人に知ってもらいたいとの願いを込めて書かれたものだそうです。だから、医師と作家の二足ワラジというわけではなく、本書はいまのところ、著者唯一の「小説」のよう。
小説としてのネックは、医療の専門用語が多発され難しいイメージになってるということぐらいで、主人公奈智にとても好感が持てるのと、奈智をとりまく医師団の人柄のよさも(医師たちを良く描きすぎているのでは?と言う気持ちがなくもない(笑))あいまって、物語に入り込みやすく、面白かったです。
是非とも厚生労働省はじめ、お役人さんたちに読んでもらって、参考にしてもらいたいです。



今日の風なに色/★★★★



/★★★
感想



2009年の読書記録*6月



やんごとなき読者/アラン・ベネット 訳:市川恵理★★★★
白水社
バッキンガム宮殿にお住まいのやんごとなきご身分の、女王様。あるとき、移動図書館を見つけ、気まぐれから本を借りて見ます。そこから女王様の「読書人生」が始まるのです。人生もかなり終盤に達しようとする時、敢えて「新しい領域」に踏み込む楽しさ、読書していく事で自身が少しずつ変わって行く過程、読書によって鍛えられていく思考、そして、何よりもやんごとなき身分の者の読書を好まない周囲との「戦い」が、とてもユーモラスに描かれていて楽しめる作品。
本が好きなら、誰でもこの本は楽しく読めると思います。
かつては面白くないと感じた本が、読書を積み重ねる事でいつの間にか「読むチカラ」が備わり、その魅力を充分に味わえるまでに(本読みとして)成長した女王様の姿に、本読みの先輩として「よっしゃ」と思う気持ちと(ナニサマ??)、自分には長年読書をしていてもそのチカラが備わったと言い難い忸怩とした気持ちが妙に入り乱れてしまいました。
最後に女王の出した結論に至るまでには、紆余曲折があるんだけど、それすらもその「結論」にたどり着くための「ご縁」だったと思うと、人生にはこうした「ご縁」と「出会い」が絶妙に面白いはたらきをもたらすと言う側面があるなと感じ入りました。



実録闇サイト事件簿/渋井 哲也★★★★★
幻冬舎
思った以上に怖い本でした。
闇サイト、というと、忘れられないのは2007年の「闇サイト殺人事件 名古屋OL拉致殺人事件」です。あの事件を知ったとき、誰もがその内容の恐ろしさに慄然としたはずです。犯人たちは「じゃあ、誰でもいいから襲っちゃう?」という、軽いのりで犯行に及びます。
その犯人たちが集まったきっかけと言うのが「闇の職業安定所」と言う「闇サイト」だったのは、記憶に新しいと言うか強烈な印象がありますが・・・。
第一章:闇サイトと殺人依頼
第二章:自殺系サイトとネット心中
第三章:出会い系・家出サイトに潜む罠
第四章:ネットで流通する合法ドラッグと大麻
と言うように、本書の内容である各章のタイトルを見ただけでも、ネットの怖い面ばかりが実感として迫ってきます。
ひとつひとつ詳しく書くのはやめておきますが、これらを読んで思ったのは、今の世の中のなんと病んでいる人々がたくさんいることか・・・と言う事。インターネットが普及して、病んだ人々が表面化して来ただけに過ぎず、本来も病んだ人々は沢山いたのかもしれないけれど・・・。
妻が邪魔だ・・・弟を殺したい・・・父親を殺したい、で闇サイトに殺人を依頼する。
振られた腹いせに元彼復讐しようと「復讐サイト」に殺人を依頼する。
それが「呪いサイト」の場合もあるらしい。みんな真剣にそういうことを考えるんだ・・と思うと、そのことにビックリ。世の中こんなにも絶望に満ちているのか。
もちろん、依頼を受けるほうも・・・。
それは「自殺サイト」の章でも強く思います。死にたい人が多すぎます。こんなに生きにくい世の中でいいんだろうか・・。日本の自殺者は1998年以降、年間 3万人を越えているらしいです。リストラにあった中高年などの自殺者も増加しているらしいですが、30代などの若い人たちの自殺もすごく増えているようです。自殺サイトにはそういった人たちが心中相手を求めてやってきたり、あるいは死にたい心境を吐露して分かち合ったりもするようですが、中にはそういった人を利用して自分の異常嗜好のために連続殺人を犯した犯人のことも書かれていて、恐ろしいとしか言いようがなかったです。
著者は、だからと言ってネット規制をしても、そういった人たちの問題は別の場所で形を変えて噴出するに違いなく、ネットを規制して安心できるものではないと言います。
報道によって加熱し、模倣する形で、より多くの事件や自殺者が激増する場合もあるし、色んな問題点が複雑に絡み合っているのがよく分かりました。
ネットリテラシーと言うけれど、冒頭に書いた名古屋のOLの事件などは、いくら自分が気をつけていても巻き込まれる可能性があるのでどうしようもない・・・。
一体世の中はどうなるのか、暗澹としてしまいますが、本書はいたって冷静に問題点を分析しているので、一読の価値ある良書と思います。



森の365日/宮崎学★★★★
偕成社
著者が「フクロウ谷」と呼ばれる、長野県上伊那郡中川村の奥地の山中。
昔は田んぼがあったらしいが、機械が入らないほどの山奥だった事、減反政策の為に野生化したその土地に、著者はフクロウを観察する為に機材を持ち込み、小屋を立て、まさに365日そこに住みフクロウやその他の動物たちや自然を観察したようです。
生物学者ではないので、フクロウの生態については詳しく書かれていない。でも、実際にそばに暮らし観察したその日記風の文章は、フクロウたちの姿をとてもユーモラスに、愛情深く伝えてあり、微笑ましく面白く読みました。
フクロウは以前はカエルもよく食べたようだけど、今はもっぱらネズミが主食だそうです。一晩に多いと一羽で20匹のネズミを食べるらしい。
人間のいる所にネズミはわくので、フクロウも案外人間に近いところにいるようです。
ところが、人間がたとえばカラスよけに張った網などに、フクロウが引っかかって死んでしまう。
親フクロウが死ねば、巣の中で親が持ち帰る餌を食べられなくなったヒナも死んでしまう。
フクロウが減れば、ネズミは天敵がいなくなって爆発的に増える。
ネズミが増えれば・・・病気の蔓延やら、住まいへの侵食など、人間は困りますよね。
結局人間は自分で自分の首を絞めているということですよね。
この本が書かれたのが1992年、あとがきに、フクロウ谷はひょっとするとゴルフ場が建設されるかもしれないとあります。その後どうなったんだろう?
しかし、私がアウトドアを想像するとき、トイレはどうするんだろう?とか、買出しは何日おきに行くのだろう?とか、なんとなく主婦目線で見てしまうんだけど、 トイレは・・・やはり、自然の中で、自然のバクテリアの分解能力に頼ってるらしい。
蚊はいないんだろうか?と思うけど、アブに刺されるとたまらなく痒い・・という記述はあるけど、蚊のことは書かれてない。ちょっと不思議。蚊って山奥にはいないんだろうか?栗拾いにいったとき、すっごい蚊がいて困ったことがあったんだけど。
小屋に、色んなネズミが来ると言うのも面白かった・・・自分ならイヤだけど。蛇も来るし、カメムシも来る、そしてカマドウマ。
なかなか覚悟のいる山中生活。 本書を読んで、少しなりとも、自然の中で生活したような気分を味わえました。



森の写真動物記/宮崎学★★★★
理論社
先日、この著者の「森の365日」を読んで、森の動物を被写体とする写真家の苦労と言うか、努力を垣間見てすごく感心しました。(エラソーですが・・)そしたら、こう言う写真集を出されている写真家さんだと、改めて分かり、さっそく手にとって見ました。
さてこの写真集はシリーズとなっていて、
1 「けもの道」
2 「水場」
3 「ワシ・タカの巣」
4 「亜熱帯の森 」
5 「クマのすむ山」
6 「樹洞」
7 「草食獣(そうしょくじゅう)」
8 「肉食獣(にくしょくじゅう)」
と、あります。
今回読んだのは「樹洞」と「草食獣」の2冊。
色んな迫力ある写真があって見ごたえがあるんだけど、写真だけではなく、宮崎氏がその目で見て、感じ、経験から考察したいろんな事が書かれていて、とても勉強になります。
たとえば、今シカやキョン(シカよりも小型、台湾原産のシカの外来種)が増えすぎて、高山植物が食べられてしまうと言う被害などが深刻化してるそうだけど、それはなぜか・・・元来草食動物は、食べられる側にあるので、食べられても食べられても種が残っていくようにプログラミングされている(つまり、たくさん産み、たくさん育つ)。近年環境の変化や、天敵であるオオカミがいなくなったり、人間が狩りをやめてしまったことで、増える一方になったらしいです。
自然は絶妙なバランスを保てるように、うまい具合になっているみたい。そのバランスを崩しているのは人間ですよね。本当の自然保護って一体どう言うことか、考えたい・・・と、そういうことや、自然の仕組みのなんとも上手く出来ていることが子どもにもわかるように易しい言葉で書かれているので、オススメです。
「樹洞」も、樹に穴が開いて、それを10年のスパンでシジュウカラが使い、その後小型フクロウが使い、その後は大型フクロウ、そしてモモンガ・・・最後にはクマが使う・・・と言うように、1000年ぐらいのスパンで森が生きているという、気が遠くなるような、でもとても宇宙的な神秘さを感じさせる解説文が、とてもいいです。
「森の365日」で、著者が観察していたシジュウカラの巣が、あるとき蛇にやられていてショックだった話があったのですが、この写真集にそれが載っていて「ああ、これは!!」と、思わず唸ってしまいました(笑)。でも、蛇も生きてるもんね。食べたいもんね(^_^;)
他の本もまた読んでみたいです。



雪冤/大門 剛明★★★
角川書店
平成5年、司法試験の合格を目指しながらホームレス同等の暮らしをしている石和は、ある殺人事件の現場に出くわす。そこで二人の若者が殺され、のちに仲間の一人が犯人として逮捕された。
石和はその15年後、弁護士として、殺人事件の被告である青年の弁護を引き受けていた。その青年は、死刑判決を受けながら冤罪を主張していたのだった。

「雪冤」とは、無実の罪を晴らすと言う意味。タイトルの通り、死刑判決を受けた息子の為に真犯人を探そうとする父親八木沼を主人公に、あるきっかけから八木沼に協力するようになった津田というストリートミュージシャン、そして石和弁護士の必死の奮闘を描く。そして八木沼(息子)を無条件で憎む遺族たちの姿を描きながら、15年前の事件の真実に迫る。
被害者側、加害者側、二組は真っ向から対立していたのだけど、真犯人と言う人物から接触があったことから物語は意外な方向に進む。一体八木沼は本当に冤罪なのか、接触してきた「真犯人」なる人物は誰なのか、本当に真犯人なのか。今頃になり接触してきた理由は何か・・・。
八木沼(父)も、元弁護士だった事から過去の事件も含め、目まぐるしく物語は展開しする。 死刑は是か、非か。その論争が本書で展開されるけれど、それが一番読み応えのある部分でありまた著者の訴えたかった事だったのではないだろうか。
・・・・と言う意図はよく伝わったし、実際死刑の廃止か存置かということで考えさせられたけれど、物語としては少々読みづらく、人物関係もある部分把握しにくく混乱したし、最終の結末に至るまでの「フリ」が余りにも長く展開に納得できかねた。



三たびの海峡/帚木 蓬生★★★★★
新潮社
主人公の河時根は、日本統治下の朝鮮で、苦しいながらも家族と共に生きていましたが、日本軍の強制連行により、日本で炭坑夫として強制労働させられます。

物語は、強制労働から辛くも生き残った主人公が、帰りついたふるさとで長い年月を過ごした後に、あることが耳に入り、みたび目となる海峡を渡り、日本にやってくるところからはじまります。 耳にはいったあることとは、自分たちが強制労働を強いられた炭坑の象徴とも言える「ボタ山」をなくし、合理的で近代的な施設を建ててしまおうという、政治家の動きがあるということ。 その政治家とは、自分たちを無理矢理日本に連れてきて、人間以下の扱いの中で労働を強いていた、かつての責任者だったのです。 風化させてはならない、その象徴のボタ山をなくしてはならない、と、主人公は日本に渡る決意をしました。そして、もう一つの理由は、主人公が日本女性との間にもうけた、息子に会うため。そしてもうひとつの理由とは・・・。再び日本に渡った主人公が、なしえた事とは・・・。

主人公が振り返る苦渋の思い出が、とても衝撃的です。この本を読んで、確かに原子爆弾を落とされたし、ものすごい空襲を受けた日本は戦争の被害国である。だけど、それと同時に、加害国でもあるんだと言うことをまざまざと突きつけられます。
原爆資料館、平和記念公園・・・それらも大事です。戦争は被害を受けたからこそ「二度と戦争をしてはいけない」と、痛切に思えるのかもしれないけれど、自分たちの国が、かつてファシズム国家であり、他国を蹂躙してきたと言うことも、同じくらいきちんと受け止めて次の世代に引き継がなければならないのでは・・・と、本書を読むと、そんなことを思えます。

それだけではなく、帚木さんらしく、そこかしこに、「思いやり」があるのが泣かせる一因。
連れ去られた主人公が、ふるさとを思う気持ち、両親を思う気持ち、また両親が主人公を思う気持ち、労働者同士の連帯感や、極限の中でもちゃんと友だちを思いやる気持ちが、とても帚木さんらしい優しい筆致で書かれていて、前半は読んでいる間中、泣けて泣けて仕方がなかった。



誘拐児/翔田 寛★★★★
講談社
内容(「BOOK」データベースより) 終戦翌年の誘拐事件。身代金受け渡し場所、闇市。犯人確保に失敗。そして十五年後、事件がふたたび動き出す―。人間の非情と情愛を見つめる魂の物語。第54回江戸川乱歩賞受賞作。

感想・・・・・

なんという、Amazonカスタマーたちの評価の低さ。 しかし、私は面白かったです。評価の低さの原因は、単行本の末尾に掲載されている、選評委員たちの書評でおおむね納得。だけど私はこの著者の文章の読みやすさに、すごく好感が持てた。ともかく先を急がせる引力があり、サクサク読めてしまった。

たしかに、登場人物たちの誰にも感情移入できなかったし、犯行の手口やトリックがあいまいだなと言うイメージはあったけど、一気に飽きることなく読めたので、私にとっては「面白い本」でした。 次作にも期待します。



マリリン・モンローという女/藤本 ひとみ★★★
角川グループパブリッシング
マリリン・モンローって私にはあまり馴染みがない。映画も見てないと思う。 でも、波乱万丈な人生を送った事は聞き知っている。その人生はこんな感じだったのか、とよく分かる内容でした。恋多き女・・・なかでも、クラーク・ゲーブルの最後の作品となった「荒馬と女」にまつわるエピソードや、ジョー・ディマジオとの関係(結婚生活が短く終わった理由や、その後の復縁など)などがとても読み応えあった。 でも、やっぱりこう言うのはノンフィクションで読みたいほうですね。 映画「ノーマ・ジーンとマリリン」と言うのがありますが、マリリン・モンローって本当に多重人格だったのでしょうか。色んな出来事を「多重人格だったから」で済ませてしまっては不服に感じてしまいます。ちょっと胸に迫るというところまでは来なかったかな。



用もないのに/奥田英朗★★★
文藝春秋
いま、一番好きな作家はと訊かれたら、私は「奥田英朗」と答えます。 その奥田さんのエッセイは初めて読みました。 口が悪いですね。(笑) 「泳いで帰れ」とか「バカ」とか。 北京五輪で野球観戦のようすや、楽天イーグルスが出来たときの仙台球状での観戦のようす、不二ロックフェスティバル、あとは・・・愛・地球博の感想などが書かれてます。 さらっと読めて面白かったです。



介護現場は、なぜ辛いのか
   ―特養老人ホームの終わらない日常/本岡 類
★★★★
新潮社
私にとってはミステリー小説家の著者が、なんといつの間にか介護士に? ご自身のお母さんの病気がきっかけで、介護の資格を取りった著者(ヘルパー2級)。 実際に、特養老人ホームで週2日の非常勤職員として働くことになります。
その期間は5ヶ月間でしたが、その間の老人ホームでの出来事をレポートしながら現在の介護のあり方やシステムに問題提起を投げかける一冊。

ともかく、3Kと呼ばれ、低賃金(時給850円、月収正規職員でも手取り12万とか15万とか18万とか!!)重労働の印象が強い介護の現場。それがどうしてなのか、「なるほどなー」と思えるほど丁寧に書かれています。(さすがに、とても読み易く分かり易い。スルスルと2〜3時間で一気に読めました。) 読めば読むほど介護士さんたちの大変さに頭が下がってばかりでした。

たとえば、老人ホームでの入所者に対する職員の虐待、虐待まで行かなくとも入所老人への「拘束」、あるいは職員同士のイジメ、あるいは介護士が夜勤明けに起こす交通事故、などなど、一概に事件や事故を起こした方をだけ糾弾しても、問題は解決しないと言う事がよく分かります。

それと同時に、トシを取って死ぬって言うことは・・・ラクじゃないなぁ、壮絶だなと思ってしまいました。 シモのせわを誰か他人にしてもらわなくちゃならない日が来るんだろうか・・・まぁそれまで生きているかどうかも分かりませんが。

著者は自分の姿を美化せずありのままに描いてあり、決して一般的に言う「出来のいい」介護士ではないのだけれど、好感が持てました。 色々と自分の身に置き換えて、考えさせられる一冊。介護するほうとしてもされるほうとしても。 行政の今後の対応にも期待したい。このままじゃダメです。絶対に。



猫の品格/青木るえか★★★★
文春新書
るえかさんの本は久しぶりですね。この人の「主婦」シリーズは絶品です(笑)。いったい、青木るえかってナニモノなんだろう?このひとのご主人も強烈なインパクトがあるんですけど、どんな方なんだろう?っていつも、エッセイを読みながら思ってしまいます。

今回はタイトルの通り、猫について。品格って言うか、猫について書かれた本で、るえかさん曰く、「愛猫家」じゃないとのこと。「猫飼い家」と自称しています。好きで飼ってるんじゃない、飼わずにいられないのだ、と自嘲をこめて。でも、どう見ても猫が好きなんですよね、るえかさん。

冒頭、20歳の猫に夜中に起こされる場面にまず、絶句。 マンガやテレビに出てくる有名な猫たちの分析が面白い。たとえば、トムとジェリーのトムは、ずるがしこいようで肝心な所でマヌケ・・とか、ひみつのアッコちゃんのシッポナは、その名前がよく出来ているとか、「動物のお医者さん」のミケねえさんは、猫らしい猫だとか、そうそうその通り!!と頷ける部分がたくさん。 「グーグーだって猫である」の小泉今日子について、ダメ出ししていたりしてるのも興味深く読みました。るえかさんに映画撮ってもらいたい。でも、やらないでしょうね(笑)。 るえかさんの一番の魅力は、気取りもないし、自分をよく見せようというところが微塵もないところだと思う。偽善もないし、偽悪に近いんじゃないかと思うほど露悪的ですらある。 でも、村上春樹さんの魅力をしっかりと捕らえてて解説してくれてる辺りが、そんじょそこらのタダのだらしない主婦とは違うなぁと思わせられます。 「1Q84」で社会現象を巻き起こしている村上春樹、猫がすきなんですってね。るえかさんが村上さんの、猫のことを書いたエッセイをひとつひとつ紹介してくれてるので、たいへん面白く読みました。



サイのクララの大旅行―幻獣、18世紀ヨーロッパを行く
     /Glynis Ridley 矢野 真千子
★★★★★
東洋書林
想像してみる。インターネットはおろかテレビもない、写真集もない時代。情報と言えば噂だけが風に乗って聞こえてくるような、幸運なら何かの折に絵を見ることができるかもしれない、でもその絵だって正確なものじゃなくて、絵師ですら想像で描いたものかもしれない。
情報と言えばそういう不確かなものしかなかった時代、もしも、自分だったらサイと言う動物をどんな風に考えていたんだろう。

そんな時代、1740年のはじめに、本書の主人公とも言えるオランダ人船長であったヴァン・デル・メールと言う若い男が、たまたま人間によく慣れたサイを譲り受ける機会に遭遇しました。商才にあふれたヴァン・デル・メールはこのインドサイを連れ帰り、一儲けする事を思いつきます。
サイはヴァン・デル・メールとともに、ヨーロッパを巡業し、17年間の間、人々の常識を覆しながら、目と知識を楽しませた。そのサイの名前はクララと言う。メスのインドサイでした。
実際に存在したヴァン・デル・メールとクララの17年の足跡を描いてあるノンフィクションが本書だけど、実の所確かなことはあんまり分かってない。と言うのもヴァン・デル・メールは日記をつけていなかったため、詳細なことは、巡業先でまかれたチラシやポスター、物販商品(!)当時の画家たちが書いた絵や、周囲の人たちの記録文書などから掘り起こすしかなかったらしいから。
そういった手がかりから、クララの物語を見事に再現して見せた著者の手腕に、まず驚かされます。観ていたような臨場感、まさにその通りだったに違いないと思わせられる洞察力。部分によっては完全に著者の「想像」なのだけど、読むほどに説得させられ、納得してしまう。
ノンフィクションでありながら、物語であるのです。
クララとヴァン・デル・メールは、ヨーロッパの権力者たち・・フリードリヒやら、マリア・テレジアやら、ルイ15世といったセレブ中のセレブたちにも、クララを見せて歩いたらしく、そのつどに発揮される興行主としての才覚を披露しつつ巡業は大成功を収めていく様子がスリリングですらあります。
しかし、どこか不安が募る。ヴァン・デル・メールはクララをちゃんと可愛がったのか?ただの金づるとして捕らえていて、全然愛情を注いでいなかったのではないんだろうか?あまりにも商魂が逞しいので、愛情なんてない、金儲け主義の薄情な男だったのじゃないか?
・・・そんな杞憂が一気に晴れるラストは圧巻。
読み終えたときには、深く結びついていたに違いないクララとヴァン・デル・メールの情景が目に浮かび、その微笑ましさに思わず涙がこぼれてしまう。意外にも胸の温かくなる読後感を味わったのでした。

※ 時々、この時代に書かれた絵を参考にして、掘り起こしている記述があるんだけど、その絵が観たかった。画像もあるんだけど、もうちょっと沢山欲しかった。是非、それらの絵を挟んだものを再販して欲しいぐらいです。



2009年の読書記録*5月



パラドックス13/東野圭吾★★★
SFです。なんか宇宙の影響で、地球上にとんでもない事態が起きると言う話。
言うなれば、壊滅状態の地球に数人の男女が取り残されてしまい、その数名でサバイバルと言う話です。
だけど、これって、「漂流教室」や「7SEEDS」って言う漫画や、「ザ・デイ・アフター・トゥモロウ」とか、映画なんかも色々と思い出すシーンのオンパレードで、内心辟易してしまった。目新しさがないって言うか、どのシーンも「あったあった」みたいな。
特にお荷物みたいなメンバー君が最後に取った行動なんて、手垢の付いた設定で、まさかそうなるんじゃないだろうと思ったら本当にそうなってしまって、ああ〜〜それだけは避けて欲しかったのに。
今後の地球上の事を考え、人間を増やす事まで考えていくシーンがあるんだけど、そこもしっくり来なかったなぁ。ここは手塚漫画にもあったような設定で、ほんとにどこをとっても目新しくない。
東野さんだから、文章は面白いし、読んでて吸引力はあるんだけど、なんか読後感はイマイチ。
こんなことブログでは書けないので、ここでこっそりと毒吐き。
東野さん、ゴメン、次は期待してます。



震度0/横山秀夫★★★★
関西大震災と時を同じくして失踪してしまった刑事を探すと言う物語で、そこに他の事件が絡んで警察内部がごたごたオタオタするなかで、刑事たちの心理や本音が明らかにされてくる。なかなか読み応えのある物語でした。刑事たちが保身のことしか考えてないのがよく書けてて、どの人にも感情移入できなかった。
ラスト、この失踪した刑事が本とはどうだったか明らかになるところでは、そんなことか!って感じだったけど、それも含めて面白かったです。
好きな登場人物がいないと、あんまり面白く感じないけど、一人だけ「いいひと」がいたな。そのひとに希望を託して読みました。



魔欲/山田宗樹★★
うーん、正直言ってまったく分からない小説でした。
と言いつつ最後までは読んだけど。
広告代理店に勤める男が、段々と自殺願望みたいなのに取り付かれて、それを診療する精神科の医師の独白みたいなのが交互に来て、最初はその二人に接点がなさそうなんだけど、そのうちリンクして・・・と言う流れなのだけど、そこに意外性もなければ驚きもなく、なぜ最初にその二人の接点がぼかしてあるかも意味がわからず。最後まで何も理解できなかった。
ひとつ、スピリチュアルの考察みたいな部分でとても共感と納得が出来た。そこだけはしっかりとインプットできた。ナイス!



2009年の読書記録*4月



ミツバチが泣いている 天然ハチミツを探せ!/上之次郎★★★★
集英社インターナショナル
近頃喧しい、蜂群崩壊症候群、略してCCD。ミツバチの謎の大量失踪。私はひょっとしてこれが今年をあらわす言葉として年末に取り上げられるんじゃないかと思っています。私自身は間違いなく「ハチ」が今年のマイブーム。去年NHKでCCDについての番組を見てからずっと気になっていました。

で、この本は奥付を見ると初版は2002年。ちょっと前の本になります。
タイトルからして「CCD」と関係のある本かしらと手に取ったのですが、副題にあるように「天然ハチミツ」について書かれた本でしたが、それはそれで興味深く読みました。
この本が出たころ、中国産のハチミツに残留抗生物質がみつかって問題になったそうです。
中国産の安いハチミツに手を加えてニセモノといえるようなハチミツを流通させてきた業者と、そういう偽ハチミツをハチミツと勘違いしてきた日本の消費者の意識の低さの問題を解き明かし、ハチミツについて真剣に考えさせられる一冊でした。

まず、ここにももちろんハチがどうやって花蜜を「ハチミツ」にするのかと言う解説もあって、これは何度読んでも神秘的で面白い。花の蜜は「ネクター」と言うのだそうだけど、それがミツバチの体内で化学処理されてハチミツになる。そしてそこに花粉やローヤルゼリーを混ぜて羽で風を送り水分を蒸発させて作られます。手間暇かかってます。ミツバチが一生に作り出すハチミツはティースプーンに一杯きりだとか。ネクターだけではその中に糖分しかなくて、ハチミツのミネラルやビタミンは「花粉」と混じって、栄養分も豊富になるんだとか。
そして、このハチミツは紀元前2000年の大昔から記録に残っているほどで、人間にとっては医療品として大事にされてきたものです。
ハチミツとはミツバチがつくったものに、何も加えず、何も引かない。ミツバチが作ったものこそが「ハチミツ」であるのです。
しかし、そもそも、日本国内に出回っているハチミツの90%が輸入物で、そのうちの85%が中国産だと知っていますか?ためしに私もスーパーで見て見ました。ラベル。片っ端から中国産。 そしてそれらは全部が全部、「純粋ハチミツ」でした。
この本によればハチミツには「純粋ハチミツ」やら「加糖ハチミツ」やら「精製ハチミツ」やらがあって、とてもややこしいんですが、どうやらちょっと前まではハチミツに人口甘味料みたいな異性化糖が大量に入っていたとしても「ハチミツ類」として売ればよかったそうです。小さな文字でも「加糖ハチミツ」と言う表示があればいいんだとか。その中にはハチミツはすこしで、殆どを異性化糖が占めている様な粗悪品もあったようですね。
で、その加糖ハチミツと区別する為に純粋ハチミツと言う名前を使い始めたようだけど、(ほんとはもっとややこしい事が書いてあってうまくまとめられません。是非本書をご一読を)なんかの甘味料が混入していても消費者には分からないのが本当の所らしいです。業者のモラルに任されているレベルの話だそうで。あくまで純粋ハチミツは「天然ハチミツ」ではない。ということです。
中国産や輸入ハチミツの一番の欠点は加熱処理をしてあることだそう。
ハチミツは優れた栄養がありますが、加熱するとダメなんだって。10度の温度で10パーセント栄養が失われると言うほどで、60度の加熱処理をしてある輸入ものは栄養の面で価値は望めないみたいです。
そんなこんなが本書に丁寧に書かれていてとても興味深く読みました。
しかし、やみくもに中国産を排除するのは違うと、著者はいいます。日本では開発などで、単花蜜(一種類の花から出来るハチミツのことで、これに対して沢山の花の蜜から出来るハチミツは百花蜜と言うらしい。香りなんかも断然単花蜜がいいらしい)の蜜源になるような、たとえばれんげ畑なんかがないに等しいそうですよ。そういうものがあるのが中国なんだとか。
四国ぐらいの広さの菜の花畑だってあるんだって。見て見たいですよね。
ただ、中国の蜜の採り方にとても問題があるそうで、たとえば朝じゃなく夕方のうちに、蜜がハチミツとして成熟する前に採っちゃう。手間がかからないからだそうですが。そのため水分が多く、加熱して水分を飛ばす必要があるんだそうです。そういう問題を、日本のきちんとした養蜂家が指導して改善してゆけば、天然のハチミツの生来も明るいみたい??。
ただ中国のハチミツ業者がどうして粗悪品を納入するのかについては、冒頭にも書いたように、安いものを求める日本のユーザーにも問題があると指摘しています。
安かろう、悪かろう・・で満足するのではなく、消費者も学ぶ事が多そうです。



ダチョウ力
  愛する鳥を「救世主」に変えた博士の愉快な研究生活/          
塚本康浩★★★★
朝日新聞社
こう言う本を読むと、学者さんと言うのは本当に、ひとつのことを一心に探求していく人種なんだなぁと思ってしまう。著者は小さいころから「トリ」が好きで、(カエルも飼っていたけど)色んなトリを飼ってきました。ニワトリに行き着きニワトリの研究をした後、ダチョウの魅力に取り付かれダチョウが飼いたい一心でオマケのようにダチョウの研究をする。そして、それが人類にとって画期的な「ダチョウ抗体」の発見につながり、そのダチョウ抗体はすでに「ダチョウマスク」として世間で好評を得ているようなのだから、一般人としてはただ頭が下がる思いです。トリばっかり飼って変な子、と思いながら止めずに自由にさせたというご両親がいなかったらダチョウマスクも発案されていなかったかも知れず、親のありようも考えさせられました。

ダチョウマスクの考案、一般商品化までの道のりを描いてあるというのが本書だけど、でもそれだけじゃなく、どちらかと言うとダチョウを愛を持って優しいまなざしで見つめつつ研究するという、著者の生活のユニークさが読んでいて一番面白いところ。著者が説明してくれるダチョウの「アホ」さ加減もなんだか愛すべく思えてくるから不思議です。

折りしも今、豚インフルエンザに世間が恐々としていますが、ここでも「ダチョウ力」が頼りになるのではないかと期待せずにいられません。



全壊判定/鎌田正明★★★★
朝日新聞社
震度5の地震があった・・それは世間的には建物の被害などが殆どない地震だったが、そのマンションは臨海地の地盤の不安定な場所に建っていた為に、内部に亀裂が入り基礎も大きなダメージを受け「全壊」と判定された。 主人公は、そのマンションに入居まもなく持ち回りの順番がめぐり、理事長となってしまったフリーライターの香織。立場上マンションの代表としてもろもろの場面で表に立たざるを得なくなってしまった香織の目を通して、分譲マンションの再建への厳しく険しい道のりを描く。

120 世帯もあれば当然いろんなひとがいて、こっちは「修復」してそのままここに住みたいといい、片方はいっそ自治体が補助してくれるのなら「全壊」を受け入れて建物を壊して、サラのマンションを作ろうと言う。意見はまちまちで、それがこと「財産」の話だからお互い譲らない。どっちが「エゴ」と言うレベルではないのだろう。一番のネックはやはりお金の問題。今このマンションのローンも残っているのに、建て替えとなるとまた新たにローンを組まねばならず、それだとこのマンションを諦めなければならないと言う家庭もある。 しかし、修復して住めるようになっても、資産価値が下がり将来マンションを売ろうと思っても売れなくなるのが難点。本来建築物は頑丈に修復してそこに住めるのなら、出来る限り修理して「使いまわす」のが「正しい」と言う意見もあり、またそのほうが今の世の中の理念に叶っているはずなんだけど、どうしても新しくしたい。120も部屋があれば人の考えもそれだけあるようなもので、全然まとまらない。そこにはいろんな思惑が絡まってくる。次から次へと理事長である香織の前に問題が山積みされていき、一つ片付いたかに見えてもまた新しい問題が出てくる。

本書の著者は経歴を見ると新聞記者だったらしく過去の大きな地震も取材をたくさん積んできたのだろう。その取材が本書で上手くまとめられている感じだった。

物語は特にドラマティックではなく、どちらかといえば延々とマンション再建までの問題を書き連ねてあるだけなのかも知れないが、それが登場人物たちの特殊なキャラを通じて、きちんと上手くまとめてあるのでリアリティに満ちていて読み応えのある一冊だった。



リリィ、はちみつ色の夏/スー・モンク・キッド 小川高義 訳★★★★
世界文化社
幼いころに自分の過失で、大好きだったママを殺してしまったリリィ。乱暴で思いやりの全く無い父親と暮らしている。身の回りの世話をしてくれるのはロザリンという黒人女性(年齢不詳)。時は1960年代、時の大統領ジョンソンが公民権法にサインをして黒人にも参政権が与えられたときの物語。

映画も見たのだけど、 映画では見えない登場人物の・・リリィの気持ちが原作でとてもよく分かり、読んでよかったと思いました。かといって映画は映画で面白かったです。アメリカの田園風景もきれいだったし、ハチミツ作りの描写も良かったです。

背景にあるのは黒人への人種差別だろうけど、やっぱりリリィと言う少女が母親を慕い、人を慕う気持ちが切なくて、それに答えるようにリリィの気持ちを解きほぐして行くオーガストとの関係がいいです。オーガストはものすごい包容力と存在感。いつも静かに優しく微笑んでいて冷静で理知的で、でも楽しくてユーモアもあって素晴らしい女性。リリィは自分が、黒人に偏見がない(実際ロザリンのことを家族のように愛している)と思っていたんだけど、オーガストに会ってこんな黒人もいるんだと驚くとき、自分にも確かに偏見があったと気付きます。
聖母マリアの像が作品中に大きな意味を持っていて、リリィもマリアによって救われていくんだけど、私はマリア像よりもオーガストこそがリリィにとってマリアのような存在だと思った。
そして、メイ。3人姉妹の中で一番繊細なメイは世の中の苦しみを自分の気持ちにダイレクトに受け取ってしまう。つらい事を聞くと(それが虫の死でも)すぐに「おおスザンナ」をハミングし始め、自分ではどうしようもなくなるので、「嘆きの壁」に行く。そこはメイが自分で石を積んで作った壁があって、メモを書いてそこに差し込むと、しばらくして悲しみが薄れるという壁。 この映画は登場人物の誰もがとても印象的なのだけど、特にメイが私は心に残った。



煙る鯨影/駒村吉重★★★
小学館
つねづね、捕鯨問題のことが良く分からなくて、他の本も読もうとしたんだけど難しくて読めず、この本にたどり着きました。 私は不勉強ながら、日本ばかりが「捕鯨問題」では国際的に、いじめられている?様な感覚であったんだけど、この本には日本が過去かなり乱暴に鯨をとりまくっていたと書いてある。中には当時の関係者でさえも疑問を持つほどに、日本は乱獲して来たらしい。

そのことが結局今日国際的にも非難の的になっているとしたら、そして、伝統的に捕鯨で生きてきた漁師たちの首を閉めることになっているとしたら・・・。いじめられても当然じゃないか・・みたいな気持ちがわいてきた。何をやってきたんだ、二ホン!!と腹立たしい気持ちにさえなります。

そういう問題のほかにも、実際に商業捕鯨船(日本で5艘だけ許可されているんだとか)に乗り込んで密着取材した捕鯨の現場の描写も迫力があった。(でも、やっぱり鯨が可哀想とか思えてくる) 大背美流れとうい太地での痛ましい遭難事故があったそうで、そのことも冒頭部分で紹介があるけど、それを題材にした「深重の海」と言う作品で津本陽氏が直木賞を取ってるとか(知ってましたか?)。私も今度読んでみようと思いました。



死刑基準/
感想



風の中のマリア/百田尚樹★★★
講談社
主人公のマリアはオオスズメバチ(学名:ヴェスパ・マンダリニア)のワーカー。疾風のマリアと異名をとる最強の戦士だ。たった一ヶ月そこそこの命を、女王と帝国の為に惜しみなく差し出す。マリアの短く逞しい一生を描いた作品。

先日「ハチはなぜ大量死したのか」を読み、ミツバチの生態に迫り驚いたばかりだけど、今回こちらはフィクションでオオスズメバチ(日本最大で最強ののスズメバチ)の生態にに迫り、またしても感嘆させられてしまった。ハチはなんという奥深さがあるんだろう。

特に、オオスズメバチのゲノムの伝えかたや、シデムシなどが主人公マリアに語る「二ホンミツバチとセイヨウミツバチとオオスズメバチ」の奇妙な三者共生の姿など、へぇ〜ほぉ〜と思うことがたくさんで、とても面白かった。

ただ、擬人化してはあっても、マリアたちは「天の声」=「遺伝情報」によって、ほぼ考えることなく行動していく。考える葦と呼ばれる人間とそこが決定的に違い、行動の殆どに逡巡や懊悩がないから、共感できなくて少し残念だった。 でも、分かりやすくハチの生態を知る上で、オススメしたい一冊です。



ビルマ・アヘン王国潜入記/高野秀行★★★★★
草思社
「魔のゴールデン・トライアングル」と呼ばれる土地、それは、インドシナのタイ、ラオス、そしてビルマの国境地帯に広がる、世界最大のアヘン産出地帯である。

ここで世界の60〜70%のアヘン系麻薬が作られ、世に送り出されていると言われる。 その中でも特にビルマ (著者はこの国をあえて『ビルマ』と呼ぶ) ビルマの中でも「ワ州」と言う土地で沢山作られているらしい。理由は自然がアヘン栽培に適しているからだそうだ。

ワ州は、道らしき道もない秘境で、そしてワ人たちは首狩り族であり (さすがに今ではその風習はない) ビルマもイギリスも(植民地時代)統治できず、有史以来国家の管轄下にあったことがない。言葉はワ語と中国語しか通じない。

そんな「恐ろしげな」土地に、著者は乗り込み、そこでアヘン栽培の一部始終、ケシの種まきから栽培、収穫、アヘン製造までを4〜5ヶ月かけて体験し、まとめ上げた渾身のルポルタージュなのだ。

・・・と、聞くといかにも不穏で恐ろしく、物々しい体験談になっているかのようなイメージだと思うのだけど、表紙の写真 (麻薬の元であるケシの花が美しく咲き乱れる中に、銃を構えた兵士たちののどかな笑顔) のように、実は著者が滞在した村は、ごくごく普通の農村であり、住民たちは普通の農民たちなのだ。そこではみんな、文明が行き届かず原始的な暮らしながらも、平和に穏やかに礼儀正しく毎日を送っている。 本書からは、著者の村民たちを見つめる視線の温かさが伝わり、日本人がワの村で暮らす苦労やギャップをおもしろおかしく伝えながらも、村人たちと親交を深め村人と同じ視点に立つ、人情のあるとても面白い「読み物」になっている。この著者の人間味に好感を抱かずにいられない。 「潜入」という言葉のイメージからすると、とても意外なことに、村人たちとの別れのシーンなどは泣けてきてしまった。

アヘンと言うものが、世界人類にとって一体なんなのか、軍との関わり国家との関わりなど、考えさせられる事も多く、他にも、この現代にこう言う暮らしをしている人々がいると言うこと、多数民族と少数民族の入り乱れる国家のありようなど、日本しか知らない自分には想像もつかないことで、色々と教えられる事が多かった。

そして、アヘンの古代からの歴史、ビルマと言う国の複雑さなどが、とても分かりやすく読みやすく魅力的な文体で書かれていて読み応えがあった。 この本が書かれてから10年。混沌としたビルマで、あのワの村人たちがどうしているだろうと、思いを馳せずにいられない。



バケツ/★★★★



ハチはなぜ大量死したのか/ローワン・ジェイコブセン★★★★★
文藝春秋
「人間がこの世から消えうせても地球は滅びないけれど、虫が消えうせたら地球は滅びる」と、聞いています。そして地球はその危機に直面していると感じさせられる本でした。(この本の主題はあくまで「ハチ」ですが、結果的に)

タイトルのとおり、ハチの大量死がなぜ起きているのか、どういう影響があり、原因は何かと紐解こうとしているのだけど、それがとても丁寧に分かりやすく書かれています。

が、本書の魅力は決してそれだけではなく、ハチの生態をはじめ、(ハチってすごいです!ハチミツもすごいです!)、植物の生態、花とハチの関係、大きく言えば自然の仕組みの神秘と偉大さにただ驚き感心し、畏敬の念に打たれてしまうような気持ちでした。(ほんとに、ひれ伏したい!)

自然の仕組みは、ときには人間の目から見たら「マイナス」でも、長いスパンと大きな視野で眺めれば、自然界では「プラス」になることばかりで、本当に良くできたものだなぁと (たとえば「風の谷のナウシカ」の腐海の森は、一見人間にとって猛毒の森ですが、実は汚れきった地球上の空気を浄化する働きがある・・・と言うように。ナウシカはフィクションだけど) ひたすら感心することがたくさん書いてありました。この「上手く出来ている」仕組みの前に、人間の知恵なんぞは本当にちっぽけなものだと思わせられます。

人間は、いつも人間にとってメリットかデメリットか、生産的か非生産的か、など、常に人間の目線で考えてしまう。けれど、人間と自然界のメリットが必ずしも一致しないし、逆の場合も多いのに、人間はなかなかそれを受け入れられず、逆らおうとか、なんとかしようとか、人間の知恵と力で乗り越えようとする。そこに人間の傲慢があり、それが長年にわたって積もり積もって今現在のような「危機」が出来上がってきたと思えました。

この本の中に登場する、養蜂家のひとりが、ウェブスターさんというひとなんだけど、この人のやっている事が、先日読んだ「奇跡のリンゴ」の木村さんがやってる事とそっくりでした。

かたやハチミツ、かたやリンゴと、その収穫物に違いはあるんだけど、ふたりの考え方や取り組みの方法に符合する点というか、共通する理念があって驚かされました。

これは今後の人類と自然、農業との共存の大きな指針を含む大事な考え方、方法と思います。 是非とも、「奇跡のリンゴ」と「ハチはなぜ大量死したのか」あわせて読んで頂きたいです。



死神の精度/伊坂幸太郎★★★



貧困ビジネス/★★★
感想