2010年の読書記録*page3



七人の敵がいる/加納朋子★★★★
集英社
最近読んだ小説の中で、一番面白かった。
とても良く出来た物語だと思った。感心してしまいました。

バリバリのキャリアウーマンの陽子は、息子の陽太の就学で、はじめてPTAや学童保育と関わりを持つことになる。
しかし、仕事が順調で忙しくもあり、子どもとの時間を大切にこそすれ、PTAや学童保育に役員として時間を割かれるのは本意ではない。「働いている自分には、PTA役員なんてやっていられない」と本音をふりかざしたがために、陽子の周囲は「敵」だらけになってしまう。そんな陽子の「奮闘記」。

主人公、陽子は下手をしたら読者から総スカンを食らうんじゃないかというぐらい、攻撃的な女性です。
言っている事は確かに正しい。正論だと思うけど、正論過ぎて怖い。
そして、陽子は専業主婦を明らかに見下している。専業主婦の能力が低いと、決め付けている感じ。自分はそんな専業主婦のあなたたちとは違うのよ・・と、高慢な感じがするんです。思わず反感を覚えたのは私だけでもないと思います。実際仕事関係者から「ブルドーザー」などというあだ名をつけられたりして。こういう考えの人は多いと思うけど、陽子のように率直に言動に出す人はそうはいないでしょう。
わざとこういうキャラクターにしてあるんでしょうけどね・・・。

そんな主人公ですが、彼女も人の子であり人の親、完璧ではないということがおいおい判ってきます。
なぜなら自ら敵を作るようなことを無意識にスパッと言ってしまったり・・・しかもそれを、反省しつつも何度も繰り返したりして・・・「ひょっとしてこのひと、頭悪いのか?」と思えてくるほどです。
自分には確固たる揺らぎない信念があるんだけれど、息子のためならその信念もグラグラと揺らします。
鼻持ちならない女だったけど(笑)だんだんと、好感がわいてきました。
クチだけ偉そうにするんじゃなくて、やっぱりどんな仕事でもちゃんとできる責任感と能力があるから、見ていると胸がすくような部分もあるのです。

そして、息子陽太の学年が上がるごとに、少しずつその問題点は変化して行き、PTAの関係者だけではなく、夫や義家族や、先生や・・・はては息子さえも、自分にとって「敵」になりうるということが、コミカルながらも読者に深く納得させる形で展開して行きます。
スマートで仕事も出来る陽子ですから、物事の本質を見抜く力が大きい。その陽子の目を通して読者は、PTAや地域の関わり、あるいはスポ少、学校などのさまざまな問題点を見せられます。そこからそう言う組織などの長所短所が見えたりします。陽子と一緒に疑問に感じたり納得したりするのです。

そうしていつしか完全に、陽子の「味方」になってしまっていました。
陽子の家族のほろりとさせられるエピソードも大きな要因です。
そう言う部分をバランスよく組み入れて、1話1話いろんな「敵」の話をしながら、6年間を上手く流れよくまとめてあり、とても読み応えがありました。
結局、PTAのあり方に大きな一石を投じる陽子の姿を、後半は応援すらしていました。
清清しい読後感。

物語として、とても面白かったです。おススメ。



下流の宴/林真理子★★★★
毎日新聞社
この小説には2組の家族が登場します。
ひとつは「福原家」。その家の主婦由美子は、「下流」と「上流」をはっきり特別(差別)していて、自分は「上流」の人間であり、子どもたちもことさらには言わずとも、そう育ててきた自負がある。
ところが、二人の子どものうち弟の翔ほうが、高校中退でフリーターになり、そのうえ20歳の今、ネットで知り合った22歳の女性珠緒と結婚すると言う。
由美子はひたすら、下流の人々とは違うんだという気概を持った生き方を、その母親の代から強いられてき生きてきた。そして今ある自分の世界に満足していたと言うのに、息子・翔の人生の道を踏み外したような生き方に、途方にくれています。
長女の可奈はと言うと、大学に入ったときからいわゆる「婚活」しているような女子大生で、由美子の上昇志向と同じような・・・それ以上に貪欲に「上流家庭」を目指しているのです。
このように、福原家の女たちには全く共感できないのだけど、よくよく考えるとその思考はとても真っ当な部分もあるので、由美子に嫌悪感を感じつつも、その言い分を全否定は出来ないのです。
方や、翔が結婚しようとしている珠緒の育った「宮城家」が、由美子の言う「下流」の世界の家庭なのです。
沖縄の離島で生まれ育ったのんびりした気質は、都会の競争社会とはまるで違う社会で育てられたからでもあるのですが、ともかく、この2つの家庭を比べることにより、今現代の社会の構造が見えてくると言うか・・。
珠緒には、読者として好感を持ち始めはするものの、このようにバイトで生きている状況には、決して100%賛同できない。もしも、我が子が、生涯アルバイトでいい、そのとき楽しく暮らせるだけのお金があればいい、先のことは考えてない・・などと言う享楽的にも刹那的にも見える生き方を望んでいるとして、親として100%応援できるのかと言うと、決して出来ないです。
そんな二組の家族のバトルの物語と言ってもいいと思いますが、見応えがあるのは何といっても珠緒。
翔の母親とのバトルから、とんでもないことを言い出すのです。
そこからまた別方向に物語が展開して行き、大変面白いです。
いつもながらの林流ドロドロ感と、いつになく爽快な感じとがミックスしていて、とても面白く読むことができました。
林真理子さんの物語に登場する女たちは、いつもイヤな人たちが多いんだけど、心理描写が上手くて読まされます。
「人というのは、誰でも一度だけドラマの主人公になる時がある。そしてその興奮と熱気の最中に一生が決まり、やがて静かに後悔という冷えが始まるのだ。」
なんて・・・・、ニヤリとさせられる表現も多く、上手い作家さんだと思う。



蜜姫村/乾ルカ★★★★
角川春樹事務所
アリの研究学者の山上は、この村で日本にはいないはずの新種のアリを発見した。それを確認して発表する目的でのフィールドワークのために、今度は和子という伴侶を伴って新婚早々に、村を再度訪れた山上。
しかし、医者である和子は、その村には、年寄りが多くても病気のものは誰もいないという不思議なことに気付く。
そんな二人に予期せぬ出来事が待ち受けていた。。。。。。

すごく不思議で幻想的な物語、伝奇小説というか伝奇ファンタジーというか。
個人的にはとても苦手分野なのだけど、手にとって見れば割合にも面白くて、読めば読むほど一気読みしてしまいました。

後半の主人公の「優」の物語は、ある意味では戦国時代の「人質」になった姫様のようで、時代的に取り残された幻想的な雰囲気の「ロミオとジュリエット」的な切ない部分が面白かった。大蜂のキャラクターも、イケメンでいて寡黙で朴訥でそれでいて腕が立ち、極めつけは下僕系(ナイト?)という萌え要素が満載。禁断の恋はやっぱり読むものをひきつけます。
それだけじゃなく、蜜姫の特殊な能力というのが見もの。すごくグロテスクでありながら目が離せない。実写かして欲しい。どんだけグロイ映画が出来るんだろう。。。。

薄幸の生涯を送るかのような、優だけど、けっして不幸だけではなく、ちゃんと周囲に誠実に接してくれるものがいるというのがホッとできて良かった。
結末は以外。
「約束」に始まり「約束」に終る物語なのです。



マリアビートル/伊坂幸太郎★★★★
角川書店
内容紹介
酒浸りの元殺し屋「木村」。狡猾な中学生「王子」。腕利きの二人組「蜜柑」「檸檬」。運の悪い殺し屋「七尾」。物騒な奴らを乗せた新幹線は、北を目指し疾走する! 『グラスホッパー』に続く、殺し屋たちの狂想曲。 (角川公式サイトから)


前半はともかく、「王子」のキャラクターにむかついて仕方がない。良いようにされている「木村」にもイラっとする。緊迫した状況なのにムダに会話も多く、その点のリアリティがないと思う。
ライトな感じで「人殺し」の話をする檸檬と蜜柑のふたりも最初はイヤだった。
ともかく、前半はイマイチ腹立たしい感じが勝ってしまい、それほど吸引力は感じなかった。
が、中盤からやっぱり、加速がつくように面白く感じてきました。進行中の新幹線の中という、「密室」の中で、新幹線という環境をまさに端から端までフルに活用したミステリーとしては、すごく良くできていると感心しました。
ともかく、私は王子が大きらいで仕方がなかったので、誰かが(蜜柑と檸檬あたりが)王子を「なんとか」してくれるんだろうと期待して、それだけが楽しみで?読んでいました。
後半、木村の両親が登場してから本当に面白くなってきましたね。
すると、それまでの会話がムダにペラペラ喋ってただけでもなかったんだなとか、判ってきたので。
木村の両親が一番よかったです。

これ、「グラスホッパー」の続編だそうですが、そっちは読まずに挑みました。
同じく殺し屋の出てくる物語としては、「魔王」のマンガ版を読みましたが、そこでは「蝉」が良かったんだけど、蝉がどうなったかが「マリアビートル」中に書かれていて(ほかの殺し屋の話も)、ちょっと寂しく感じました。



確信犯/大門剛明 ★★★
角川書店
テーマはとても興味深くて考えさせられるはずだけど、小説としてはイマイチ盛り上がりに欠ける感じ。最後にタイトルの意味がわかるあたりは上手いなーと思ったけど、事件そのものに興味が持てないので読み続けるのにちょっと元気が必要な感じで全編読み終えた。おそらくキャラクターに感情移入は出来ないし、魅力も感じないのが最大の残念。次に期待したい。



夜行観覧車/湊かなえ ★★★
双葉社
高台にある高級住宅街、ひばりが丘。
遠藤真弓は、ひばりが丘で一番小さい家に住む主婦である。毎日のように娘、彩花の家庭内暴力に苦しんでいる。そんなあるとき、向かいの家、高橋家から異様な声が聞こえてきた。高橋家の娘は、彩花の希望した私立中学に通う娘や、アイドルタレントに似た息子を持ち、真弓の羨望の的であるエリート一家。その高橋家で一体何があったのか??

ムダに長いと言うと失礼だけど、前半はかなりだらだらとしていたと思うけど、やっぱり一気読みするだけ面白かったです。
向かいの家で異様な物音や、叫び声が聞こえたらどうするか?その家の玄関に駆け寄って何があったかちゃんと聞けますか?それがただの家庭内のケンカで、玄関にばつが悪そうに出てきたその家人に「いえいえ何でもないんです」とごまかされたり、あるいは「人の家の事情に口出ししないで」などと言われたりするかも知れない。ソウ思うと、アクションを起こすのがためらわれたりしませんか?
真弓はそんな風に、向かいの家から聞こえる、切羽詰った声を無視することにするのだけど、全編通じて人が腹の中で何を思っているのか・・ということをねっとりと描いたような作品でした。
そんなイヤな中身で、登場人物の誰にも共感がもてないどころか、誰も彼もが嫌いという・・・。
それなのに、読了した時点では、そのイヤな感じが消えていると言う不思議な読後感です。
素敵な結末で、イヤな感じを吹き飛ばした・・・って言うのとは全然違うのですが、スッキリしない結末なんだけど、それでも何故かイヤーな感じが半減していると言う感じ。

殺人事件なんて屁でもないぐらいイヤだったのが、遠藤家の彩花。
学校で辛い思いをしていて、それが親の責任だとしても、あの態度はないでしょうよ。
読むほどに、本当に腹が立ちました。
彩花をいじめるクラスのリーダーみたいな子も腹立たしいし、彩花に毅然とした態度を取れない真弓や父親にもムカムカさせられた。ラメポも好感の持てないキャラだし。ともかくいやな人物ばっかりだったなぁ。

ほんと、殺人事件がどうでもいいと思えるぐらいでした。



天才 勝新太郎/春日太一 ★★★★
文藝春秋
この本に興味を持ったきっかけは、先日読んだ雑誌「文藝春秋」10月号に、この本の著者のエッセイっていうのか載っていたのです。ちょうど明石家さんまさんがやってたテレビの番組でも、勝新太郎のことが取り上げられていて、それがとても面白くて。
偶然にもあっちからもこっちからも「勝新太郎」だったので、「文藝春秋」を興味深く読みました。
そこには黒澤明監督「影武者」を、勝新太郎が降板したときの顛末の真相・・みたいなのが書かれていたんです。

影武者の勝新降板劇は、勝新が自分の姿を確認するために、自分のビデオカメラを現場に持ち込み、黒澤監督がそれを嫌い、両者が対立して挙句に勝新太郎を黒澤監督がおろした・・と言うことになっているのだそうですが・・

実は、当時の力関係は、明らかに勝新太郎が上だったというのです。
黒澤監督はその頃はもう「ピークを過ぎ、過去になろうとしている監督」みたいな感じだったらしい。
逆に、勝新は乗りに乗ってて、役者としてだけではなく、自ら映像を作り上げていく才能を開花させてたみたい。
偶然こそが完全・・・という理想の基に、計算された芝居じゃなくて、即興によって映画を作り、結果かなりのヒット作品を生んでは(「座頭市」や「子連れ狼」(プロデュース))自社映画がヒットしない東宝の支柱的存在だったとのこと。
だから、東宝は黒澤監督よりも勝新に重きを置いてたらしい。
「影武者」の出演陣も勝新の人脈が大きく影響しているそうです。
さんまの番組なんかでも、その人物を見ていると魅力的だったんだなぁと思えるもんね。他の役者さんたちにも慕われてたんだろうなと思う。

黒澤監督も「用心棒」や「椿三十郎」のころは、俳優やスタッフの意見を積極的に取りいれて、現場でリハーサルを重ねて映画をじっくり作り上げていくと言う手法だったらしいけど、ハリウッドに参加??してから変わったみたい。
ハリウッドでは、予算とスケジュールにとても忠実であらねばならなかったらしく、黒澤監督はそれで痛い目をみたようで(トラトラトラ)、「影武者」もハリウッドが出資していたので、どうしてもハリウッド式でやる必要があったと。
綿密に計算された完璧な脚本コンテで、そのとおりにやるというスタイルの監督に、あれこれアイデアや口を出してくる勝新は疎ましい存在だった。
勝新はそんな黒澤監督を見限ったんだそうです。
で、現場にビデオカメラを持ち込んだ。
黒澤監督ここぞとばかりに激怒。呆れる勝新は現場を出て行く。
黒澤監督それで勝新をクビに。(クビにするタイミングを狙っていた)
勝新は戻りたかったそうですが、許されず。
周知のごとく仲代達也に交代して撮られた影武者はカンヌでグランプリ受賞。黒澤監督は再び脚光を浴び、そして勝新はわがままな俳優と言うレッテルとイメージで映画製作の第一線を退く・・・というオチになるとのこと。

書いたのが時代劇研究家 春日太一氏。


結構私が持ってるイメージとは違う勝新太郎さんの姿があって、ちょっとした驚きと感動がありました。


で、この本を教えていただき読んだわけです。
そこには、ますますイメージの違う勝新太郎の姿がありました。
妥協できない・・というんでしょうか。そんな一言では言い表せないでしょうが。
自分も苦しみながら「いい映画」「いい映像」を撮っていく。納得できるものを妥協せずに作る。
観客を楽しませたいという欲求と、観客をごまかしたくないという理想、自分の理想にあくまでも忠実にありたい、あらねばならないという、ストイックな姿勢は自分を追い込むだけではなく、周囲をも疲弊させていくのです。
壮絶・・その一言に尽きます。
この本を読むと、どんな大物俳優もかすんで見えるほど。

こんな俳優だったのか・・勝新太郎という人は・・・。驚き以外の何もありませんでしたね。

座頭市のイメージしかないですけど、それだって子どもだった私には泥臭すぎて、良さも魅力も分からなかったですし、「独眼流正宗」(NHK大河ドラマ)は、見たような見なかったような曖昧な記憶しかなくて、残念ながら勝新の秀吉を覚えてないです。
最後は周知のとおり病魔に侵されて亡くなってしまうわけですが、そのくだりはまるで知人の話でも聞いているように胸が痛み、涙が出ました。
こんなにもイメージと実物がかけ離れている人も珍しいでしょうね。
もっと早くこういう人だと知っていたら、もっと私も「座頭市」を見たのかも・・断言はしませんが(^_^;)。

本としてとてもすぐれた評伝で読み応えがあったと思います。
おススメ!



沼地の記憶/トマス・H. クック★★★★
文藝春秋
「夏草の記憶」
「緋色の記憶」
「死の記憶」
「夜の記憶」
「心の砕ける音」
「闇に問いかける男」

に続いて、7つ目のクック作品。記憶シリーズとしては5作品目。
いや〜これが一番面白かった!
あいかわらず、一体何が何なのか、「あの事件以来」とか「あのとき」とか含みを持たせた表現が満載で、一体何があったんだ?と・・・加害者も被害者も分からずに読みすすめるうちに、段々と明らかになっていく事実。やっぱり最後には、ハッとさせられる印象深いものが待っていました。

主人公である「わたし」は自身は「良い血筋(高貴な家柄)」の生まれで、「良い生活」を享受しながら、レークランド高校と言う、あんまり「良くない」高校の教鞭をとっている。
勉強熱心でない生徒たちのために考え出した特別授業「悪について」では、ひとりひとり対象となる「悪人」を取り上げて、レポートを書くという授業だった。
そこで、クラスのなかの一人の生徒、エディ・ミラーが、過去に女子大生を殺した殺人犯の息子だと知った「わたし」は、エディに父親をテーマとして取り上げることを提案する。
エディはすすめられるままに、父親をテーマにレポートを書くために、当時の事件を振り返るうち、ある変化に見舞われるのだった。
そして、そのことが、大きな不幸を呼び込むことになるとは、当時の誰も知らなかったのだった。

中心となるのは、エディと「わたし」の関係で、昔の事件に関わっていくうちに、双方が変化をきたしていくのだけど、それだけではなく、「わたし」と父親にも少しずつ変化が起きていく。
「いったい何があったんだろう?」と言う、それが知りたくて読むというよりも、「レポート」によってどんどん変わっていく人間関係が気になって、物語から目が離せなかった。
「わたし」と恋人のノラ、エディとシーラ、そしてシーラの元恋人のダーク。それぞれの人間関係がどんどん変わって行き、その上に「事件」が彼らにどう関わっているのかを知りたくて。

今まで読んだクック作品は、どちらかと言うとラスト、意外な物語が待っていて「えー!!」と驚かされ、その衝撃が何よりの獲物だったように思うけど、今回はラストよりも物語そのものが面白かったと思う。
教師をしている「わたし」の心理描写がなによりも面白かったですね。

以下ネタバレ気味に・・・

「物語」そのものは、今回とても面白かったけど、エディの書いたレポートがエディにどんな影響を与えたんだろうか?と思って読んでいたので、結局エディ本人は何もしない・・ただの被害者であるということが、ちょっと肩透かしかな?ダークがやったことは、ひとつめは憎むべき犯行だけど、2つ目は偶然も重なって、故意じゃなくて過失と言うべきもので・・。それもちょっと肩透かし。
エディの最後の場面は今までに読んだある作品を思い出したけど、やっぱり先に読んだせいか、それとも状態の惨さからか、あちらのほうがインパクトがあったなぁ・・・。



再会/横関大★★★
講談社
江戸川乱歩賞受賞作品・・・ということで読みました。

美容室経営者の息子の万引きを発端に発生した殺人事件。それに絡んで否が応でも再集結した小学校時代の仲間たち4人。殺人事件の犯人がこの中にいるかもしれない・・と言う疑問が起きる。それは、殺人が、ある凶器によって行われていたから・・。ある凶器・・それは4人が遠い昔、タイムカプセルに納めて地面の奥に埋めたものだったから。
はたして、犯人は・・・・。

かなりオーソドックスなミステリーでした。殺人が起きる、誰かが殺した。誰が殺した?・・
実は何日か前に読み終えて、感想を書く時間がなかったので、時間がたってから書いているんですが、今思い出そうとしてもそんなに鮮明に内容を思い出せないという・・・読んでいる最中はなかなか面白かったけど、読み終えてしまうとそれほど印象に残らないと言うタイプの物語でした。言ってしまえば「可もなく不可もなく」。
私はこういうミステリーはきらいじゃないけど。
昔の行動が今現在の事件に深く関わってくる・・というのが、無理なく感じられて、その点含めて面白かったです。

しかし、どうしても言いたいことがある・・けど、完全なるネタバレになるのでやめておきますけど・・・。これもネタバレになると思うけど一言だけ→「本末転倒」ですよね?



初恋/中原みすず★★★★
リトルモア
先日、永瀬隼介著「閃光」を読んだとき、これはかなり「三億円事件」の真相に迫る作品ではないかと思わせるリアリティがありましたが、その感想を書いたときに、ある方面の知り合いの方からこの作品を教えていただきました。
この「初恋」は、宮崎あおいさん主演で映画化されていて、宮崎さんが著者にインタビューしたところ、三億円事件の真犯人はこの人だ・・・と確信できるほど、迫真に満ちたものがあったそうです。

物語は、母親に捨てられ、父親に先立たれ、親戚の家でのけ者にされ、居場所がない幸薄い少女の物語です。
いつしか自分の居場所を、新宿のある喫茶店の、とある若者たちのグループの中に見出した彼女(主人公すなわち著者なのです)は、そのグループのひとりに惹かれて行きます。
そして、その彼が「みすず」を相手に企画した犯行は・・・・。

最初は、何が「三億円事件」に繋がるのか、タイトルの「初恋」とは何か・・・あまりはっきりと伝わってこなくて、じりじりとした感じで読んでいました。
が、事件に結びついてからの、迫真の緊迫感もさることながら、主人公みすずの岸への思慕が、とても切なくて・・これは事件小説というよりは恋愛小説なのだと思い知らされました。
私がもう少し若かったら、こういう小説には心底ほれ込んでいたのではないかな?
とても切ない余韻が後を引き、しばし浸りこんでしまいました。

著者が真犯人かどうか・・については、この小説が伏線の張り方やその回収の仕方など、小説としてよく出来ているために、却って「事件の真相」とは違う、フィクションの匂いがしてしまう感じがします。
だけど、三億円事件の真相は、こんな感じなのだ、と言われても、それはそれで違和感なく納得できるような気がします。
三億円事件そのものが、あまりにも謎に満ちたロマンあふれる事件なので、その真相の影にはこんなロマンスがあったかのかもと言われても、肯定できてしまうのかもしれません。

さて、三億円事件の真相は・・・それがとても知りたいのですが、知らないほうがロマン掻き立てられていいのかな?




灰色の虹/貫井徳郎★★★★
新潮社
伊佐山は昔かたぎの頑固一徹な刑事。
「これ」と狙った容疑者はとことん追い詰め自白を取る・・・という、信念のようなものに突き動かされて事件を追う。
ある呉服屋勤務の独身女性が、自室で殺された。それを調べる伊佐山は、携帯電話のやりとりから、交際相手の男性に目をつけ、事件は解決にぐっと近づくのだった。
そんな伊佐山の命をひそかに狙う男がいた。はたしてその男の正体は・・・。


冒頭からものすごい吸引力が強く、ぐぐっと引き込まれて一気読みしました。
山本周五郎賞を受賞した「後悔と真実の色」よりは、物語に入りやすかったです。
ある事件に関わった人々の「その後」の物語でもあるのですが、昔も今も、この伊佐山刑事の憎たらしいこと。読んでいてともかく、ムカムカしてきました。
冒頭に書かれている、呉服屋勤務の女性殺害事件などは「それは間違いなく冤罪だろう」と読む側は思わされます。状況証拠しかなくても、自白が取れたらそれでいいという、伊佐山の姿勢。現実にも、昔のことだけではなく、今現在もよくあることなのじゃないでしょうか?先日起きた文書改ざんの件だって・・・。ああ、こんな風に冤罪は作られていくんだなと、ものすごい説得力がありました。
伊佐山刑事だけではなく、やる気のない弁護士、自分の思ったとおりに決め付けてしまう検事、そして裁判官。。。本書の中には「それが冤罪だとしても、関わった人々はそれぞれの職務に忠実であっただけで、誰が悪いわけでもない」と言う言葉があったけど、私はそうは思えませんでした。最初に事件に関わった警察が一番悪いだろう・・と。伊佐山が一番悪いだろう・・と思いました。まぁ他の弁護しはじめ、検事裁判官にもともかく腹が立つのですが・・・。
読み終えて、そのあたりのことが曖昧なままになっているのが、釈然としませんでしたが、それはもう「釈然とできないものなのだ」と言うのが著者の言いたいことでもあるのかもしれないとも思います。
でも、私はスッキリさせて欲しかったな・・。
物語としては文句なく面白く、グイグイと引っ張られますが・・・私は冒頭の事件を含め「真実はどうだったのか」なんてことが気になってしまいました。これは物語全体を見れば、些細なことなんでしょうかね?



優しいおとな/桐野夏生★★★★
中央公論新社
家族をもたず、信じることを知らない少年イオンの孤独な魂はどこへ行くのか―。(「BOOK」データベースより)

舞台は近未来でしょうか?
貧富の格差がかなり大きくなっているようで、公園にはホームレスたちがあふれ、炊き出しにも大勢が列を成して集まる。そしてアンダーグラウンドと呼ばれる地下を牛耳る一派も暗躍して、東京は魔の街になってしまっているようです。
イオンはそんな東京の片隅で生きている15歳ぐらいのホームレスの少年。
どこで生まれて、親は誰なのかも知らない。
世の中には「優しいおとな」と「優しくないおとな」と、「どっちつかずのおとな」の3種類がいる・・・と教えてくれたのは、鉄と銅という、ふたごの兄弟。
幼い頃に一緒に育った鉄と銅を探して地下にもぐったイオンでしたが、生気を奪われるように闇に飲まれていく。
イオンは鉄と銅に会えるのか・・・。

最初は、イオンの心理描写に、いつものような著者独特の臨場感が感じられず、どことなく違和感を感じてしまっていました。いったいイオンは何がしたいのか?どうなりたいと思っているのかとか・・具体的なことが分からず、ただ命さえも危ういほどのホームレス中学生みたいな生活が延々と描かれているだけ・・。
モガミという、イオンに唯一親身に接する大人が登場しますが、イオンはモガミにも心を開かないところなどもイライラさせられました。そしてモガミの正体はナンだろう?やっぱり少しの引っ掛かりがあってどうにも読みにくさを感じていました。
近未来と言う設定(それとも、パラレルワールドのような、別の日本が舞台なのか?)もなんだかしっくり来ないなぁ・・・ホームレス同士の勢力争いもイマイチのめり込めないな〜・・・などなど、結構不満気に読んでいましたが、イオンがアンダーグラウンドに潜ってから段々と面白くなってきた!
桐野さんといえば、破滅に向かう人生(だけどそこに爽快感がある)を描かせたら右に出るものなし。
今回も、イオンが破滅に向かって進んで行きます。
実は、そこにいつものような爽快感はなかったけど、代わりに、イオンを心配する気持ちが初めて芽生えてきて、物語に共感し始めたような気がしました。
登場した最初から、イオンはすでに底辺の生活を送っていたのに、そのまだ下にある暮らし。人はどこまで落ちぶれるのか・・これでもか、これでもかと言う、たった約15歳の少年に課せられた、過酷な人生。
ひとはどん底まで落ちたときに、何かをつかむのかもしれません。
読後感は、いつもの桐野作品とは違う味わいがあります。桐野さんらしくないとも言えるかも。
でも、私は好き。
読み始めとは打って変わって、心に残る物語となりました。




音もなく少女は/ボストン テラン★★★★
文藝春秋
冒頭にある、手紙の内容では「殺人事件の真実に関する告白」のようなものがいきなり書かれていて、次のページには「54歳のブロンクスの女店主、麻薬の売人を射殺」という、新聞記事が載せられている。
だから、私はこの本をミステリーだと思って読んでいました。
でもこれはミステリーとは違うと思います。
耳が聞こえないというハンディを背負って生まれてきた、主人公のイブ。
父親には愛されず、その上悪事に利用され、そして母親も父親に酷い虐待を受けている・・。
私はイブが父親に復讐するタイプのミステリーか・・と思ったのですけど、そうではなくて、女たちの間に受け継がれていく愛情の物語だと思います。
イブと母親クラリッサが、ある日偶然出合ったドイツ女性のフラン。
過去、ナチスの迫害に逢い、悲惨な体験をして身心に大きな傷を持つフランは、イブ親子の真の理解者として、そして家族のように寄り添って生きていくことになります。
イブは耳の聞こえないハンディをものともせずに、やがて写真に興味を持ち、自己表現の手段としていきます。
自分たち親子がフランに助けられたように、イブもまたある少女の人生を助けることに・・・。
イブの成長を通して、登場する女性たちの静かな強さと、お互いを思う深い愛情が胸を打つ作品でした。



静寂の叫び/ジェフェリー・ディーヴァー★★★★
早川書房
ディーヴァー作品はライムシリーズしか読んだことがないのだけど、評判がいいのでこの作品を読んでみました。

聾学校の女生徒と教師たちが乗ったスクールバスが、凶悪な脱獄囚3人組にバスジャックされてしまい、今は使われていない食肉工場に監禁され、犯人たち彼女たちを人質に篭城する。その犯人たちと対峙する捜査官。果たして人質は無事に救出されるのか、犯人たちは逮捕されるのか。

ほとんど、食肉工場とその付近に設えられた警察側とのやりとりだけで進行していきますが、そのなかで、捜査官と犯人の会話で繰り広げられる心理戦、駆け引きがとても読み応えがありました。
主人公のポター捜査官は、ディーヴァーで言うとやっぱりライムがいるように、頭の回転やらなにやら、すごくスマートなのですね。賢い人の頭の中って・・・なんでもない会話に見えて、実は裏に思惑のある発言だったり・・・。
犯人たちに捕まっている、聾学校の少女たちにも、そこでは緊迫したドラマが繰り広げられていて、主人公のひとりであるメラニーの視点がリアルに描かれていて読ませます。
また、政治方面からも、マスコミ方面からも、事件に介入しようとしてきて、捜査官たちが煩わされる様子などは、とってもありそうなリアルな展開でうならされました。
こういうものを読んでいると、時々犯人側にちょっとした親近感も沸いてしまうんですが、これも読者なりに「ストックホルム症候群」に掛かっているのかも知れません。
悲惨な結末を迎えた過去の篭城事件に思いを馳せる、ポター捜査官の思い出なども興味深かったです。
ラストはちょっと「そこまで?」と言う感じもしたのですが、全編一気に読まされる面白さで満足です。
ライムシリーズもまだ全部は読んでないので、今度また読んでみたいと思います。



閃光/永瀬隼介★★★★
角川書店
玉川上水で見つかった他殺体。身元はすぐに見つかった。ラーメン店主の葛木勝53歳。
捜査に当たった所轄の中で、漫然と定年退職を待つだけの老刑事滝口政利は、被害者の名前を聞いたとたんに顔色を変え、自ら捜査陣に加わった。コンビとなった若手刑事の片桐慎次郎は、滝口からこの殺人が昭和を揺るがしたある大事件と結びついているのだと聞かされるのだが・・・。


表紙の絵を見たらピンと来るように、これは、三億円事件をモデルにした物語です。
この夏に映画になりました。それがきっかけで読んでみようと思いました。
映画の公式HPはこちら。http://www.lostcrime.jp/
私は三億円事件の発生は残念ながら全然覚えていませんが、時効になったときのことは覚えています。
すごい騒ぎでしたもんね。
私は中2だったと思うけど、同級生が予定表の黒板に「三億円事件時効成立」とかなんとか書いたのも覚えています。
後で聞くと散々残っていた遺留品やヒントもたくさんあったにも関わらず、結局迷宮入りしてしまったのです。
すると、一体犯人は今頃どうしているんだろう?3億円のお金はどこに消えたのか?使われたのか、使われなかったのか?
きっとミステリ作家は一度はこの事件を基に、真に迫った「推理」を自分の小説内で展開してみたいのじゃないでしょうか?

そんなことを考えながら読んで見ると、これが案外「本当にそうかも」と、私みたいな人間には納得できるぐらい説得力がある展開でした。
いつも昔々の事件が現代に蘇る・・と言う設定の物語には、ちょっとムリを感じることが多いのですが、今回は全然ムリじゃなく、すんなりと・・それも「あるかも!!」と言う感じ。
あるいくつかの設定は、実際のものと酷似しています。だからこそ、さもありそうな感じが増していると思いました。未解決事件を推理して、ひそかに実はこうなっているんだ・・と教えられて、一種の満足の得られる作品でした。

永瀬隼介という人の作品は「永遠の咎」を読んでいて、それほどいいと思えなかったのでそれ以後読まずに着ましたが、いや、結構好みの感じですよ。これからももうちょっと読んでみようと思います。
ただ、登場人物にあんまり好みのタイプがいないのが残念。
映画では、若い方の刑事、片桐が主役みたいですが(クレジットの一番目に書いてある)原作では年寄りの刑事、滝口が主役。どっちの刑事も性格的には・・どうかなーって言う感じで、そこが残念。背景はふたりとも中々複雑なものを持っていて、魅力的というに一歩足りなかったのが、惜しかった。(あくまで個人的に)

映画は観ていませんが、DVDになったら観ようと思っています。



夢を与える/綿矢りさ★★★
河出書房新社
ある少女の半生が描かれています。
恋人を手放すまいとしてしがみつくようにして父親と結婚した母親は、主人公ゆうが生まれてからは、一心にゆうの面倒を見る。それが高じて、ゆうはモデルクラブからCM出演、そして芸能界のスターダムにのし上がっていくのです。ステージママに翻弄された子役タレントの物語・・・と一言で言い切るには、アイデンティティの確立できないままに成長し、周囲に翻弄される悲しい少女の物語のようでもあり・・・。
あまりにも、その人生が、両親の結婚のきっかけから丁寧に丁寧に書かれているので、読み進めるのが難儀に感じるほどでした。が、文章が読みやすいのでなんとか・・。
本当のスターの実生活って、どんな感じなんだろう。。。なんて、下世話なことを考えながら読みました。
ステージママがぴったりくっついている若いタレントって、本当にたくさんいて、表面化するのはステージママの行き過ぎた管理だとか、強欲ぶりだったりするので、信憑性はあるような・・・ないような。
まったくその世界を知らないのでなんとも言えませんね。
こういう物語の主人公には珍しく我が弱い感じの主人公だったんだけど、やっぱりいったんこうと決めたらてこでも動かない。応援してよいやら、良く分からないもやもやした読書でした(^_^;)
親として考えてみると、胃が痛いどころではありませんわ。。。。



天国旅行/三浦しをん★★★★
新潮社
読みすすめていくまで分からなかったんですが、ふっと気付けば「死」がテーマなのか・・と。
いやいや、実は「心中」がテーマの短編集でした。

「森の奥」
富士の樹海で首吊り自殺をしようと思った男が失敗→生き残り・・それを発見してくれた男と同行することになりますが・・・?
一体男の正体はナンだったんだろう?

「遺言」
やっぱりあの時死んでおけばよかったんですよ・・・と何度も繰り返す妻との生活。
妻との想い出の中に、主人公の人生があります。
夫婦の形のひとつ。

「初盆の客」
ウメばあさんの初盆に訪れた若い男性客。留守番をしていた、私(ウメばあさんの孫)に向かって「あなたと僕はいとこだ。実はウメばあさんはあなたのおじいさんと結婚する前に、私の祖父と結婚していたのだ」と唐突な話をするのですが・・・。
初盆という、あの世とこの世が境界をゆるめる感じのある時期にやってきた、不思議な客の幽玄的な話。

「君は夜」
昼間の自分と、夜中の自分がいる主人公。実は夢の中でもうひとつの人生を生きている。
夢と現実の境界が段々と近づいてしまうと・・・。

「炎」
目立たぬ存在の女生徒の私。憧れの先輩がある日、学校で焼身自殺をした。
先輩の彼女と私は、自殺の真相を探り始めるのだが・・・。

「星くずドライブ」
いきなりユーレイになってしまった恋人と生きる男の話。

「SINK」
子どもの頃から仲が良く、ワケありの悦也にたいして何かと親切に世話を焼く悠助は、大人になってもやっぱり身近に存在して、色々と世話を焼いてきた。
一見親友のように見える二人だけれど、その心底には何があるのか。。


どれも少し不思議な話で、その世界にどっぷりと浸かります。ユーレイのような怖いものじゃなくて、とっても身近な感じがする、本の少しの恐怖。
私が好きなのは「君は夜」「星くずドライブ」「炎」など・・。
しかし、実はどの話も読者が知りたいことがイマイチぼかされていると言うか・・。
真実は何だったのか?誰がそれをしたのか?結局、どうなったのか??という、肝心のポイントがぼかされています。わざと?ですよね?だからこそ、読後に不思議な余韻があるんだと思います。

くままさんにお借りしました。ありがとうございました!




死刑の基準―
「永山裁判」が遺したもの/堀川 惠子
★★★★
日本評論社
NHKのETV特集「死刑囚永山則夫 獄中28年間の対話」というのをこの春先、多分再放送だったと思うけど、見ました。それがきっかけであり、この作品が講談社ノンフィクション賞を受賞したというのもあり、手に取りました。(先に読んだ「トレイシー」も同時受賞しています)
読むうちに、ETV特集と内容がそっくりなので「あれ?」と思って奥付を確認すると、本の著書はその番組のプロデューサーの方のようです。
永山則夫の肉声の録音されたカセットテープ、永山則夫が獄中に読んだ膨大な書籍や、書き残した膨大なノートや手紙の類、1970年に『裸の十九才』という映画を監督した新藤兼人さんの証言、そして、今まで取材に応じたことがなかった永山則夫の元妻である和美さんの証言など・・・
テレビではたくさん印象的なことがあって見入ってしまいましたが、本書はそれを一冊にまとめてあり、タイトルのように永山則夫の刑をとおして「永山基準」とは・・・「死刑の基準とは・・」という問題提起を、より深く追求しているようでした。
裁判員制度が始まる前に、著者は「死刑の基準」というものに踏み込みたかったようです。
山口県の光市母子殺人事件の死刑判決に衆人が拍手喝采したという光景を見て、著者は絶句します。法律が個人の復讐の手立てであってはならない、という著者は長年ヒロシマの取材を続けてきたので、その地元広島地裁で「やられたからやりかえせ」とも取れる衆人の拍手喝采に驚いたようです。
そこでも使われた死刑の基準、「永山基準」。。それが何なのか、じっくり考えさせられる本でとても読み応えがありました。
まぁ考えさせられたからと言って、私には死刑の基準もわからないし、そもそも廃止か存置かすらもはっきり決めかねてしまうヘタレなのです。。
死刑に相当する罪であると思っても、その後の更正の様子を知らされれば「なせこの人が死刑にならねばならないのか」と思うこともあり、またそこまで更正したのは「死刑」という現実を突きつけられたからで、これが「無期」だとしたらここまで更正してなかったかもしれないし・・などなど・・揺れまくります。
本来は、やっぱり死刑は廃止するべきだと思っているのですが、でも、遺族の方々の気持ちを前にすればそんなことはあっさりと言えないし。
そんな私が何をか言わんや・・・です。
でも、本書の中で、永山則夫に無期懲役という判決を出した二審の船田三夫裁判官の「法は全ての被告人の前において平等でなければならない、裁く人によってその生死が左右されてはならない。死刑宣告は裁判官全員一致の意見によるべきである」という部分に、納得しました。
それでは実質的に「死刑は廃止」というのと同じであるというのが、結局死刑にした三審の意見だったのですが、うーん・・・難しいけど、私は船田裁判官の意見に傾きました。
裁判員制度が始まり、刑の決定は多数決のようですね。選ばれた市民を含めて9人の中で、5人が「死刑」と言えばたとえ4人が「無期」と判決を下そうとしても死刑になってしまうのは、やっぱりどこか変だと思うのです。
でも、自分が被害者の立場に立ったとき、同じことが言えるかどうか全く自信がありませんけれど・・・。

それから、本書では永山則夫と元妻の和美さんの結婚したときから離婚したときの話がとても印象的でした。
永山も和美さんも、母親と社会に捨てられ切り捨てられた者同士として、決して他者にはわからないところで通じるところもあり、結ばれていったのです。
永山もかなり辛い過去があり涙なくしてその部分は読めませんが、和美さんもまた辛い過去を持っています。
沖縄で、フィリピン人との間に生まれた和美さんには、戸籍がありませんでした。お母さんが出生届を出さなかったからです。働く母親の代わりに、和美さんはおばあさんに負ぶわれて育てられます。
しかし、母親がアメリカ人男性と結婚し、アメリカに行くときに、戸籍がないためにパスポートも取れない。
なんと、お母さんはそんな和美さんを置いていきます。
和美さんは戸籍がないから高校にも行けないと言う現実に絶望します。
特にテレビの映像が印象的なのですが「国際福祉沖縄事務所」と言う看板を見つけて、そこに飛び込んだとき、事務所の女性に、支援金がもらえると言われるのですが「白人の子は10ドル、黒人の子は5ドル、フィリピン人の子は3ドルよ」と言われて「いらない!」と事務所を飛び出したと言います。
それを語るときの和美さんは泣いておられました。
高価なので買えずに万引きした戸籍の専門書を読みながら、当時の少女であった和美さんは泣けてきて「今に見ていろ」と強く思ったそうです。
見ていろ!というのは、殺すって言うことですよ。
と。このときに永山のように拳銃を持っていれば間違いなく引き金を引いたと。
でも、それを引き止めたのはおばあさんの存在でした。おばあさんに愛情深く育てられた和美さんは、そのおばあさんを思い出し、心を静めたそうです。
後に戸籍が出来て、家族のいるアメリカに発ったときも、見送ってくれたおばあさんが「ひとさまに後ろ指をさされるようなことはしなさんな、そしたら私があんたを負ぶった意味がないから」と言うことを言われたそうです。
永山と同じ地点にいたかもしれない和美さんに、こんなおばあさんがいて、そして永山には誰もいなかった。
永山のお母さんへの憎しみと相反する愛情。
なんと、永山の写真はお母さんにそっくりなのがまた切ないです。
和美さんとの出会いによって代わって行く永山の姿が印象的です。
「私と生きて」と言う和美さん。ずっと死刑でいいんだと思ってきた「思想のために死ぬ」と言ってきた永山に生きる希望がわいてくるのですが、一審「死刑」、二審「無期懲役」、三審「死刑」と翻弄された永山は
「生きろと言ったのはあなたたちだ。いざ生きるつもりになったら殺すのか」と言うことを弁護士に言ったそうです。

当時の弁護士や裁判官や検事の言葉も書かれているのですが、事件から何年経っても、関係者たちに深い思いを残している人なのだなぁと感じました。
もう少し、私も関連書籍を読んでみたく感じました。



催眠/ラーシュ ケプレル★★★
早川書房
「ミレニアム」と同じくスウェーデンの人気ミステリーという評判で読んでみました。

ストックホルムの郊外で、一家惨殺事件がおきます。一人生き残った被害者の少年は、体中に無残な傷を負い瀕死の状態。しかし、その一家にはひとり行方の知れない少年の姉がいて、犯人はその姉を狙うのではないか・・姉の身柄を急いで保護しなければならない・・と、警察はひとりの精神科医に依頼をするのです。
「瀕死の状態の被害者少年から、『催眠』により、情報を引き出して欲しい」と。
依頼を受けたのは、催眠で過去に一世を風靡した精神科医のエリック。
しかし、エリックはある出来事により、10年前に催眠を封印したのでした。行方不明の少女の身柄の保護が急務だとして、その封印を無理やりに解かせられたエリック医師は、少年から証言を得ます。
その証言の内容は予想も付かないものでした・・・・。
エリックは10年ぶりに催眠を行ったことで、思わぬ事件に巻き込まれていくのでした。。。

上下2巻の長丁場ですが、さくさくっと読めてしまいました。
エリック医師の家族の物語や、エリックの息子が関わる恋人の近辺の話(なんと、ポケモンが登場。ポケモンって本当に世界的に有名なのですか。すごいな、ニンテンドー)そして、エリックがなぜ催眠を封印したのかというかこの物語など、かなり盛りだくさんです。
アマゾンの評価の中に、浦沢直樹の「モンスター」のようだ・・と言う意見があったけど、まさに!言われてみないと思いつかなかったけど、言われて見たらなるほどそうだ・・。
過去の部分がちょっと長くてだれてしまったのと、「ミレニアム」のリスベットやミカエルのような、登場人物の魅力と言うのが足りず、どこかで見たような話の切り貼り的な感じもして、大絶賛というほどは面白く感じませんでしたが、一気読みするだけの面白さはありました。



となりのツキノワグマ/宮崎学★★★★
新樹社
自然写真家、宮崎学さんのツキノワグマの写真集。
「ツキノワグマ」って、年々減少していて絶滅が予想される希少動物・・・というイメージを覆す写真集です。
宮崎さんはいつも、固定カメラで何ヶ月とか何年とか長期にわたっての撮影をされているようなので、その観察眼にはとても説得力があるのですが、ツキノワグマは確かに一時減少したようだけど、今は逆に増えてきているとのこと。。
クマが人里に下りてくるのは、山でのエサ不足により・・・と、報道されたら思わず鵜呑みにしますが、実際に捕獲されたり殺処分されたクマを見ても、エサが足りずにやせ細ったクマなど、見たことがない・・らしいです。
人間の、思うよりもすぐそこにいるツキノワグマ。
人間がクマに出会って襲われたり、そのためにクマが殺されたりという、双方にとって悲惨なことにならないためにも、国や地域や自治体で、もっと正確なクマの生存数や棲息状況を研究把握するべきだと言う、宮崎さんの言葉に深く頷くものです。

本書は写真集ですから、とてもユニークで時には愛らしくも見えるクマの姿が満載。

あと、特筆すべきは「クマクール」と「マタミール」と言う、宮崎さん独自の開発製品!
まず、「クマクール」というのは、クマをおびき寄せるえさです。クマの好みって千差万別らしく、くまのプーさんの影響もあってか?私たちはクマって言うのは全体的に「ハチミツ好き」と思ってませんか。私は思っていました。でも、宮崎さんの観察によると、そう言うクマは一割ほどなんだそうです。
研究の結果、クマが一般的に喜びそうなエサを考案。それでクマを呼び寄せてるんですが、そのエサを名づけてクマクール!!実際に、クマが寄ってきた様子が写真に収められています。
そうして呼び寄せたクマの「股間」を撮影する!その装置を名づけて「マタミール」!!(笑)
股間を見ることで、そのクマの性別はもちろん、固体識別なども完璧に行えるようで、クマの数を把握するのもすごく役に立っているようです。こういう発想にはただ頭が下がります。

今度、COP10が開催されますが、テレビの特集でもよく「自然が危ない!」みたいなものを目にするんですが、そこで言われていることのいくつかは、宮崎さんの本にも書かれています。
小さな子どもにも分かりやすく解説した子供向けの写真集もありますので、親子でご覧になってはいかがでしょうか??



トレイシー 日本兵捕虜秘密尋問所/中田整一★★★★
講談社
太平洋戦争中、アメリカ陸海軍が共同管理をして、日本軍捕虜の尋問に当たった。そのための特別施設、赤煉瓦のその建物を(あるいはその所在地を)暗号名「トレイシー」と呼んだ。
トレイシーで何が行われたのか、アメリカは日本人捕虜からどんな情報を得たのか・・・もうひとつの「戦争秘話」とでも言うべき実態を丹念に追ったノンフィクションです。

捕虜尋問・・・というと、グァンタナモをパッと思い出しました。
アメリカは捕虜に対して拷問したり虐待したり、とても非人道的な振る舞いをしていたと言う印象が強かったですが、少なくともこの太平洋戦争中に日本人俘虜が受けた扱いは、ジュネーブ条約にのっとった、きわめて人道的で、時には人間味や友情すら感じさせられる扱いでした。
しかしその実トレイシーでは、ジュネーブ条約で厳禁されている「盗聴」と言う手段をも用いて、徹底的に日本人から情報を収集していたのです。
「北風と太陽」の北風のように、ひどい扱いを受ければ心は閉じてしまい、情報は得られない。でも太陽のように「あめ」を与えれば、人は心を開き情報を漏らしやすくなる・・・。
アメリカ人の心理作戦の巧みさにうなってしまいます。
日本が【情報】と言うものに重きを置いていなかった戦争の早い段階から、アメリカは日本の情報を盗むことをとても重く考えていたと言うのです。
日本語というのは、アメリカ人にとってとても難しくて難解きわまりなく、そのうえ方言があるので、言葉の理解にかなり苦労した様子です。
だから日本語修得にはとても精力を費やしたよう。そのように着々と準備を進めて、日本人俘虜から情報を得て・・・
その過程では、尋問官と俘虜の間に友情のようなものすら感じる場合もあるのですが、結局はそれすらも軍部に利用されて、情報を引き出すための手段にしかされなかったのでしょう。
冷徹無慈悲に見える日本軍、ファシズム・・だけど、アメリカはフレンドリーな顔をして、その実それを上回る周到さ、したたかさを持っていたということなのではないでしょうか。
そりゃ日本は負けますって。
尋問官は日本に精通した人物が適任だったことから、戦前に日本に住んでいた人たちが着任しました。たとえば宣教師なども・・・。その尋問官が戦争直後に日本を訪れて目にした焼け野原に、あまりにも記憶にある日本との違いに愕然とします。自分が行ったことの顛末に大きなショックを受けて、トレイシーのことは記憶から削除したようだと言う話などは、日本俘虜だけではなくアメリカの尋問官にも大きな傷を残したのだな〜と思うと、それがやっぱり戦争の悲劇のひとつだと感じました。
そして、読み終えて印象に残っているのは、「生きて虜囚の辱めを受けず」という徹底教育が染み付いた日本兵たちの哀れ・・。捕まったときにどうしていいかわからないんですよね。死ぬしかないと思い込んだりもして・・・。
驚くのはこの「生きて虜囚の辱めを受けず」は、戦後何十年経った今でも人々の体質に染み付いていると言うことです。そのために、兵士の死がうやむやのうちにごまかされたまま、アメリカに墓があっても遺族は何も知らされてないという事態があったり、その対処がまるで出来なかったりという、言語道断の対応になったり・・・うまく書けないので興味のある人は本書を読んでくださいね(^_^;)
そんな風に死んでしまった戦友の死の真相を探るために、奔走された内角義男氏のエピソードには本当に頭が下がりました。
兵士の命の扱いが日本とアメリカでは正反対で、人命を一番に重視するアメリカに対して、日本では人の命はまるで軽く扱われ・・たとえば、軍艦には救命設備がほとんどないとか・・今回もそれが書かれていてやっぱり暗澹としました。日本は負けてよかったのだ・・・と思わずにいられません。
しかし、そのためにどれだけの犠牲があったかと思うとなんとも言葉もなくやり切れません。
本書刊行に際しても、いろんなご縁が重なっていたと言うあとがきを読み、しみじみと感慨を感じました。



闇に問いかける男/トマス・H・クック★★★★
文藝春秋
今回の「闇に問いかける男」は、公園で幼い少女が殺されてしまい、早々にその近くの排水溝に棲んでいる浮浪者青年が連行されます。身柄を拘束できる期限が残りわずかというところで、その青年が自白するのか・・それとも青年が言うように無罪なのか。という「タイムリミットサスペンス」(と、方々に書いてある)です。 浮浪者青年を取り調べる刑事たち、ある刑事は子どもを亡くした喪失感を持ち、ある刑事の息子は薬物中毒で・・など、それぞれに問題を抱えていて、それらがストーリーにバランスよく配分されているので、どちらかと言うと私は群像劇のような印象を受けました。 犯人が誰かということも気になって、刑事たちの私生活も気になって、充分楽しめたのですが・・・登場人物が多くてちょっと場面転換についていけなかった感じもありますね。 しかし、やっぱりクセになるトマスさんですね。 また読みますよ!



甲子園が割れた日/中村計★★★★
新潮社
ん〜〜〜特にゴジラ松井のファンではないです。応援はなんとなくしている程度です。
そして、高校野球は、好きなことは好きですが、そこまでマニアじゃないです。
でも、この本を読み、なんとな〜〜く知ってはいたけど、こんなすごい「事件」であったのか!と、いまさらながら驚いた次第。
ともかく、まず、甲子園の舞台でとある高校の采配が、こんなにも物議をかもして、世間を動かし、選手たちに影響を与えたと言うことに、驚くばかりでした。

著者は、明徳義塾の当時のピッチャー、河野和洋氏にまずは接触し、インタビューを試みます。
「本当は勝負したかったんじゃないの?」
何度も訊かれてきた筈の、一番聞きたい質問をぶつけるために向かい合う河野氏は、しかし、決して著者の思うような反応を見せてくれず、著者には失意が宿るのを禁じえない結果のインタビューです。
当時の選手、監督、コーチ・・・そして松井本人、何人にもインタビューしても、誰もが著者や世間が求めるように「勝負して欲しかった」なんてすっきりとは言わないので、どちらかと言うと肩透かしを食らうような印象はありました。でも、インタビューを重ねるうちにようやく、真実らしきものが見えてきます。いわば、真実なんてあるようでないもの。
インタビュアーにも世間にも、どうしても言わせたい言葉「本当は勝負したかった」と言うこと、それは一般人としての勝手な押し付けであり「夢」なのかも。

それにしても、驚きのエピソードが満載でした。
まず、松井のバケモノのようなエピソード。ファンの方には周知に事実かも知れないけど、中学のときの軟式では、松井が打った軟球が全部破裂してしまうとか!先生に間違えられて、相手チームの監督に頭を下げられるとか、スウィングの速さや飛ぶ球の速さが尋常じゃなかったとか、カットするつもりで当てたらホームランだったとか、練習試合などは観客で一杯になったとか・・・中学高校のときのエピソードがもう、普通じゃなくて、今更ながらに松井と言う選手のすごさに驚かされました。
件の5打席敬遠のときの試合、試合中に野次やメガホン、ゴミの投げ入れ・・・勝った明徳義塾の校歌が歌えないほどに「帰れ」コールが沸いたとか、翌日の抽選会では主将が水を掛けられ罵倒されたとか、いたずら電話や脅迫電話、嫌がらせのオンパレード・・などなど・・・
当時、もしも、自分が甲子園を見ていたら、松井のファンだったら、星陵の応援をしていたら・・・多分、松井の打席を5打席すべて連続で敬遠した、明徳義塾の采配に私も思いっきりブーイングしたかも。
いや、しなかったかもしれませんが、それはその時に体験してないとわかりません。

たかが高校野球
されど高校野球

いろいろと考えさせられ、知らなかったエピソードにうならされっぱなしの一冊でした。




心の砕ける音/トマス・H. クック★★★★
文藝春秋
殺された弟、同じ日に消えた弟の恋人。
兄は、弟の恋人を追い続ける。
その果てにあるものは・・・・!

「記憶シリーズ」とは、くくられていないようですが、私は記憶シリーズではないか?と思いながら読みましたよ。それほど、現在と過去が交錯して、現在の事件を調べていくうちに(物語が進むうちに)過去が明らかになっていくという形が似ているからです。
今回も、最初のうちには「輪郭」すらもはっきりせず、「全貌」が見えるまでがとても長く、頭の中の「?」をひとつひとつなくしていくという読書スタイルでした。

主人公の弟が死んでいて、犯人がその恋人だと思う兄は、消えたその恋人の跡をたどって奔走します。
真相に近づくにつれ、兄の気持ち、感情などが明らかになっていく、それが、じれったくてイライラしてしまうのですが、その分読者にダイレクトに伝わってきます。
最初は一見幸せな4人家族だったのだけど、感情のもつれがあって分裂してしまいます。家庭内のもつれと言うのは、それはどこの家庭にも多かれ少なかれ存在するものなのかも知れませんが、愛するがゆえに苦しんでしまうと言う矛盾が、良く分かる気がして胸苦しくなるようでした。
謎の女ドーラをめぐって、弟に対する兄の気持ちの変化も読み応えありました。
安易なロマンスではないのが余計にロマンスを感じさせました。

事件そのものの真実は、それほどたいしたことはないと思ってしまったのだけど、別の「真実」には相変わらず驚かされてしまいました。今回もやっぱり「やられた!」と思わせてくれました。



怪獣記/高野秀行★★★★
講談社
今回は、トルコ東部のワン湖に棲むといわれる謎の巨大生物ジャナワールを探してレッツゴー。
最初からエセ臭ぷんぷんなのに、そしてちっともパッとする証言もないのに、「真実」を求めてタカノは行く!
あきらめるのか・・・それとも、奇跡はあるのか。

うーん、相変わらず。高野さん・・。「既知の未知生物」から「未知の未知生物」に変わったから、自分がそれを捜しに行く・・とか、ちょっと常人から(常人って言う言い方は違うか!)したら、ちょっとわけのわからないことを言って、本当にトルコに乗り込んでしまう。
トルコではやっぱり、パッとしない、情熱を感じない証言ばかりで・・・読んでるほうとしては、私がUMAの存在をほとんど信じていないからだと思うけど「いるわけない」と思うんだけど、なぜか高野一行の行動からは目がはずせない。
現地の人たちとの、関係なんかも読み応えがあるので・・というか、それが一番私は読んでて好きですね。
トルコの中で生きる世界最大数の少数民族クルド人の現状やらトルコ政府とのあれこれなんか・・・その方面のアプローチも、そんなに紙面は割いてないけど、大変興味深かったです。
そして、高野さんのUMA探しにはウソ偽りがないのがいい。ごまかしもない。
超リアリストの高野さんのUMA探しだからこそ、応援したくなるんです。
いつか、UMAにめぐり合えるといいな・・・でも、最近はUMA探しはしてないようですけど。
ウモッカをもう一度探してみて欲しいなぁ。あの時は「ウモッカはいる!!」って思えたから。



夜の記憶/トマス・H・クック★★★★
文藝春秋
同シリーズも4作品目。ちょっと慣れてきたか?わりと読みやすく感じました。
今回は、作家が主人公。
終戦の翌年に、平和で美しい田園リヴァーウッドで起きた少女の殺人事件。その未解決事件に対して、作家ならではの想像力を駆使して、この事件の結末を考えて欲しい・・・と、その被害少女の親友であった女性から依頼を受けたグレーヴス。
同じくリヴァーウッドに滞在中の脚本家のエレナーと一緒に、その事件の真相に迫ります。

なんと言っても相変わらず、昔の事件をさぐりますね。やっぱり私は「そんな大昔のこと覚えてるもんか!」と思ってしまうのです。それに今回は、主人公が作家だから、自分の想像力で事件を構成していくので、想像なんて・・!私は「真実」「事実」が知りたいのに・・・と思いながら読んでおりました。
でも、エレナーが登場してから、当時の資料を元にして着実に実直に、事件の「真実」に迫っていく展開に。この現実的な作業は女性ならではなのか、その辺りからぐっと面白く感じました。

結局結末としては、えらく方向の違うところから事実が見えてきて、やられた〜!と思わずにいられません。もちろん布石はあったので、唐突な感じはなかったですが・・。そう来るのか・・!という衝撃。意外でもあり重過ぎる結末にうなってしまいました。

しかし、本書では実はもうひとつの物語があるのです。作家のグレーヴス自身のトラウマになっている事件です。グレーヴスは自身が、過去13歳のとき、目の前で姉を惨殺されると言うむごい事件に巻き込まれているのです。そのトラウマから逃れられず、それを作品に投影して人生を送っている。家庭も持たず楽しみも持たず、ひたすら書くことが生きている証とばかりに・・。
登場するのは、極悪人のケスラー。そして矮小な手先のサイクス。それを追うのが刑事スロヴァック。どのシリーズにもこの3人が登場するのですが、ケスラーとサイクスこそが、姉を惨殺した犯人なのですね。
過去にとらわれた人生があまりに悲しいです。
依頼された、少女の殺人事件を捜査検証しながら、やっぱり過去のトラウマと対峙していくグレーヴスの物語として、とても読み応えがありました。
そしてエレナーの存在。今までグレーヴスにはなかった彼女のような存在が、今後彼を癒してくれるのを望んで止みません。ラストにぐっと来ました。 以下、完全ネタバレ


実はサイクスはグレーブス自身だったと言うこと。ケスラーに言われて姉を惨殺したと。最後にエレナがグレーヴスに手を差し伸べて、ケスラーを探そうと言って終るので、すこしだけホッとした。孤独に終止符が打てると、それだけでも少しホッとできる。



死の記憶/トマス・H・クック★★★
文芸春秋
この著者の作品は、最近知って読み始めたばかりのビギナーです。
だからか、ともかく話に入り込むのに時間が掛かる。
なにしろ、最初は何がどうやら全然わからないから。
事件の概要が見えるまでがけっこう時間かかってしまうんですよ。
はっきりと輪郭が見えてくるまでは、読書に熱中できません。
やっと3分の1ぐらいで本格的に読めるようになってきましたね。
その輪郭というのは、主人公が9歳だった35年ほど前に起きた事件。
主人公の父親が、何かをしたらしい。
その対象が、主人公とその父親の家族だったらしい。
大事件だったらしい。
そして、ある女性ライターが事件の取材にやってきて、主人公は成り行き上ではあるが、事件と向き合い、今まで考えないようにしてきたはずの「過去」「事件」を掘り下げることになった。
そして浮かび上がる真実とは・・・・・。

という物語なのですが。

著者の作品は「夏草の記憶」「緋色の記憶」に次いで3作品目。
初心者なので、どの本が先に書かれたかとか考えずに読んでいます。
「夏草」「緋色」どちらもとても面白かったのですが(陰気な話だけど、その陰気さが好きですよ)今回も、面白いことは面白いんだけど、先に読んだ2作品よりは落ちたかな?
というのは、主人公がライターの導きで過去を思い出していくのですが、35年も前のことってそんなに簡単に思い出せるものか?これは、割とどんな小説でもそう言う設定の場合は、疑問に感じることなのですが・・。
昨日のことも思い出せない身としては、当然疑問に思ってしまうのです。
たしかに昔のことは良く覚えているとは言うけどね。
私も、祖母が死んだとき、ちょうど9歳ぐらいでした。この主人公と同じ年。
そのシーンはとても印象に残っていて覚えています。だから印象的なことは何年たっても良く覚えているというのは分かる。だけど、その前後とか、その当日の朝に何がありどんな会話をしたとか・・・
はたして細部まで覚えているのだろうか?
それに、閃くように思い出すシーンがあったとしても、今回は事件と無関係じゃない?と思われることまで書かれてて、読者サービスなのかもしれないけど、ちょっと余計なことまで書いてある印象を受けてしまいました。
それでも、結末は他の物語と同様に、なんと考えていいのかわからなくなるような、やりきれない結末で・・私は好きですよ。

以下、完全ネタバレ


主人公は、父親が一家惨殺した後、自分の帰りを待っていたのは、帰った自分を殺すつもりだったと考えていた。しかし真実は、すべての発端は憧れにも似た愛情を持っていた姉の起こした事件だった。姉は兄と母親を殺して、父親に「こうなったからには自分を連れて逃げろ」と迫ったのだけど、父親はその姉を殺すしかなかった。父親が主人公を待っていたのは殺すためじゃなくて、連れて行くためだった。今まで主人公は父親の自分への愛情を疑うしかなかったのだけど、その真実を知り、(姉の残酷さも知って)結局自分も同じように家族を失ったので(主人公の妻と子どもは浮気を疑い心中したようだ)父親との邂逅は、得るものと失うものが釣り合うように、しかしあまりにも苦いものになった。と言う話。



贖罪/湊かなえ★★★★
東京創元社
湊かなえさんの3作品目ですね。
「告白」が社会的なブームになって、2作品目の「少女」はそれほど評判も良くなくて、「贖罪」では手法を「告白」と同じように戻してみた・・って感じかな?と思うんだけど・・・。
「告白小説」というジャンルでしょうか。
たしかに「少女」よりも面白かったなと思いました。

田舎町で起きた小学生の殺人事件、被害者の友達が15年後に新に悲劇に巻き込まれると言う、ちょっと偶然に頼った設定だと思ったけど、面白かったです。ぐいぐいと読みました。
女同士の確執が随所に散りばめられているので、女同士のドロドロしたものがつまりは主人公?みたいな。
このひと山岸凉子あたりを結構読んでるんじゃないだろうか?と思ったのですが。

サクサク読めてグイグイ引っ張られて、あっという間に読了したけど・・印象には「告白」ほど残らないかな〜〜。でも、設定としてはすごい!よくこんなイヤな事件を考え付きますよね。
エグすぎ・・・(^_^;)


と、思ったんだけど、結末的には「告白」よりも「贖罪」のほうがすごいですよね。
贖罪って「罪滅ぼし」って意味だけど、彼女がやったことは「贖罪」って言うよりも「断罪」だったんじゃないかな?事実を聞かされた「犯人」がどうなったか・・・本文中に書いてあったっけ・・?
読み逃がしたのじゃなかったら、確か、それは書かれてなかったと思う。
だから、読者の想像に委ねられてるわけですよね。
まぁ自分がこの犯人だったら、まともな人間だったら生きていかれないですよね。
さらっと読めるので、さらっと流してしまいそうだけど、実際、本当に胸糞が悪くなるような結末です。
ここまで書ける著者の勇気に脱帽ですね!



影法師/百田尚樹★★★★
講談社
茅島藩八万石の筆頭家老に抜擢されたばかりの名倉彰蔵は、昔、刎頚の契りを交わした友の磯貝彦四郎の行方を探らせたが、すでに亡くなっていた。傑出した人物であった彦四郎が、汚名を背負ったまま非業の死を遂げたのはなぜか・・・元は下士の家柄であった彰蔵が出世した背景に何があったのか。
若き日のふたりの友情を振り返る彰蔵であった・・・。

と、紹介文もなんとなく時代劇調になってしまいますが、時代劇ですから・・(笑)。
この著者百田さんの作品を網羅しているわけではないけど、「永遠の0」「風の中のマリア」「モンスター」そして本著で、4作品目です。どれもジャンルがまちまちで、百田さんの引き出しの多さに驚きます。
江戸時代、厳しい家柄制度の中でどうやって出世していくか、武士は食わねど高楊枝・・みたいな世情の中で高潔に生きようとする主人公たちの生き方に、まず感動の気持ちを覚えます。
いまどきの人々の生き方とは全然違うような・・・ちょっと見習わねばならない部分がたくさんありますよね。

物語としては、まず、彰蔵が、百姓たちの思いを汲んで、新田開発に力を入れていくところなどは、ちょっと、帚木さんの「水神」を思い出してしまった・・。やっぱり比べてはいけませんが、その点の書き込みがあっさりしているので、感動はその分薄れてしまっているかな?
そして、肝心の友情物語ですが・・・

ネタバレ含みますので、未読の方ご注意願います。


影法師と言うタイトルの示すとおり、彦四郎は彰蔵・・勘一の影法師であり、要所で勘一を人知れず救っているのですけど、その理由がイマイチわからないのです。それをただ「刎頚の契りを交わした友のため」としても、勘一が娶ったみねのためか・・と、考えても、説得力が薄いのでは。
勘一側からしか書いてないので、彦四郎の気持ちは想像するしかなく、その想像こそが読書の醍醐味だとしても、
あまりにも綺麗な友情物語でありすぎるために、私みたいなひねくれた人間には、素直に受け取ることが出来ませんでした。
それなりに、良い場面はたくさんあったし、感動もしましたが、自分的に「説得力に欠ける」感じの作品でした。

辛口ごめん!



悪と仮面のルール/中村文則★★★
講談社
あんまりリアリティを感じることが出来ず、悪についての御託←ここにこそ、純文学たるゆえんがあるのじゃないかとも思うんだけど・・・・なんだか真剣に読む気にならずかなり斜め読みしてしまいました。読んだうちに入らないと思うけど、なんとか最後までは読み進んだ。疲れた。



逝かない身体/川口有美子★★★★★
医学書院
タイトルのとおり、ALS患者であるお母さんを12年の介護の末に見送った著者の手記。
ALSというのは筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)という、「重篤な筋肉の萎縮と筋力低下をきたす神経変性疾患で、運動ニューロン病の一種。きわめて進行が速く、半数ほどが発症後3年から5年で呼吸筋麻痺により死亡する(人工呼吸器の装着による延命は可能)。治癒のための有効な治療法は確立されていない。」ここまでウィキペディア引用。

私がこの病気を知ったのは、ブラックジャックの「未来へのおくりもの」という物語で。

この著者のお母さんは、ALSの中でも特に進行が早く、眼球さえも動かせなくなるという重篤な状態で、これをTLSとまた別に呼び分けるようです。
意識はあるのに、身体が動かなくて意志の疎通が出来ない状態を「ロックト・イン・シンドローム」日本語では「閉じ込め状態」と言うそうですが、こちらのことばは映画「潜水服は蝶の夢を見る」で知りました。
「潜水服・・」の主人公は片目だけが自由に動かすことが出来る唯一の手段。だから瞬きすることで、文章を作り上げ、介護者に読み上げてもらい意思の疎通を図ってました。
でも、こちら「逝かない身体」のお母さんは、12年のわずらいのうち7年間を完全な閉じ込め状態で過ごされたとのこと・・・・想像もできません。
そうなってくると、ついつい思ってしまうのは「そんな状態で生きている意味があるの?」「それで幸せなの?」「私だったら死にたいわ」などなど、正直に言えば存在を否定する方向の考え。
だけど、違うんだなぁ。。。。
そうじゃない、そうじゃないんですよ。
著者の考え方も、落ち着くまでは色々と悩んだり葛藤もあったようですが、結局は存在しているだけで愛しいのだと、「蘭の花を育てるように植物的な生を見守る」ようになっていくんです。
自分だったらどうだろう?彼女のようにお母さんの存在を全肯定できるだろうか、逆に自分がこの病気にかかったとき、「いっそ死なせて」と思うんじゃないだろうか?などの、懐疑はまるで無用。
この著者のように前向きに、ひょっとしてこれは方向性のひとつに過ぎないのかもしれないけれど、患者にとっても介護する人にとっても、一番幸せな方向性だと思います。

こんな風にお母さんが病気になって苦しんで、家庭も自分の生活も未来予想図も犠牲にして介護三昧の日々を過ごすようになってから、悲しみ、絶望に陥り、悩み苦しみながらも結局は受け入れて、患者のためにも介護者のためにも一番良いと思えることを試行錯誤しながらひとつひとつ得て行き、介護生活を「楽しめる」ようになるまでの長い道のり。
またすっかり悟って受け入れられるようになってからの生活にも、ドラマがたくさんあって読み応えもあったし、考えさせられる事だらけで、ある意味教科書や哲学書のように(哲学書って読んだことないけど!)ラインを引いたり付箋を貼ったりしたい箇所が何箇所もありました。
付箋を貼ったところを引用してみます。(自分へのメモのためにも)

「長生きのALS患者は自己愛と存在の絶対的肯定によって支えられる」
「かなり後になってから、病の現実に揉まれた私は、偽りのスピリチュアルケアや、あっさりと死ぬことを奨励する思想が氾濫していることに愕然としてしまうのである・・」
「他者への信頼に身を投げ出すことは、ALSが母に授けた最後の才でもあった。」
ALS 患者たちは「たとえ寝たまま機械につながれていようとも、その心と身体の中身は以前のままだ。こんなに屈辱的な思いをするくらいならもう消えてなくなってしまいたいと絶望するが、命が大切だからこそ死ねなかったのである。どんなに重症の患者でも、自分は人として最期まで対等に遇されるべきだという意識で満たされている。
健康で四肢麻痺のない人たち、すなわち病の他者にしてみれば、自力で動けない重症患者の怒りはただのわがままや甘えにしか見えないし、おとなしい患者は慈悲の対象でしかない。無抵抗で意思表出さえ満足に出来ない者は、廃人、末期の者・・・。最近では、そのような者への医療を切り詰めることへの正当性さえ露骨に語られている」
「大切な肉親を『生きていては哀れな存在』と思い込む」過ち
「あるがままの生を肯定する思想」の欠如
「患者を哀れむのをやめて、ただ一緒にいられることを喜び、その魂の器である身体を温室に見立てて、蘭の花を育てるように大切に守ればいい」
シンプルな「生きる」と言うことだけに目を向ければ、こういう著者の考え方や思いは、病気である無しにかかわらず、生きている人たち全員に言えることなのではないかと思います。

それと、本書を読んでいて思ったのは、生命の神秘。
たとえば、まったく意思疎通が出来ず、患者が何を思っているか分からなくても、身体は「訴える」と言うのです。
汗をかいたり、毛細血管が開いたり閉じたりして、顔色が変わったり・・そんなことで、身体のどこかが痛いのだとか、感情なども訴えてくると言うのです。

こういう病気を知り、ああ、私はまだまだ幸せだ・・などと、比較でモノを言うのはあまりにも失礼だし傲慢な行為でしょうが、でも、普段意識もしないでやっていることの全てが、「不思議な力」で「ありがたい」と思えてなりません。
筋力が弱れば、おしっこすら出来ないんですよ。「トイレに行けない」と言うレベルの話じゃないです。たとえおまるを当ててもらっても、膀胱の筋肉が動かなければおしっこを出すことも出来ないんです。
つばを飲むことも出来ないから、よだれが流れっぱなしらしいです。よだれが流れっぱなしって言うことは、その分体内の水分が減ってしまうと言うこと、だからその分水分補給が必要・・・
などなど、普段はあまりにも当たり前に思ってることが、実は当たり前じゃないと知るとき、自然の中で「生かされている存在」なのだと、気がついたりしませんか。
たとえ欠点だらけの身体でも、自分の体が愛しく思えたりしませんか。

そんな風に、いろんなことを考えさせられ教えられた一冊でした。
先日読んだ「こんな夜更けにバナナかよ」にもとても共通するところがあると思いました。






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感想