2010年の読書記録*part2



OUT/桐野夏生★★★★
講談社
自分の読書記録を見てみると、1997年に読んでいますが、唐突にもう一度読みたくなって借りてきました。
(桐野さんの本を読んだのは、これが初めてだったか、乱歩賞受賞の「顔に降りかかる雨」が最初だったか・・記憶にも記録にもないけども。)
それからドラマや映画になっていて、私はドラマはあんまり見ない生活なので、ドラマはスルー、映画をレンタルで見ています。
それでも、実は内容をあんまり覚えていない・・。
前半の女4人の関わりとか、それぞれの私生活なんかは印象深かったけど、結局最後はどうなったんだっけ?
と、言う感じで・・。

以下、内容に触れまくりです。未読の方はご注意下さい。







再読して思ったのは、人物の心理描写がたくみだなぁっていうこと。いつも思うんだけどね。
だいたい、夫を殺したからと言って、人に始末を頼むのか?
頼まれたからと言ってそれを引き受けるか?
信用できない相手をその仕事に引き込むか?
たまたまうまくいったからと言って(いや、行ってないけど)その筋の人間がそんな仕事を持ち込むか?
などなど、常識で考えればありえないことだらけの物語・・。
それが、桐野さんに掛かるとさもリアルに感じられるのが不思議です。
雅子がほとんどためらいもなく、引き受けて死体を解体する。
バラバラ殺人と言うのは、女性がやることが多い。なぜならばバラバラにすれば重い死体も持ち運びや処分が手軽に出来るようになるから・・・という統計と言うか、資料みたいなのがあるんでしょう。
桐野さんはきっとそこから4人の女たちの物語を作ったと思われます。
現実的に考えれば、絶対に自分ならやらない。
でも、雅子たちはやった。
読んでいて「わーーー、ようやるよ!」と嫌悪感を持ちますか?
いや、多分どこかで爽快感を味わう人も多いのじゃないかな〜なんて、勝手に想像します。
自分のありきたりの枠にはまった極普通の生活から、物語の中では、抜け出すんですもんね。
枠を破って、自己を破壊しても、身の破滅が待っていようとも、思い切ったことがやりたいっていう願望みたいなのが、誰にでも少しはあるのでは。
それが「読むこと」で「実現」されると言う感じ?
邦子って言う禁治産者が登場します。この人がへまをして、みんなは窮地に立たされて行くんだけど(いやいや、大本は弥生が亭主を殺したから悪いんですが)、この人の目線にしても、すごくいやらしさがリアルなんですよ。貧乏の師匠がアクセサリーをつけているのを目ざとく目にするとか・・。そういう細かいことなんだけど、書き込みが優れているので、物語にのめりこんでしまうんですよね。
後半はもう、なにがなんやら・・って言う感じがなきにしもあらずで、この辺りが「印象に残らない」ゆえんじゃないかと思いますけど・・。
前半のぶっ飛ぶくらいの面白さに比べて、後半のだらだらとどうでも良いような展開は・・ちょっとねぇと、今再読しても思いますが、だからこそ、それを忘れさせるくらいの前半の面白さが印象に残るのですね。多分。
それと、同じ工場で働くブラジルからの就労者の宮森カズオっていう若いイケメンが、雅子に一途な思いを寄せますが、これは中年女が読んで見ると、いかにもいい感じ!(笑)
なんでなびかないで、あっちの男に行っちゃうのかなぁ雅子は・・・。
破滅に向かって突き進む爽快感、桐野さんの小説の魅力のひとつです。
再読してもなお、やっぱり面白かったです。




神の手/久坂部羊★★★
日本放送出版協会
市立京洛病院の外科部長白川が担当する21歳の患者、古川は末期の肛門ガン。
そのあまりの苦しみぶりを見かねて白川は、本人と古川の実質的保護者の伯母晶子に同意を得て、安楽死を選択する。しかし、古川の母親でありながら病院にも滅多に顔も見せなかった(息子の看病や介護を放棄していた)ジャーナリストの康子が、マスコミで白川の行為を「殺人」と糾弾した。
それは警察沙汰にもなり、大きな事件となっていく。
おりしも、国家による「安楽死法」が成立する動きがあり、推進派と反対派による激しい攻防が繰り広げられていた。
白川はその動きに巻き込まれてしまい身動きが取れなくなっていく。
そんな中で殺人事件が起こり・・・・。

久坂部さんの小説を読むのは5作品目。
「廃用身」「破裂」「無痛」「まず石を投げよ」と、これまでどの小説とも同じで、医療に関わる問題をセンセーショナルな形で問題提起するという姿勢は今回も健在。
「医療に関わる人材や時間や能力」といったものは「限りある資源」というのが著作から一貫して見らる柱の一つでしょう。なんせ「廃用身」では、「寝たきり老人の手足は【ムダ】だから切ってしまえ。切ることで介護をする人たちをラクにして介護の未来を手助けしよう」と言う主張。のけぞるほどにビックリしました。
「破裂」でも、安楽死に近いものを取り上げていて「国家による【望ましい死】」を実現させようとするテーマがありました。今回、この2作品をさらにじっくりと練ってきたと言う、集大成にも近いものを感じました。
安楽死と言うと、私の簡単なイメージでは「無駄な延命治療をやめて積極的に死を待つ」ぐらいしかなかったのですが、この本の中でとても具体的に書かれています。感じたのは「安楽死もラクじゃない」ということ。
苦しみから逃れ、簡単に、安らかに、眠るように死ぬことは・・なかなか難しいようなのです。
なによりも「もしも安楽死が法律で許可されたら」と言うときに起こり得る問題点がしっかりと提起されていて考えさせられます。どんな法律もそうだけど、いったん成立した場合、転がる石のようなものだと。
安楽死を望む人間だって、それが本当の本当に本心かどうかわからないし、家族も、治療に関わる医師さえも知らずに安楽死によって「ラク」になろうとしたりと言うことはないのか・・潜在的な気持ちなどは、その後にどう噴出するかわからない、と言う点。
あるいはナチスの「優生思想」に通じるものがあり、難病で余命の少ない人たちには暗黙のうちに「安楽死」を求めるようにプレッシャーが掛けられるのではないかとか・・・かなり突っ込んだところまで書き込んでありました。
それからここでは安楽死のための新薬が開発されるのですが、新薬開発に関わる政治がらみの利権抗争や、動物実験しかできないための新薬の「効果」の不透明さなど、実際にこういう問題が起きるだろうというのが、リアルに描かれていて説得力がありました。
死ぬほどの苦しみから逃れられず、治癒の当てもない、遅かれ早かれ死ぬことが分かっているのに、今この苦しみからすぐに解放されたいと思うのは間違いなのか?と言われたら、自分の身に置き換えてみたら、やっぱりそのときは「死にたい」と思うかもしれない・・だけど、私は安楽死法に反対の主張がまっとうだと感じました。
ただ、それを主張するのが作中かなり胡散臭いジャーナリストであり、主張の方法が正当ではなく好感が持てないので・・・このあたりは、作品のテーマと、それをエンタメ作品に仕上げようとする著者の意図に乖離を感じてしまいました。ムリやりにミステリー作品になっていてやたら人が殺されたりするのも、それがちゃんと解決されていないのも中途半端な気がしたんですよね。
現代の医療体制への批判もしっかりと描かれていて、JAMAという架空の団体が提起する新しい医療体制なんかは、これまたセンセーショナルなんですが、いま破綻しつつある医療制度を見ていると、凄く考えさせられてしまいます。
このように、「安楽死法」と言う、ひとつの問題に対してとても多方面からアプローチしてあって、それはそれでとてもリアルなのですが、反面話があちこちに広がりすぎて、私なんかは読むのが面倒になってしまいました(^_^;)
著者の今まで読んだ本は、すべてがそうなんだけど、テーマが凄く難しいけれど実際問題として考えていかなければならないことで興味深いのに、ミステリー風にしてあったりエンタメを意識しすぎて、テーマがぼけてしまうような気がするんですよね。
思い切りガチガチで良いから、重厚にテーマに向かってストレートに挑んだ作品を読みたいと思ってしまうのです。でも、とにかく、無視できない考えさせられる作品でした。



白砂/鏑木蓮★★★
双葉社
20歳の一人暮らしの女性が殺されるという事件が起きた。
いまどきの若い女性にしてはとても堅実で質素で地味な暮らしぶりをしていたようだ。
殺害現場には「遺骨」をペンダントにしたものが捨てられていた。
浮かび上がった中年男性との関わりは?
二人の女性の、「遺骨」との関わりを通して事件の背景に迫るミステリー小説。

なんとなく二人の刑事の人物像が好きじゃない。殺人事件を目の前にして軽口たたいたりとか・・。
本当の現場はそんなものかもしれないけど、読んでいて一気に高感度が下がってしまった。
軽妙さを出したかったのかもしれないけど。
それに、年長刑事の家庭内の部分などは下手なファミリードラマみたい。
美人の奥さんと奥さんに似た美少女の娘。ウソくさすぎてしらけてしまいました。
と、本編に関係ないことで散々けなしてしまいましたが、設定は悪くないと思いました。
真実が分かったときは「なるほど」と、得心する気持ち。
でも、この設定ならもっとドラマティックな物語になり得た気がしてちょっと残念ですかね。
今後に期待したいです。



プラチナデータ/東野圭吾★★★
幻冬舎
内容(「BOOK」データベースより)
犯罪防止を目的としたDNA法案が国会で可決し、検挙率が飛躍的に上がるなか、科学捜査を嘲笑うかのような連続殺人事件が発生した。警察の捜査は難航を極め、警察庁特殊解析研究所の神楽龍平が操るDNA捜査システムの検索結果は「NOT FOUND」。犯人はこの世に存在しないのか?時を同じくして、システムの開発者までが殺害される。現場に残された毛髪から解析された結果は… 「RYUHEI KAGURA 適合率99.99%」。犯人は、神楽自身であることを示していた―。確信は疑念に、追う者は追われる者に。すべての謎は、DNAが解決する。数々の名作を生み出してきた著者が、究極の謎「人間の心」に迫る。

個人的には「カッコウの卵は誰のもの」よりもすんなりと読めました。
近未来の話で、国民の誰もが国に管理されてしまうと言う設定は、ちょっと伊坂さんの「ゴールデンスランバー」のセキュリティポッドを思い出したりして。しかもそれがあながち全くの妄想じゃないと思えます。ひょっとしたら、形はどうあれ、国民が全て国家に管理されると言うのは、ありうる話で、それだけにリアルに感じることが出来ました。
設定がものすごくリアルで面白いんだけど、物語はそれほど・・・
いかんせん、東野さんの物語では、感情移入する登場人物がないことが多いのです。今回も誰といって、その立場に立って同調して読むという人物がおらず・・・それがいつも東野さんの作品を読んで不満に感じること。
ただ、それであっても物語がとても面白いので、ぐっとのめりこんでしまうのですが。



緋色の記憶/トマス・H・クック★★★★
文藝春秋
「夏草の記憶」に続き、同じ著者の記憶シリーズ「緋色の記憶」を読みました。
チャタム高校で起きた恐ろしくも悲しい事件に関わった、今は老いた弁護士である主人公ヘンリーの記憶。
あるときチャタム高校に美しい美術教師チャニングが転任してきた。当時学校長の息子であり同校に通う生徒だったヘンリーはその立場上からも、美術の好きな少年と言う立場からも、ミス・チャニングには近しい存在になっていく。
やがて、ミス・チャニングは同僚の教師リードと恋に落ちる。リードには妻子があるにも関わらず。
それが大きな悲劇になっていくのだった。

と言う話ですが、この人の書く「記憶シリーズ」と言うのは全部そうなのか(「夏草の記憶」もそんな感じだったけど)1・事件がある  2・事件の真実に迫る・・と言う流れではなくて、読者には何が起きたのか、誰が何をしたのか・・と言うのは最初は全然、皆目分からないのです。
せめて「何があったのか」と言うのが分かれば読みやすいかもしれませんが・・。
読みすすめていくうちに「この人が何かに巻き込まれたらしい」「この人が被害者らしい」「この人が加害者らしい」と見当が付いていくんだけど、ぼんやりと輪郭が見えてきて、徐々に実態が明らかになると言う感じで、それも実態が見えても中身がまだ見えてこないという、周到な隠し様で、ともかくじれったいです。
真実が明らかになるまでなかなかの辛抱が必要です。
それが逆にたまらないというか・・魅力なんでしょうかね。
実際「何があったの?誰がしたの?結果、どうなったの?」と言う興味にグイグイと釣られる読書でもあります。
ヘンリー少年(老人)の思い出の中にある色んな思いというのも印象に残るところです。
チャタムという何もない平凡な田舎町を嫌い、いつかここを出て行くんだと言う思春期の気負い、そんなつまらない町になじんでしまっている父親への軽蔑・・・
何もかも投げ出して、どこかに行きたいという思い、だけど、それをするだけの決意もなく・・
というとても中途半端な少年時のジレンマと言うか、鬱屈が全編に見られるのですが、自分にも覚えがあるようなないような・・・共感できるところです。
そしてたとえば「人生とはままならぬものだ」と諭そうとする父親の言葉とか「心の飢えは人の定めであり、人はそのむごい苦しみを、信じることで癒すのだ」と言う一節や、全てを捨てたいのだけど捨てきれないのは、「自分以外のものに対する不可解な真心だ」などという一節が、ものすごく心に残っています。
ひとつを求めて、それが手に入っても、また次が欲しくなって現状に不満を抱く・・人は常に「飢えて」しまうものなのですよね。その飢えを癒すのは、結局は人の心、思いやりや真心だということ。
ヘンリーはそれを教えてくれようとした父親の気持ちが、その当時ではなく、年老いた今になって分かるのです。
人生とはまさにそうしたものかもしれません。大事なことは後からじわじわ分かってくるのかも。
皮肉にも、あんなにも離れたがっていたこの町に、老弁護士となったヘンリーは、い続けます。
ヘンリーがこの町にい続けるのには、それも独身を通すのにも理由があり、その理由がわかるラストは衝撃。
こういう衝撃を味わいたくて、また別の「記憶シリーズ」を読むと思います。






夏草の記憶/トマス・H・クック★★★★
文藝春秋
「これは私の記憶にあるなかでも、もっとも暗い話である。また、このことについては、誰にも語るまいと固く心に決めていた話でもある」
こう語りだすのは、主人公のベン・ウェイド。「事件」からは三十余年経っているけれど、その「記憶」に苦しめられている。時々、親友のルークからも事件について意見を問われては戸惑っている。
その記憶とは、同級生の女の子、ケリー・トロイが巻き込まれた惨たらしい事件だった。
いったい、その事件とは・・・。

というだけの話・・・と、言ってしまえば身もふたもないけど、それが解き明かされるまでが延々と、ベンの思い出話の中で語られる。青春の一こま、ひと夏の記憶がとても鮮明にみずみずしく語られる。
真実になかなか近づかず、とてもじれったい気持ちで読み進めたが、衝撃のラストにはうなってしまった。
人が人を愛するときの感情、一瞬で愛が憎しみに変わるとき、そして後悔の念とともに残りの人生を生きる辛さなどが克明に書かれていて、ラストの衝撃に拍車をかけていた。
ちょっと私には想像がつかないラストだった。


いま、「沼地の記憶」と言う本の感想をあちこちでちょこちょこ見かけ、興味を持ったが、図書館に蔵書がなくて、同じ著者のこの本を借りたのでした。
記憶シリーズ、というものがあるらしく。
読んでみたい・・・・かも・・・・。
翻訳は苦手だけど、ドロドロ感が好みなんですよねぇ〜〜(^_^;)



昭和十七年の夏 幻の甲子園 /早坂隆★★★★★
文藝春秋
朝日新聞社主催の夏の全国高校野球選手権大会、いわゆる「夏の高校野球」は、今年で92回目ですが、戦争中は中断されていました。昭和16年〜20年までの4年間は大会は開かれませんでした。
がしかし、実は昭和17年には、甲子園大会が開催されています。
朝日新聞主催ではなく、国(文部省)の主催だったため、92回の中にはカウントされていません。幻の甲子園と呼ばれるのはそのためです。

本書はその「幻の甲子園」の当時選手だった人たちからのインタビューにより、当時の選手たちの姿や世情とともに、「幻の甲子園」大会を再現しているのです。


とにかく、冒頭の「序章」から泣けてくるようなエピソード満載でして・・。

物資も不足気味、練習時のボールはつくろったり糸を巻き巻きしては使っていたとか・・17年の大会は朝日新聞主催ではないので、宿泊費などの金銭的援助もなく、旅費の捻出に苦労したとか何とか、もう聞くも涙みたいな話が続くんですけど、ともかく球児たちは野球がやりたい一心。
どこが主催でも関係なかったといいます。
野球が出来る、甲子園が開催される、その喜びが・・・今の時代からは想像もつかない大きな喜びであり希望であったろうと言うことが、伝わってきます。

でも、この年は国が「戦意高揚」を目的として開催されたため、おかしなルールがたくさんありました。
選手のことは、選手ではなく「選士」と呼んだ・・・とか、打者はデッドボールを恐れて、投手の球をよけてはダメだったらしいです。突撃精神に反することはNG。
同じ意味で、よほどの大怪我でなければ、控えの選手との交替も許されなかったそうです。選手は最後まで死力を尽くして闘えということで・・。
そのため、交替したくても出来ず泣きながら投げていた投手もいたという・・。
変な年齢制限もあったそうで(旧制中学なので、13歳から19歳までの幅広い年齢差があったようです)そのため出場できなかった選手もいて、そういうエピソードのひとつひとつに胸を打たれました。

戦争中は誰もが当然のように、「学校を出たら戦争に行く」「戦争で鬼畜米英をたおす」と思っていたそうです。だからこそ、大好きな野球を「今しか出来ない」のだから、「懸命に」やった。。
そして、昭和16年の甲子園の中止は残念なことだった。
そしてなお、昭和17年の甲子園の開催は喜ばしかった。
その選手たちの気持ち。
後の学徒動員の覚悟、「これが最後」っていう気持ちにも泣かされましたが、徴兵されてる間にも「野球がやりたいなぁ」と思ったとか言う話とか、実際に戦死してしまった球児たちの話などはもう、涙なくして読めなかったです。
戦争と野球が同居する時代・・私には想像も付かないけれど、確かにこういう時代があって、それでも人は野球をして恋もして生きたと思うと、言葉がありませんでした。

世間的にも「この非常時に野球なんかやって!」と悪く言われることもあったけれど、大抵の人たちには野球は人気だったらしいです。
何もかも制限され、統制された不自由な世の中で、野球が人々にもたらした活気と言うか、元気と言うか、希望みたいなのが・・・今とはまた別の感動と言うか、みんなに野球は「何か」を与えたんだろうな〜と思うと、胸が詰まります。
「収容所から来た遺書」を読んだときも、人が生きていくうえで「娯楽」がどんなに大切かということを感じたけど、今回も思いました。


平和な時代に生きて、野球でも何でも、思う存分やろうと思ってできると言うのはとても幸せなことだな〜と、改めて思いました。陳腐な言い方かもしれませんが・・。
そして、この人たちのこと、この時代のことは語り継がれて行かねばならないのだとも・・。



日本における野球の歴史や、高校野球の歴史、甲子園の土を詰め帰る習慣の始まりとか、まぁ多分野球ファンのひとなら知ってる話かもしれないけど、そう言うのも色々書かれていて興味深いです。
後年プロで活躍した有名選手や監督の名前もあり、私はそこまで知らないんですけどそれでも感慨深いです。
島清一って選手をご存知ですか?
この17年の大会には出場してないけど、昭和14年の大会で5試合で完封勝利、その中でも準決勝と決勝の2試合連続でノーヒットノーランという偉業を達成した人物だそうです。江川卓や松坂大輔なんか目じゃない大人気だったそうです。(そんな書き方はしてないけど)
そういう逸話も感動しながら読んでいます。
本書の中で印象的なのは、平安中学の富樫淳。。。。なんとも言葉がありません。あとは、台北中学の菊池兄弟。広島商業の澤村さん、年齢制限に引っかかり出場できなかった選手たちなどなど・・・。

戦争中は学生の体育大会みたいなのも戦争運動っていうのがあって「手榴弾投擲突撃」とか「土嚢運搬縦走」とか・・・そう言う話も興味深かったです。
実際に甲子園の開催中に時代を超えて過去の甲子園を観たようで、とても感慨深かったです。



ラスト・チャイルド/ジョン・ハート★★★★
早川書房
主人公のジョニー少年13歳は、一年前に双子の妹が誰かに連れ去られ、行方不明になったのを発端に、両親の不仲、父親の疾走、母親のドラッグ中毒育児放棄、土地の実力者による母親の恋人気取りとDV・・という辛酸を舐めた生活を余儀なくされています。
そんなジョニーの親子を心配し、何かと世話を焼いてくれるハント刑事は、実はジョニーの母親に気があるらしく、ジョニーは妹が見つからないのも影響してすっかり大人不信に・・・。
ジョニーは自分ひとりで妹を見つけようと、非力ながらも孤独に闘っているのですが・・・。

まず、このジョニー少年。とても健気で母性本能をくすぐられます。
妹はどこかで生きていると信じて、自分だけで危険な捜査を繰り返していて、それが結局意外な真実を明らかにしていくのですが、その過程が意外性に富んでいて面白く、ジョニーの健気な姿に応援しないではいられず。
子どもだから非力だし、すぐに大人たちの介入にあってしまうのだけど、めげずに自分の信念を貫き通しては妹の捜索に没頭します。その姿は頼もしくもあり、カッコよくもあり。見応えがありました。

捜査の結果真相はとても意外なものだったのだけど、アメリカのネイティブの人々の歴史にも触れられていて、運命の連鎖というものをとてもうまく描いてあり、うならされました。
読み終えてみればものすごい感慨と達成感が・・。
読んでよかったな〜と思わせられる一冊。



誘拐逃避行/河合香織★★★
新潮社
事件は今から7〜8年ほど前。9歳の少女が47歳の離婚歴のある男性に誘拐され、沖縄で少女は保護、男は捕まった。しかし、少女が口にしたのは「帰りたくない」という驚くべき言葉でした。少女は家で虐待されていたのではないか、そのため男を利用して逃避行を図ったのではないか、誘拐ではないのではないか?
著者は当初、この小さな少女が取材を進めるうちに男よりも優位に立ち、子どもらしからぬ罵倒や命令で男に指図する立場であったとあたりをつけるのです。その線で取材を進めていくのですが・・・。獄中の男とも手紙のやり取りをしています。
しかし裁判が始まって、驚くべき事実が明らかになります。
それは取材を重ねた著者や弁護士など支援者たちを裏切るものでした。。。。。

読み終えて思ったのは、今までこんなにもやもやする気持ちが募るばかりのノンフィクションを読んだことがあったか?ということ。。。
大抵のノンフィクション、事件モノは、事件の真相がたとえ明らかになっていなくても、どこか自分的に事件の真相に近づけた気がするものです。そうでなくても、被害者には無論のこと時には犯人に同情してしまったり、という感情が動かされたりするものです。
が、この本は違う・・。読めども読めども、真相が分かっても、全然分からないのです。
何が分からないのか?ひょっとしてそれすら分からないのかも知れません。
少女はいったい家族から虐待を本当に受けていたのか?
父や母に見捨てられた哀れな生い立ち・・・それだけで、こんな性質になってしまうのか?
男はいったいどういうつもりで少女と関わりあっていたのか?
なぜ、少女にみだらな行為をしたのか?ロリコンだったのか?
何もかも分からないのだけど、一番もやっとすることは、解決の糸口がまったく見えてないことです。
男が逮捕され、少女が保護されるとしても(結局家に帰ったらしいですが)その解決が表面だけに見えてしまうのです。少女の根本的な問題も、男の根本的な問題も、なんにも解決されない。
男が出所すれば少女の下へ行くだろうことは明白。
そして、男が来なかったとしても、少女がこの男との関わりを絶ったとしても、別の「男」が出現するだろうと思われる。また9歳であれば、男が法律違反を犯したことになって法の手にゆだねられるけど、少女が歳をとっていたら?歳をとれば問題は解決するのか?
などなど、ともかく、何にもすっきりしないまま本を読み終えました。
こんなに気持ち悪い読書も珍しい。
作者のせいではなく、事件の性質のせいなのですが・・・・。



春狂い/宮木あや子★★★
幻冬舎
こういう本を読むと、自分の容姿が極めて平凡でよかったなあ!と思ってしまう。
美しすぎるために、人をひきつけて止まないために、却って不幸になってしまう少女の物語です。
連作短編風に描かれていて、どんどん釣り込まれていきました。
少女の身に起きたことはおぞましすぎて恐ろしいのですが、なぜか全体的に美しいイメージ。
なぜだろう?
ひとつの恋愛が描かれています。その「思い」が美しいからかも。
宮木あや子さんとは、「R−18文学賞」を受賞しているそうですね。
さもありなんのどぎつい描写もありました。
でも、どことなく美しさやはかなさが漂っていて、ちょっと癖になりそうです(^^ゞ



小さいおうち/中島京子★★★
文藝春秋
今回の直木賞受賞作品。
ちょうど、受賞の直後図書館の順番が回ってきて、早速読みました。ラッキーです(^^)
その後、図書館でもどんどん予約者が増えていますからね。
で、早速読んで早々に返してしまったので、手元には本がないのですが・・・。

戦争中の中流家庭で働いていた女中さんであるタキという女性が、当時を振り返る物語です。
大学ノートに書いていく思い出話を、若い甥が読んでは批判めいたことを言うという、過去と現代の二重構造になっていて、物語に厚みを加えています。
タキが書いたことを、歴史オタク気味の甥が「このときはもう戦局はこうなっていたんだから、こんなのんきに生活していたわけがないだろう」とか「おばさんの記憶違いだろう」とか突っ込みを入れています。
私の父親は昭和8年生まれで、戦争当時は少年でしたが、父に語らせるとやっぱり
「戦争中は、戦争が当たり前であって、そういう生活が『普通』だった。
 当然のように自分も、年齢が来たら兵隊になって戦争に行くと思っていたし
 鬼畜米英をやっつけなければならないと思い込んでいた。
 平和と言う言葉は、平和と言う状況を実感するからこそわかるのであって
 当時の生活には『平和』という言葉も概念もなかった。
 ともかく、当時はそれが『普通』だった」
と言いました。
タキが語る当時の生活感は、今現代の私たちが読むとタキの甥のように「こんな能天気な感じだっただろうか」と、ちょっと疑念もわきますが、私の父の言葉を聞いても、当時はそれが「日常」だったんだろうなーと納得できるのです。
タキが語った、赤い屋根の小さいおうちでの数年間の幸せな暮らし。
なぜタキが何十年も経った今、その家でのたった数年間のことが思い出されるのか、読んでいくうちに明らかになるのですが、タキの本心を最後に知り、はっとさせられ・・そして胸が熱くなりました。



サラの鍵/タチアナ・ド・ロネ★★★★★
新潮社
第二次世界大戦中の1942年7月、フランスではユダヤ人の一世大検挙が行われた。
「ヴェルディヴ」と呼ばれています。
捕らえられたユダヤ人たちはほとんどが強制収容所に送られ、生還できた人は一割ぐらいだったようです。
その一斉検挙を行ったのは、ナチスではなく、フランス警察だったとのこと。
法的にはフランス人であったユダヤ人たちを、フランス警察が検挙してアウシュビッツ送りに協力したのです。
そして、フランス人たちはその事件を語ろうとせず、その事件は闇に閉じ込められてきたようです。

本書は、フランス在住のアメリカ人であるジュリアが、ジャーナリストとして「モルディヴ」を取材するところから始まるジュリアの物語と、ヴェルディヴ事件に実際に巻き込まれた幼い少女の視点で語られる物語の二重構造。
そのふたつがいつしかリンクしていくのですが、そのリンクがミステリアスで読まされます。
運命と言うべきある偶然がジュリアをひきつけて止みません。
事件に巻き込まれた少女の命運は、ジュリアならずとも読者も気になって先を急がされ、一気に読まされました。
また、ジュリアの生活も家庭的に決して、うまく行っていると言い切れないところ、ジュリアはある決意を強いられることになるのですが、その辺のジュリアの女性としての観点もとても読み応えがありました。
そして、それはヴェルディヴ事件とは無縁でなく。。。
あまりにも可哀想な少女の身に起きたこの出来事が、ジュリアだけではなく、周囲のあらゆる人間に大きな衝撃と変化をもたらします。
知らなかったときには戻れない。知らないほうが良かった。いいえ、知っていなければならなかったのだと、読みながらいろいろな感情に揺れ動きました。
そして、結末。泣きました。
読み終えても余韻が後を引く物語でした。
おススメです。



民王/池井戸潤★★★
ポプラ社
過去に実際にあった出来事が、実はこんな裏があったと。
よくできていると思いました。
思ったよりも軽すぎて、他の小説家の作品を読んでいるみたいな感じがしたけど、楽しめました。
よくあるタイプの話で読み飽きたよ〜と思ったけど、そうじゃなくて意外性があったのが一番良かったです。
最後は痛快な終わり方でしたね。
でも、ざっくり読んですーっと忘れてしまってて、アップが遅くなったわ。
「空飛ぶタイヤ」みたいなの、また読みたいです。



幻影のペルセポネ/黒田研二★★★
文藝春秋
バーチャルリアリティの仮想空間で、殺人事件がおき、その死んだアバターのマスターも現実世界で殺されると言う不可思議な事件が続けて起こります。
最初の被害者となった「ヒデ兄ちゃん」を慕っていた栗栖は、犯人の手がかりを追うために、仮想空間ペルセポネに入り込む。しかし、そこで知り合ったメグというアバターに急激に惹かれていくのだった・・・。

仮想空間で起きた事件が現実社会にも影響を及ぼすなんて・・・と思っていたんですが、読んでるとかなり本当にありそうな気がしてきました。
聞いた話では、仮想空間で貯めた大金(その中でしかもちろん使えないお金)を、盗まれたとして、現実の警察に被害届を出す人間もいるのだとか。
そう言う人は、かなり仮想空間の生活が自分にとって大きな位置を占めています。
のめり込んだ人間には良く分かるだろうけど、そこまでのめりこんでないと「そんなばかな」と思えてしまうのですが、主人公栗栖の目を通して、実際にそう言う世界に足を踏み入れ、その世界の楽しさを感じ、自分の中のウェイトの割合がどんどん膨らんでいく過程が、よくよく分かります。
笑ってばかりもいられないなぁと、かなり引きつけられました。

ただ、殺人事件の真相、動機などは、本格派の小説なので、私には「遠回りしている」としか感じられず、謎解き部分はかなり説明的に感じてしまいました。
ただ、読後感も悪くないし、かなりサクサクと一気読みさせられたので、またクロケンさんの本は読んでみたいです。



結婚なんてしたくない/黒田研二★★★★
幻冬舎
夜毎可愛い女性をナンパしている佐古翔、ゲイであることを隠していて周囲から結婚をせっつかれてこまってしまっているジムインストラクターの蒲生要、焼肉屋を営んでいるが、突然父親がたおれてその介護に母親が付いてしまったため、一人暮らしになってしまった真鍋聡士、アニメキャラうららちゃんにぞっこんでオタク街道まっしぐらの藤江克実、同僚で恋人のプロポーズに頷けずギクシャクしてしまう相馬浩文・・・この5人が「結婚」について、何らかの形で考え始めたとき、偶然にも全員に「運命の女」が登場する。
急激に「結婚」に近くなっていく5人の男たちに降りかかる運命やいかに・・・!

なかなか面白かったです。ライトな文体が読みやすいので、さくさくっと一気に読めました。
それぞれのキャラが全然タイプが違ってて、それでいて、同時に結婚を考え始める・・・と、それぞれのキャラが結婚に対してどう感じるか、どう行動するかが、面白くて読み応えがありました。全く違うタイプのキャラたちのそれぞれの考えがバラエティーに富んでいて面白かったです!
後半、ミステリー色が出てきたな・・と思ったら、なんとなく、展開が読めたというか、「ひょっとして・・・!」と思ったら当たってました!(笑)
分かっても最後まで面白く読めました。

黒田研二さんは「ウェディングドラス」と「今日を忘れた明日の僕へ」「ガラス細工のマトリョーシカ」の3作品しか読んでないのですが(実は「本格推理小説」っていうやつがとても苦手なのです。ゴメンナサイ!!)、今後また手に取ってみようと思っています。






リアル・シンデレラ/姫野カオルコ★★★
光文社
シンデレラを元にして、ある一人の女性の生涯を描く中で、本当の幸せとは何かに「はっ!」と気付かされるようなものがたりです。
主人公は家族や周辺のひとたちから見たら、愛らしく誰からも好かれる美人の妹と事あるごとに比較されてしまいます。そのため、幸薄く可哀想な「泉」と言う女性。
だけど、泉は本当にみんなが思うような「可哀想」な人だったのか?
じっくりとその生涯が描かれ、読者に泉の本当の姿・・本当の気持ちが見えてきます。
それは可哀想ではなく、とても豊かな生き方であり、気持ちであること。
でも、人は誰しも、自分の物差しでしか人を計ることが出来ない。
自分の価値観の中でしか、その人の幸せを願ったり感じたりすることが出来ない。
そうした、手前勝手な物差しや価値観によって、泉の本当のすがたは、隠れてしまうのです。
本当には、他人を理解しようとしないエゴイズムによって、泉の真実の姿はゆがめられてしまうのです。
ひとはみな自分に理解出来ない生き方をする人物にはイライラさせられるし、納得できない、しようとしないのでしょうね。物語の中でなら、私もきっと「継母」や「姉」の立場で、エゴイズムによって、ゆがんだ真実を見てしまうのでしょうが、物語を「読む」ことで全体を俯瞰できたのが幸い・・と言う感じがしました。
泉の生き方は、本来、誰にとっても本当に幸せである生き方なのではないか、と思います。

ただ、世間的には圧倒的な高評価ですが、個人的にはまぁまぁかな・・って感じです(^_^;)。
好みだろうけど、あんまりそこまで好きではない。
俯瞰しているつもりだったけど、結局は「継母」「意地悪な姉」の立場だから理解できないのかもね。



台湾人生/酒井充子★★★★
文藝春秋
これは、同名のDVDがありまして、それの書籍版ということらしいです。

台湾のお年寄りたちは流暢に日本語を話す、というのを聞いたことがある人が多いと思う。その台湾の“日本語世代”に、子どもの頃から現在に至るまでの話を聞いた。
本書は、通訳をいっさい介さず、すべて日本語によるインタビューの中で彼らが語った言葉をもとに構成している。(「はじめに」より抜粋)


ちょっとミーハーなことを言いますと、台湾のジェイ・チョウが大好きです。
だから台湾のことを少しは知りたいと思ってました。
ちらちらっとネットなんかで見ると、台湾の人たちって親日家が多いとのこと。どっちかって言うと、今の日本人よりも右より??なかんじ??で、日本は台湾を植民地支配していたはずなのに?と不思議に思ってました。
この本を読んでやっとその理由が分かりました。
というか、恥ずかしいことですけど、本当に台湾のこと、何も知らなかったなぁ・・・。日本とは国交断絶しているとかすらも・・。すみません、ほんとに・・。大恥??(^_^;) だって、観光のCMしてるじゃないですか?国交断絶しているなんて・・。
ましてや二二八事件や白色テロなんていうのも・・。霧舎事件っていうのはかろうじて聞いたことがあったけど、だから、いったい台湾で日本と言うのはどう評価されているんだろうと思ってました。

日本が台湾の人たちに(と言っても、日本の教育を受けてきたひとたち、世代に)人気があるのは、「犬が去って豚が来た」っていうことで、植民地支配が終わった!といったんはやっぱり喜んだようだけど、その後に来た中国国民党があまりにもひどかったので、まだ日本の方がましだったということなんだろうとは思います。
植民地支配とは、やっぱり負の歴史だと思う。したほうもされたほうも。
台湾のその世代の方々は、日本人よりも日本人らしい教育を受け、女性なんかは生け花や茶道、行儀作法まで完璧に覚えたそうです。
もちろん、そんなことだけじゃなく、戦争に借り出された男子たち。
日本だったら、戦争に行って戦死したら、恩給とか遺族年金とかもらってるでしょ。でも、台湾の人たちは、そうやって教育を受け、日本人となんら変わらない「軍国少年」たちだったのに、「お国のために」と戦争に行って、そのお国って言うのが日本なのに、それでも、遺族年金ももらえず・・・。
かけていた一般の生命保険だって、払い戻しがされてないそうですよ。
そう言うことは、一般的にはあんまり知らされてないと思うんですよね。
知らないことが多すぎる・・・というか、知っていることが少なすぎる・・と感じました。
それなのに、日本語を話す世代が語る日本人像はすばらしい。
いいことしか書いてないんじゃないか?と思うぐらいです。
台湾の人たちのなかの日本は、とても複雑みたい。
「愛憎」が複雑に入り混じってるのが良く分かりました。
台湾の人々は、独立したい。台湾の人たちによる「国」をつくりたい。
切実な思いが伝わってきました。




こんな夜更けにバナナかよ/渡辺一史★★★★
北海道新聞社
筋ジストロフィーの鹿野さんが、ボランティアとともに生きる姿を追ったノンフィクション。 第25回大宅荘一、第35回講談社、両ノンフィクション賞受賞。 人工呼吸器をつけているので、廃痰や体位変更など24時間のケアが必要。 ボランティアたちとの温かい心の交流・・かと思いきや、そうではなくて、どちらかと言うとけんか腰になってしまって、ある意味闘い?と言う感じも多々ある壮絶な介護日記。 たとえば、私が「あ、バナナが食べたい」と思ってバナナを食べる。それはわがままでもなんでもない。ダイエット中とすれば意思が弱いぐらいのもので、誰にも文句など言われないでしょう。たとえ続けて2本食べたって、呆れられこそすれ、だいたい怒られもせず終わっていくでしょう。 体の向きを変えるにしても、「よし、体の向きを変えるぞ」なんて思いもせずにやってます。寝返りなんかも無意識です。 息も普通にして、普通に喋る、歩く、動く、つかむ・・・テレビが見たければ見るし(無論家族とのチャンネル争いなんかはあるにせよ)それを、わがままと感じたことは一度もありません。 だけど、鹿野さんのような、全身性の重度しょう害者になると、私たちがごく普通に、意識もせずにやっていることをやろうとするだけでも、人の手を借りねば出来ません。 たびたび重なれば「わがままだなぁ」となってしまう。 だけど、本当にわがままなの? 鹿野さんにとっては、わがままと思われてしまうことをしてもらわないと、生きていかれないと言うことです。 生きることがすなわち、わがまま・・になってしまっている。 我らはよく「ひとに迷惑をかけてはいけない」と言われます。 あるいは「社会に貢献しなければならない」なんてことも、聞くことがあります。 じゃあ、社会に貢献も出来ず、人に迷惑をかけることでしか生きていかれない、鹿野さんのような人は生きていてはいけないの? いやいや、そんなことはない。生きている人たちには絶対に生きる権利があるのです。 そもそも、迷惑を掛けるって言うけど、完全に人様に迷惑を掛けずに生きている人間がいるのか。 いませんとも。誰だって誰かの世話になってるんだから。 それを自覚するかしないか。 そして、迷惑を掛けているという自覚のある人は、迷惑を掛けられてもいいんだという許容の気持ちが持てるはず。 誰にだって「夜更けのバナナ」はあると思う。 それをお互いに尊重して、助け合いながら生きていかれる世の中を目指すべきだと言うことかな? と、本書を読んで思いました。



巡礼/橋本治★★★★
新潮社
ごみ屋敷の住人の人生を丹念に描いた作品です。
ワイドショーなんかでよく話題になるゴミ屋敷。
結構日本全国に点在しているんじゃないでしょうか。
テレビで見ていると、「すごい!」「こんなになるまで放っておいたんだなぁ」「近所のひとはたまらんだろうな」などなど、まぁ人事〜・・・みたいなコメントを思い浮かべてそれで終わり。
でも、この本では、その人の人生に何があって、どこがどうなって、ゴミ屋敷になってしまったのか・・・というのが、人生をなぞりながら、昭和の歴史を背景に描かれています。
ゴミ屋敷を取り巻く周囲の反応と絡めて、人々の心理描写がリアルに感じられ、もしも自分だったらどういう風に書かれるのだろうな、などと考えながら読まされました。
前回読んだ「橋」も、同じく実在の事件を昭和史とともに描いてあったので、これらは一連のシリーズと言えるのでしょうね。
でも、「橋」が、フィクションとノンフィクションの間で途半端な感じがしたのに対して、こちらは、ノンフィクションではこうは描けない、フィクションならではの迫力みたいなのを感じることができました。フィクションだからこそ書けると言うか・・・。これはモデルがいたのでしょうか?「橋」の設定と同じように、ほとんど良く似たモデルがあったのかもしれませんが、私はそれを知らないので、まったくの創作と受け取りましたけど。
誰が悪いというのでもなく、何が決定的に悪いというのでもなく、全てのことが絡み合ってこういう結果になってしまった。
防ぎようがなかった・・・と言うこともないだろうけれど、もっと頑張ってナントカしようと思えば出来たかもしれないけど、外野からそう言って主人公を責めるにはあまりにも気の毒な人生です。
一歩違えば、誰にもこういう可能性はある、人事と思っていたけれど、いつの間にか自分が当事者になってるかもしれないですね。
家族や地域のつながりが弱まり、限界集落があふれてくると、まさに人事じゃない。
そんな怖さも含みながら・・・でも悲しくて切なかったです。
ラストはちょっとだけ、ほっとしましたが→ネタバレ(断絶していた弟が駆けつけ問題解決の後、四国八十八番札所を巡礼する・・・兄弟のつながりが復活し、ようやく希望を見出したのだけど・・・)でも、この男の人生はなんだったんだろうな・・と思うと泣かされました。
なんて・・・、人の人生を「なんだったんだろう」と思うとは、それこそ不遜な考えだと気付く。
まぁともかく、人の一生とか人生とかについて、しみじみと考えさせられる部分は大いにありました。
・・・しかし、読みづらい文章でしたわ・・・(^_^;)。
なかなか進まなかったんだけど、読んでよかったです。



鼠、闇に跳ぶ/赤川次郎★★★★
角川書店
赤川次郎さんの初の時代小説だそうで。。
と言っても、こちら「鼠、闇に跳ぶ」はシリーズの2作品目で、1作目は「鼠、江戸を疾る」だそうです。私はこちらは未読で、シリーズものって知らなかったので、第2弾の「闇に飛ぶ」から借りてしまいました。
まぁ、読んでいないので比較は出来ませんが、こちらも充分楽しめました。
タイトルのとおり、鼠小僧次郎吉の話です。
江戸の街中で普通に暮らす町人たちに、侍や殿様たちは無理難題を押し付けたり「切り捨てごめん」で一刀両断したり、あるいは気に入った女の子を見ると、イイナヅケがいようがいまいが関係なく「召し」たりと。
町人たちが翻弄されたり困らされたりするのを、助けるのが鼠です。
義賊として名高い鼠小僧、もうそれだけで充分キャラ立ちしているって言うか、それを赤川さんが軽快でテンポ良く、そしてカッコよく描いてあるから、気分爽快な(時には理不尽なまま、哀しい終わりを遂げる話もありますが)時代劇になっていて、私はそれほど時代小説を読まないから余計にそう思うのかもしれませんが、とても楽しめました。
鼠小僧には妹がいて、これがまた気風が良くて腕が立つ、面白くて高感度高い女の子なんですよ。
むかし何冊も赤川作品を読みました。登場する女の子たち結構こういうタイプが多かったなと思い出しました。
まぁともかく鼠がカッコ良いったら!
そんな鼠だから、恋人をパートナーにするよりも、妹にしてくれたほうが女性読者は安心ですよ(何が?)。
さくさくっと一気に読めました。面白かった!





サンザシの丘/諸川怜★★★
光文社
若い一人暮らしの女性の殺人事件から、犯人と思しき男の背景が浮かびあがるが、そこには日本が戦後に抱えた大きな問題があった。「自分は何者でもない」と言った、男の言葉は何を表しているのか。

「小さな夢を持ち、つつましく生きる若い女性が殺された。義憤を胸に秘めたひとりの刑事が辿り着いたのは、帰る場所も何もない男の背中だった。社会に翻弄される名もなき人間たちの悲劇を哀感を込めて描く。」

↑カッコ内は、借りた図書館のWEBページに書かれた紹介文。これに惹かれて借りたのですが、可もなく不可もなくというところでしょうか。
ちょっと昔の森村誠一さんあたりの社会派推理小説を読んでいるような感覚でした。
刑事たちの視点で物語が進んでいくのですが、捜査の核心に近づくのがどうももたついているようで、中盤かなりだれてしまいました。あんまり捜査がサクサク進んでも、物語としてうそ臭くなるだろうし、あるいは短編になってしまうだろうし、その辺は引っ張らねばならないだろうとは思うけど、、、などと、余計なことを考えさせられながらの読書、ちょっと一気読みって言うわけには行きませんでしたね。
ラスト、何もかも分かったときはそれなりに納得できたし、社会派ミステリーとして書きたいことも分かったし、考えさせられることが多くてよかったんですけど、やっぱりもたついた感じが残念でした。




モンスター/百田尚樹★★★
幻冬舎
モンスターと呼ばれるほどに醜い顔で生まれた主人公が、美しくなっていく。
一言で言えばそんな物語かもしれません。
個人的には美容整形には興味が無い・・・といえばウソになるかも。
簡単に美しく変身できるのなら、試してみたいことも無くも無いような・・・そんなに真剣に考えたこともありませんが。どっちかっていうと、本書にも登場するように「親からもらった大事な体にメスを入れてまで美しくなろうとするのは間違い」という「常識」にとらわれてきたような気がします。
(実際、ピアスさえしていません)
だから、この主人公に共感はできないんだけど、読んでいくうちになんだか応援したくなるというか、この人の気持ちも解らんでもない・・と思えてきました。
そして、この人の目を通して、世間は美人に対してどう思ってどう行動するか、ブスと美人の違いは何か・・ということが解った気がします。正しいかどうかはもちろん、解らないはずだけど、本書を読む限り「そうだな!」と納得させられました。
たとえば、光背について。美人に対しては知的なイメージを抱き、いい印象しか持たない場合が多い・・美人であるというだけで、他の要素についても勝手に「いいイメージ」を抱いてしまうというあたりとか、あるいは「化粧しても整形しても、ごまかしていることには変わりない」と言う辺りの見識とか。
主人公の人生は、一言で言うと「可哀想な」人生でしょう。
しかし、これだけ執念を持って一つのことに突き進むのは、ある意味幸せだと思えたりもするのですが。
読み物としては、大変面白く一気に読まされました。
読み終えてからも、主人公の人生に感慨を覚え、ジンとしました。
物語が終わった後の、英介の気持ちも聞いてみたいです。



橋/橋本治★★★
文芸春秋
二人の同級生、直子と正子。実直なOLとなった直子と、水商売の正子。正反対の二人は、やがて娘たちのとある出来事で「共通」の思いを味わうことになる。高度経済成長期を背景に、二人の女たちの人生、そしてそれぞれの娘たちの人生を描いた物語。

実は、この物語のラストには、社会に深刻でスキャンダラスなイメージの話題を呼んだ、ある二つの実際に起きた事件が起きます。
主人公たちの人生が、その事件と結びつくには、私はすこし物語が唐突な気がしました。
そして、なぜ、ここに描かれる事件が実在の事件でないといけないのか?と疑問に思います。
なぜ、彼女たちの行き着く先が、あれらの事件でなければならなかったのか。
「犯人像」に迫りたくて小説が描かれているのだとすると、実際に事件のノンフィクションを読んでしまった私には、全然掘り下げられてないと思えるし、犯行のいきさつや動機がきちんと描けてないと感じられます。
「フィクション」を描きたかったとしても、ノンフィクションを読めば分かるように、実際の出来事からエピソードを拾ってきているため、まったくの「フィクション」と捉えられないのです。
どうにも中途半端な気がしました。
作家が「小説」を書くのなら、なぜ「事件」も自分で作り上げないのでしょうか。
「事件」を題材にした「小説」を描くのなら、もっと「事件の真相」や「犯人像」「動機」「背景」に肉薄して欲しいと思ってしまいます。(ほんの一例をとると、西村望「丑三つの村」とか、佐木隆三「慟哭―小説・林郁夫裁判」など)
これは私が普段からノンフィクションが好きだから、こう感じるのだと思うのです。
小説が好きな人は、こういう小説も気に入るかもしれません。
かなり傲慢な感想文になりました。すみません。
ノンフィクションとフィクションは全然違いますよね。ついつい、ノンフィクション好きの視点で・・。スミマセン。
今度は「巡礼」って言うの、読んでみようと思います。



収容所から来た遺書/辺見じゅん★★★★★
文芸春秋
1989年の講談社ノンフィクション賞
1990年の大宅壮一ノンフィクション賞受賞作品。

心の底から「この本を読めてよかった!!」と思う本は、そうそうありませんが、この本はまさにそう思った一冊です。
タイトルの「収容所」とは、第二次世界大戦のときにソ連軍に俘虜として拘束された人々が、強制労働に従事させられたところ。私などはずっと「強制労働収容所」と思ってきましたが実は「矯正労働収容所」だったそうです。
シベリアに連行されて、過酷な労働と劣悪な環境と飢餓と極寒のために命を落とした人が数知れない、などとはよく聞いたことはありましたが、本書はそのシベリアの収容所からやってきた「遺書」をめぐる物語です。

本書の中でとても感銘を受けたことは、当の「遺書」の内容のほかに3つあります。
まずひとつは、「遺書」を書いた人物、山本幡夫さんという人の人物のすばらしさです。
政治思想犯として、かなり苛烈な境遇を受けたようですが、そんな中でもユーモアや優しさ、文学や娯楽を忘れずに、崇高な精神を保ち続けます。
殺人などの凶悪犯罪よりも、政治的思想のほうがより重罪であると言うその当時のソ連で、俘虜たちが勝手に会合を開いたり話し合ったりすることは、とても厳しく統制されていました。
そんな中でも、山本さんはみんなを集めて「句会」を開くのです。この句会は「アムール句会」と名づけられ、「最後」まで続けられます。いつになったら日本に帰れるのか、帰る前に死んでしまうかもしれない、死ねば白樺の根元に埋められる・・・という、明日をも知れない死の恐怖と絶望と、飢餓や重労働の困憊・・・そんな中で、俳句を作ることがみんなの「生きる希望」につながっていくのです。
山本さんはともかく、何にでも造詣が深く物知りで聡明、あるときは本を作り小説やエッセイや詩を書き、みんなに回します。見つかれば厳しい処分が待っているので、その本は(本と言っても、わら半紙に鉛筆で書いて綴じたような)ぼろぼろになるまで仲間内を巡回した後、びりびりに破ってトイレなどに捨てられます。
後に一時、ソ連の締め付けが緩んだときになどは、舞台演劇を演出したり、ロシア語の映画に即興で翻訳をつけたりしたそうですが、それがまたユーモアたっぷりの翻訳で、映画を見ていた俘虜たちはとっても楽しんだとか。
誰もが、絶望に震え、気持ちが深く沈んでいたときにも、「ダモイが近づいているよ」と、希望を持ち、辛い毎日の中で「シベリアの空は青くきれいだ」と、美しいものに目を向ける。
この山本さんと言う人の強さや明るさ、他人に対する思いやりなどには本当に胸打たれました。しかも極限も極限のこの状態で・・!!
それとともに、文学、娯楽というものが人間にとってどんなに大切なものか、と言うこともしみじみと感じました。
こんなにも文学や娯楽で心を癒され、励まされることがあるのです!!
それが生きる希望につながるんですね。

そして感銘を受けたことの2つめは―――
病気にたおれ、切望していた日本への帰国(ダモイ)が実現せずに、亡くなってしまう山本さんの、家族に向けた遺書が、どうやって家族の下に届いたかということ。
前述のとおり、厳しく統制されていた収容所では、紙などに残した文書の類は一切収容所から持ち出すことができません。それどころか、持っているのを見つかれば厳しい処分です。
病床で、監視の目も緩やかだったからこそ書けた、山本さんの遺書は、どうして家族の下に届いたか・・・
それはぜひとも、読んでいただきたいものです。

でも、ネタバレ承知でご紹介しますと・・・・





大勢の仲間たちが「暗記する」と言う方法で「持ち帰り」そして、山本さんの家族に「届け」られるのです。
誰もがみんな「山本さんのためなら」と、危険を承知で、自ら進んで大役を引き受けるのです。
みんなが山本さんをどれだけ慕っていたか、と言うことがよく分かります。
山本さんと言う人は、自分が思いやり深い人間だっただけじゃなく、他人をもそのように仕向けてしまう、そんなすばらしい人物だったということでしょう。
遺書はとても長い文章で、今際の力を振り絞り書いたもの、それがすべて無事に奥さん方の下へ届いたということが、どんなに奇跡のようだったか。山本さんの死は、とても残念でしたが、遺書が届く様は感無量です。

感銘を受けたことの3つめは
この出来事が一冊の本となって、世に出たことです。
偉業を成し遂げたような人たちの評伝はたくさんありますが、特に何と言うには難しい・・・功績と言うには儚い、この一連の出来事がこうして本となり、人々が多く知ることになるのは、珍しいのでは・・。
そもそも、新聞の特集で「昭和の遺書」と言うテーマで投稿を呼びかけたのだそうです。それに、山本さんの奥さんが「遺書」を新聞社に宛てて送ったそうです。そして著者の手によりノンフィクションの出版にいたったとのこと。
奥さんがこの遺書を、新聞社に送らなかったらこの物語は世に出なかっただろう、と思えば、奥さんにも感謝したいです。
そして、すばらしいこの遺書の内容は、ぜひとも本書を通じて読んでいただきたいものです。

追記として、収容所で飼われていたクロという名の犬の話は、犬好きさんなら感涙するのではないかと言うエピソードで、これもとても印象深く読みましたことを加えておきます。




天地明察/冲方 丁★★★★★
角川書店
今をときめく「天地明察」先ごろ本屋大賞や吉川英二文学賞を取り、今巷で一番読まれている本と言ってもいいんじゃないかと思いますが、私は2ヶ月待って図書館の本が回ってきて、ちょうど話題の真最中に読むことができました。ラッキーラッキー(^^)
うわさにたがわず面白かった!
これは各賞受賞も頷けます。

元禄時代のはじめころ、日本では初めての暦を作った、渋川春海と言う人物を描いた物語です。
それまでは、中国の宣明暦という暦を800年使い続けて来たそうですが、「蝕」の日が当たらないなど、「ずれ」が生じてきていたんだそうです。そこで、「ずれ」をなくし、いろんな経済効果なども期待して日本で「暦」を作ろうと、時の権力者の保科正之という人物や、水戸光国などが中心となり、「改暦」に向けて準備を進め、その役目を渋川春海に任せようとしたのでした。
渋川春海はそのとき22歳。お城でお偉いさんがたを相手に囲碁を打つ家柄に生まれ、そのように生活をしていたんですが、心は「算術」に向いていて、神社の絵馬に奉納された算術の問題などを解いたりして、とある難問に出会います。その難問は「回答さん」と言う異名を取る、関孝和という人物が作ったもの。
実は本書を読んでいて、一番最初に惹かれたのが、この関孝和という人物でした。
ある種のこだわりを持ってしまって、主人公春海はなかなか関孝和に会いに行きません。だから、本書にもなかなかその正体は現れませんが、その存在感はすごいです。なんだかカッコいいんです。いったいどんな人なんだろうと、いやがうえにも期待が高まりました。後に登場する本人は、期待を裏切らない人物でカッコよし!なのでしたよ。
春海は、数学の問題や囲碁のことなどなんだか悶々としながらも、第一次観測隊とでもいう、まずは伊藤と建部と言う測量部隊に加わり二人とともに測量の旅をします。そのときの、この伊藤建部の二人がまたいいのですよ。年寄りという扱いで書かれていますが、心はとても若く少年のよう。そして、温かい心の持ち主なのです。二人の気持ちに感化され、自分を取り戻していく春海になんとも胸が熱くなりました。
暦を作る・・・と言う前に「改暦」と言うことが、現代の私にはいまいちピンと来ません。だけど、ひとつの常識を覆す大事業なんだと言うことが、読めば読むほどにわかって、身近に感じられてきました。
春海のその後の人生はなかなかに波乱万丈。
だけど、決して挫けず、挫けても立ち直って前向きに進んでいこうとするその姿に、なんど泣けてきたことか。
一見地味でありながらも、大きなその国家プロジェクトに、そうそう簡単に成功するわけもなく、成功までの道のりもまた遠く長く、春海の人生以上に波乱万丈。それがもう「本」としては面白く一気に読まされました。
ともかく、登場人物たちが、主人公の春海は無論のことみんな皆魅力的なんです。
個人個人が魅力的だし、またその人たちがお互いを思いあう気持ちが良くて、読んでいてすごく素直に感動できるのです。(余談だけど、冲方さんは井上雄彦氏のファンらしいですね。この作品の、感動のツボみたいなところは、私はスラムダンクあたりと共通点があるのじゃないかと思いましたがいかがでしょうか)
久しぶりに気持ちのいい、さわやかな涙を流した読書でした。
ただ、春海が当時で言えば長生きをしたために、その分悲しみも人一倍受けるという人生の終末には、切なさがありました。切ないながらも、見事な人生。この人の一生を読み終えて感無量です。

話題になったから、と言うのじゃなく、誰にでもおススメしたい本です!




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感想



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感想



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感想



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