末っ子は幸せになれる?・考察

「美女と野獣」を見ていてふと思った事。
この元になった昔話、私が知っているのとちょっと違う。


大体はよく似ているし、記憶も定かじゃないんだけど、まず、森で迷子になった父親が、おるお城に勝手に入りこんでしまう。
そして、魔王を怒らせ命を奪われそうになる。
しかし、魔王は、男に妙齢のムスメがいる事を知り、男の命と引き換えに娘の身柄を要求する。
なんとあろうことか、男はその条件を呑み、無事に釈放される。
家に帰ると、実はムスメは3人いるのだ。
男はどの娘でもいいから、魔王のところに行ってくれと言う。(とんでもないオヤジではないか!!)
しかし、長女、次女は「いやよ〜!!絶対に行かないわ!!」と、末娘の方をみて(睨んで?)「あんたが行きなさいよ」と言うのだ。
末娘は殊勝にも「お父様の命が助かるのなら」と、その身を投げ出す。
あとは、ほとんど同じだ。
村人のくだりは、あったのかどうか覚えていないけど。

ともかく、こうして一見「貧乏くじ」をひいたように見える「末娘」が、実は一番の幸せをつかむ、という話だったような・・。
私の記憶に間違いがあれば、ごめんなさい。

ここで、思い出してみてください。どのような昔話も、ちょっとした類似点があることを。

「シンデレラ」どですか?
「イワンの馬鹿」どですか?
「森は生きている」どですか?
「長靴を履いた猫」どですか?
「リア王」どですか?
そう、しあわせになるのはいつもみんな、末っ子なのだ!!!
(リア王の娘は幸せにはならないけど、一番心優しい「よいこ」だ)
そしてなぜかいつも長女は(長男よりも高い確率で)クソ意地悪で、不細工で足も大きくて自己チューで・・・
どのように、自己チューかと言うと、嫌な事はみんな末っ子に押し付けておきながら、いざ、末っ子がしあわせになりそうになると、立場や手柄をさっさと横取りしようとするのだ。
いいとこなしである。

いったい、どうしてこんな誤解が生まれたのか。
声を大にして言いたい!「誤解」だと!!
そう、私は長女!!釈然としないのだ!!
あら、誰か「あながち誤解でもないよね」とか、つぶやいてないかい?(苦笑)

でも、ま、お話だしね。
冷静になって・・。(苦笑)
よくよく考えてみれば、おそらく封建制の高かったその昔、末っ子と言うのは辛い存在だったに違いない。
特に男の子なんかは「小糠三合あれば養子にやるな」と言うぐらいだ。
この、「小糠三合」って言うあたりが泣かせる!!
「米三合」じゃないんだよ〜〜!!
いくら栄養価は米よりぬかの方が高いったって、一応、米を取ったカスが糠だよ!
この言い方はあんまりでしょ〜!
まったく、長女で養子取りの私は、どうしたら良いんだよう!!

・・コホン・・ともかく、それぐらい養子に行く事は男の人にとって辛い事だったのか・・と推察できる。いや、過去形じゃなかったりしてね・・(汗)
「小糠・・」は、日本のたとえだし、養子と言う概念も海外ではあまりないかもしれないけど、きっと、それに近い感覚はあったかもしれない。
なかったかもしれないけど・・。(弱気)

「長靴を履いた猫」では、父親の死後さっさと、長男と次男が家と畑という不動産を取ってしまい、三男坊に残されたのは、猫だけ。
こういうことは、当時の常識だったのかも。
寂しい!
寂しすぎるぞ、三男!!
そこで、たとえ物語だけでもと、ただの猫が賢くて主人となった三男を金持ちに導くと言う、まさに「夢物語」を作り、多くの三男に夢と希望を与えたに違いないと、思う。
世の中の三男たちは金持ちになった主人公に、自己投影して感涙にむせんだりして?

女の子は・・・・どうだったんだろう?
やはり、3番目と言う事で辛い事があったんだろうかね?
いやー、男の子のことは熱弁を振るった割に、あんまり思いつかないけど。
でも、上の二人は親もがんばって、よい(と親が信じる)家に嫁がせたりするが、3番目ともなると投げやりだったりして?
説得力ないっすか・・汗


まぁともかく! そんなこんなで、物語の中の末っ子と言うのは、男女を問わずしあわせになるように描かれているのかもしれないと、思う次第でありました。


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