思い出ノート



***・・・糸が泣く
***・・・ゆでたまご
***・・・義父との思い出
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***・・・・・・・・・・・義父との思い出

あれは・・一番下の妹の結婚式の日のことだった。
ホンの数年前だ。
夫の父親はそのころ、まだまだ元気だった。
老体には辛いのではないかと思われる距離も、おして結婚式に出席してくれた。
結婚式って、ただでさえいつもとは違う気持ちになってしまうよね。
その結婚式がすんで、私が義父を駅まで送ることになった。
これからまた、何時間もかけて帰ってもらうんだなぁ・・と思うと、式に出席してくれた事も感激で、本当に感謝の気持ちでいっぱいになりながら電車を待った。
そして、電車がプラットホームに入ってきた時、それまで黙りがちだった義父が、「じゃ・・」と言いながら私にそっと手を差し出したのだ。
じ〜ん!!としながら、おもわず「がしっ!」と手を握った私に、義父が言った。
「・・・いや・・荷物、くれよ・・」と。
きゃ〜〜〜!!ユデダコ状態〜 (///∇///)
そう、義父が求めたものは握手じゃなくて、荷物だったのね(^^;;)
まぁ自分が馬鹿みたいで恥ずかしかった事は言うまでもない!

だってさー
モノを受け取る時って、手のひらを上にしないかなぁ、普通・・。
義父ってば、手のひらの上向き加減がビミョーだったんだもん。
握手を求める時の角度だった!!(断言するぞ)
と、むきになっても仕方ないやね(^-^;

でもこの話には後日談がある。
当時は小倉氏(今フジテレビで朝良く見るあの人ね)の「ど〜なってるの」とか何とかという、午前10時くらいからのバラエティが放映されてて、視聴者からの葉書を毎日3通紹介して、ランク付けして商品を送っていた。
もうお気づきかしら?このことを葉書に書いて送ったら、どうやら紹介されたらしく(オンエアは見ていなかったので)後日なんとグッチのペアウォッチが送られてきたのだ〜!!(これは金銀銅の「銀賞」に当たる)
オンエアを見逃したのは悔まれるけど、恥もかいてみるもんだなー・・としみじみ思った。
そしてこの時から「人生に無駄なし」と言うのが自分の座右の銘になったのだった(笑)



***・・・・・・・・・・・ゆでたまご

何を隠そう、卵料理はたいてい大好きだ。
これには深いわけがある。
どんな深いわけかというと、きっとこれを読まれた方は「よよよ・・」ともらい泣きしてくださることだろう・・・と信じている(!!!)

それはちょっと、横っちょに置いといて・・。
ここでお話するのは私がまだ小さかった時、前回登場の母方の祖母の家での事だ。
これまた何歳ぐらいか覚えてない。たぶん6歳ぐらい?・・。
祖母の家(っていつも言うけど、祖父だっていたのだ。でも何故かいつも「○○(地名)のおばあちゃんの家」って言ってしまう)には、掘りごたつがあった。
すのこの下に熾した炭を敷いておく、本当の昔ながらの掘りごたつ。(潜ると一酸化炭素中毒で死にそうなヤツ。そんなこと知らずよく潜ったもんだ。危ない危ない)
記憶はそのコタツでの事だからきっと冬だったんだろう。
祖母がゆで卵を作ってくれた。
その中に、ひとつだけ、ゆでてる途中で殻が割れて、中身がはみ出した卵があった。
それを見た私はすかさず、「わたしはこれ!!」と、真っ先にトッピした。
祖母は「あれあれ、しょーとちゃんはそれでええのんか?もっと、綺麗な卵にしたらどないや?」なんて言いながら、ニコニコしていた(と思う)
期待に胸膨らませて殻をむいた私。
中身を見て愕然とした。
はみ出した分、中で空洞になっている!!!
あったりまえじゃん!と思われるだろうが、私にしてみれば、はみ出した分卵が増えてると思い込んでいたのだ。
どんなにがっかりだったか、筆舌にしがたいほどのがっかりだったのだ。ほんとに!
祖母も祖父も内心「欲の無いコ」という目で私を見ただろう。でも、実はまったく逆だった、と言う事。
ひょっとして記憶として一番古い「がっかり」だったかもしれない(笑)
卵が増えてる〜〜〜♪(しめしめ!)と思って、我先にそれをつかんだ強欲の果てに、我が手にあったものは、空洞だった。なんと、深い哲学を子供のうちから、実体験として身につけていたことか。
ただし、学習能力は無いのでこの手の失敗はその後何度も繰り返すことになる。

さて、ここからが「よよよ・・」なんだけど、その昔、うちでは祖母(父方)が長患いで寝込んでいた。
祖母の寝間まで毎回の食事を母が運ぶんである。(思えば母もご苦労様だったのだ)
朝食には欠かさず目玉焼き(二つ!!)がついていた。
私も目玉焼きが欲しかったけれど、当時卵は今よりも高い感じだったし、うちも決して裕福とは言いがたい家庭だったので、子供たちにまで回ってこなかったのだ。
おいしそうだな〜〜・・・(じゅる・・)と思う私を横目に目玉焼き(ふたつ!!)は素通りして、病気の祖母の元へ・・・。
祖母も病気と言いながら結構な食欲だったんだね(笑)
そんなわけで卵は私にとって憧れの食材となったわけ。

今では簡単に手に入る卵。スーパーの特売日なんか一パック58円だ。思わず開店前から並んで整理券をゲットしてまでも買ってしまう。しかも、整理券をもらったらまた最後尾に並んで2枚目ももらう!!!はいな〜!主婦魂を見せつけてまっせ〜!
そんなにまでして食べたい卵なのに、子供たちはそれほどでもない。
朝、「目玉焼き食べる?焼こうか?」「いらん」ってもんだ。
お弁当に入れる卵焼きが余ったって、見向きもしない。(長男だけは食べるけど)私には信じられん・・。
そんな子供たちがとりあえず好きな卵料理はなんの因果か「ゆでたまご」だ(笑・DNAに組み込まれたか?)
おでんにはゆで卵が無くちゃ、ヤツらは絶対納得しない。
だから出番の多いこの時期、ゆで卵を見ると、祖母の家での掘りごたつと共にあの思い出がよみがえってくるのだった。

ね?「よよよ・・」でしょ?(笑)
でも、うちだけが特別ビンボーだったわけじゃないと思う。どこでも、多かれ少なかれこんな感じだったはず。そうだよね?同世代の皆さん(*^_^*)

ちなみに全然関係ないけど祖母の家は琵琶湖の北で(湖北と呼ばれる)もう少し奥に行くと、実は日本でも有数の豪雪地帯がある。
琵琶湖付近に豪雪地帯があるなんてご存知だっただろうか?ん?ご存知ない?そうでしょそうでしょ。あんまり豪雪地帯としては有名じゃないんだけど、でもね、本当に昔は背丈以上の雪に埋もれたところだ。今はそうでもないらしいけどね。
ちなみにもう一つ「おこした」=「熾した」こんな字を書くって知らなかった。



***・・・・・・・・・・・糸が泣く

あれは私が何歳だったんだろう。覚えていないくらい小さな時だったろうか・・。
妹が生まれる時に、祖母の家に預けられていた時の事だったような気もする。
祖母が布団の打ち直しをしていた。
今ではあまり見かけないことだけど、昔は布団の綿を表に出して、打ち直しをして、新しい布でまた包みなおしたのだ。(そもそも和式布団って、あんまり使わない気がする)
布団の中の綿をもう一度綺麗に整えて、それを薄い絹の綿でくるむ。
この絹の綿というのが、最初は小さなハンカチぐらいの大きさなんだけど、祖母の手にかかるとどこまでも大きく伸びていくのが不思議で、幼い私はじっと作業を見ていたものだった。
そして布をかぶせて縫っている時、祖母が私に言ったこと。
「糸を中に入れたまま、布を縫うたらあかんで」
「なんで?」
「糸が“出して”・・って中で泣くっていうんやげな」

その夜、自分の寝ている布団の中でも、糸が「出して・・」と泣いているような気がして、なんだか怖くなったのを覚えている。

今思えばこう言う戒めは、だいたいが先人の知恵。
夜につめを切ると親の死に目に会えない・・・と言うのは、深爪を防ぐための戒めだったというのはよく聞く話だ。
布団の中に糸を入れるな・・・というのも、見えないところでも糸の始末はきちんとしなさい、という戒めだったのではないかと思う。(洋裁をやるとわかるが、糸の始末は大変メンドウだ)
この先自分が布団を打ち直すなんて事は、多分ないような気がするから、祖母のアドバイスは残念ながら意味がないものになってしまったようだが・・。
でも、今でもたまに「この布団の中で、糸が泣いているのでは?」と、思ってしまう事があるのだ。

アナタの布団は大丈夫ですか・・・?


essay top* contents*photo by vis manon










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