2008年の読書記録*page1



裁判官が日本を滅ぼす/門田隆将★★★
新潮社
これが日本の裁判の実態か?と、目を疑い呆れる判例の数々。
検察側がコツコツ集めた証言や資料なども目を通してないのが明らかだったり、どうも「それでいいのか?」と尋ねたくなる例がたくさん。
多分ここに上げられているのは、特に極端な例だと思いたい。
「ちゃんとした」裁判官もたくさん居ると思う。
でも、驚き呆れるような裁判官の発言や考え方、裁き方を見せられると、裁判員制度はやはり必要なのでは?こんな裁判官に日本の司法をゆだねてはいけないのでは?と思われてきました。
差し戻し控訴審判決公判で死刑判決が出た光市の母子殺人事件、あるいは山形県の中学で起きたマット圧死殺人事件など有名な事件も、地裁の判決が素人目に見ても審議不十分だと感じたり不当な判決だと感じたり、これで良い訳がない・・・と思う例ばかりでした。

ただ、出版が随分前なので、情報の古さは仕方がないところです。わたしが読んだのは文庫ではなく単行本なので、出版後にその内容と大きな逆転のある裁判もありました。
文庫版ではあとがきによって裁判のその後の行方などが書き足されているのではないでしょうか。



虚夢/薬丸岳★★★
講談社
通り魔に襲われた一家が味わう地獄のような日々。そのなかで生き残った家族が感じる理不尽さや、癒されることのない悲しみや苦しみがもたらすものは。。。

とても、読物としてはよく出来ていると思う(ナニサマな発言ですが)。釣り込まれたし、一気に読めたし、登場人物たちにも充分感情移入ができた。と言う事で、いい作品だと思うのですが、ノンフィクションが好きで、とくに「累犯障害者」や「自閉症裁判」などを読んでしまった後では、やっぱり「小説」の域を出ていないと感じられてしまいました。どうしても、あの事件を思い出すし、あの事件を思い出せば事件の陰で「今まで生きてきて一度も楽しいと思ったことはない」と言って短い人生を閉じて行った妹さんのことを思い出さずにいられず。被害にあった人たちの苦しみも筆舌にしがたいとは察しますが、きっと表面からは見えない苦しみや悲しみがあちこちにあると思うのです。
でも、刑法39条に関する疑問、心神耗弱心神喪失によってたとえ何人人を殺しても、罪に問われないあるいは、軽い刑で済むということ、それが果たして正しいのかどうかと言う問題提起は重いです。
ぜひとも、広く読まれたら良いと思う作品です。
ただ、「天使のナイフ」同様、登場人物たちのつながりに、あまりにも都合の良い偶然が多すぎるような気がしましたが。



私の男/桜庭一樹
文藝春秋
結婚直前の花にとって「私の男」とは、花婿ではなく15年間一緒に暮らした養父の淳悟のことだった。物語は、結婚式当時から、数年ずつさかのぼり二人の過去を掘り起こして行く。

第一章で提起された謎が、各章時間をさかのぼる事で次第に明らかにされていくと言う設定です。そのなかで、花と淳悟ふたりの濃密な生活ぶりを浮き彫りにするのです。閉塞感と安心感が奇妙に同居する人生のなかで溺れるように生きているふたり。そして、明らかになる事実とは・・・!!

ものすごい問題作だと思うのだけど、文体などの雰囲気でかなり内容から目をそらされてしまう。でも、根底に描いてあることは、とうてい受け入れられないのです。それを問題視する物語ではないので、余計に嫌悪感が沸いてしまいました。
各章ごとに、「その後」が気になる展開なのですが、「その後」にはあまり触れられておらず、なんとなく数年たったみたいな展開なので、その点もすこし消化不良。たとえば→ネタバレ 婚約者の男はふたりの睦まじい姿を目の当たりにして「このふたりはデキてる」と思わなかったのか、思ってもなお花と結婚しようと思ったのか、不思議です。この場合、何もかもわかってのことだと思うのだけど(何年も付き合っていて気付かないはずがないので)そのうえで花と結婚しようとする、この婚約者の倒錯した内面こそ、もっと覗いてみたかった。
ほかにも、隠した死体との同居生活はどんなものだったのか、とか。。。田岡は捜索されなかったんだろうか。においなど異変に周囲は気付かなかったのか。
そしてなによりも思うのは、何故淳悟は花の母親とそういう関係になったのか、また、実の娘に対してそういう行為をするようになった背景はなんだったんだろう?すべて自分の母親が、父亡き後に厳しい母親になったからだとしても、それが何故たった9歳の少女の性的虐待につながるのか、
とういように、主人公たちをこう言う行動に駆り立てたその根源は何かなとが、もうちょっと説得力があったら読後感は違ったのかもしれません。
唯一良かったと思ったのは、震災にあった一家の中で、ひとりだけ難を逃れられる花に向かって、父親が愛情深く「生きろ」と伝える場面です。花に別の親戚の所に行けと、花を心配した大塩さんのふたりがこの物語の救いです。




歳月の梯子/アン・タイラー★★★★
文芸春秋
子ども達も大きくなり、自分が家庭の中でそれほど重要ではないと思えて、ちょっと落ち込み気味の主婦(つまり「空の巣症候群」)が、唐突に家出をしてしまう話です。
最後にはどうせ収まるところに収まるんでしょ・・・と、斜に構えて読んでたんですが、これが面白くって一気に読んでしまいました。
「ふとした拍子」の家出に、自分自身も戸惑いながら、新しい土地で新しい自分になることを、リアルに具体的に「実現」していく主人公。あれよあれよと生活の地盤を固めていく主人公の姿が、とても眩しいのです。生き生きとした主人公に、こちらも「翼」をもらったような気分で、とても爽快になれました。登場人物たちもみな好感が持て、彼らとの関わりの中で「変化」してゆく主人公の姿には、ワクワクさせられたし、スリリングですらありました。
小さな心理描写がリアルで丁寧、だから自分自身に置き換えて読みやすい展開で、「わかるわかる」と共感を呼ぶ箇所がいたるところにあります。

家出、なんて、主婦には大冒険。
しかし、知らない街で、心機一転、まったくのゼロからやり直したい。今まで持っていたものを全て捨てて、家族も知人もいないところで全然違う生活を始めたい、って、誰にでもこう言う気持ちはあると思うな〜わたしは。
ただ色々考えると、たいていの人が思うだけで終わるのだと思う。主人公ディーリアにはその「いろいろ」を想像することができなかったのか、それができないくらいいっぱいいっぱいになっていたのか。よーく考えるとちょっと鈍感なような気もしたけど、読んでる最中はそんなことは思わない。ディーリアには「一歩」踏み出す「勇気」があったのだと、思いました。
できるのなら、こんな風にしてみたい・・・一度しかない人生だもん、一度くらいこんな事があってもいいのじゃない?と思いながらしばし、爽快感に浸りました。
じっさいにそれをやったときには、寂しくもなるだろうし、恋しくもなるだろうという、そういう気持ちも含めて、すべてが面白かったです。

しかし、子どもって言うのは、母親は自分を無条件で愛してくれて当たり前だと思ってるもんね。
お弁当箱を出さなかったり、洋服を脱ぎ散らかしたり、漫画やビデオを出しっぱなしにしては怒られても、すぐにムッとして反抗的な口答えをして、お風呂だとかゴハンだとか言っても全然聞いてくれなかったりしておきながら、でも、だからそれが母親の家出の一因になるって言われても、絶対に理解しないと思う。こっちはそれで、マジで家出したいぐらいキレそうになることがあるんだけどね。
そんな風に絶対的に「安心」(⇒愛情を疑わない)している子どもがいると思うと、家出なんてとんでもないですわね。

以下ネタバレ↓

わたしは、あっちの街で関わった人たちを「タイムトリップ」のように、「なかったこと」にするのか?って言う所がちょっと疑問。もちろん、話の結末としてはこれで良いと思う、でも、たとえばディーリアがハウスキーピングをしていた家のノア坊やとか・・。そのおじいちゃんのナットとか。ディーリアをほんとに頼りにしてしまっている人たちを、やっぱりサムの言うように「捨てる」ことになるんだろうか?そうだとすれば、やっぱり深く関わってしまったディーリアの「罪」のようなものを感じるのだけど。




愛しの座敷わらし/荻原浩★★★
朝日新聞出版
父親の転勤(左遷?)で、どいなかに引越しを余儀なくされた一家。あまりにも今までの生活との違いにの戸惑うが、なんと言っても大きな戸惑いは、その家には座敷わらしがいたということだろう。
最初に座敷わらしとなかよくなるのは、やっぱり子ども。そしてお年寄り。
受け入れがたかった、父親や母親、トシゴロの娘もやがては座敷わらしを受け入れ、それと同時に家族間の絆を再認識してゆきます。
幼い男の子の描写がうまい荻原さん、今回もこの家の小学低学年の男の子を中心に、家族のすれ違いや思い違い(特に父親の)を、ちょっぴり皮肉りながらも、ほのぼのとした笑いで描いてくれます。
家族の再生、というあおり文句から感じるほど、この一家は破綻も決裂もしていないので、それほど激的な変化が家族に訪れるとは思わないのだけど、全編通して「家族とは何か」をしみじみと感じさせてくれました。



暗闇のヒミコと/朔立木★★★
光文社
人里はなれた郊外にある、高級老人ホームで老人カップルが不審死。容疑者に上がったのは老人ホームのベテラン介護士だった。事件の真相を追う新聞記者は、個人的に容疑者に惹かれていくが・・・。

リンメイ先生シリーズの番外編といったところでしょうか。
冤罪をテーマにした所は「死亡推定時刻」と同じような感じだったけど、容疑者と言うか被疑者に肩入れできないので(これも、「暗い日曜日」だっけ、のときに感じたんだけど)どうしても弁護士等に「無罪を勝ち取るために頑張れ」と思えなかったので、読んでる間テンションが上がらなかった。
この物語は主人公が新聞記者で、彼が被疑者との関わりの中で事件に対して感じた心象や、被疑者への思いなどが中心になってるのだけど、被疑者にいい感じを抱けないから、この主人公に対しても感情移入ができない。またこの記者には、ちょっとイラっとさせられたし。
裁判の様子はたしかに詳しく、リアルに描かれてて臨場感もあったけど、ちょっとくどいと言うか飽きてきてしまった。
つまらなくはなかったけど、可もなく不可もなく、と言うカンジ。やっぱり「死亡推定時刻」みたいな「鷲づかみ感」は無かったです。残念でした。
僭越ながら、朔立木氏の書く物語は、読者心理を無視している部分があると思うなぁ。エラソーだけど。どうも読んでて共感ができないんですよね。物語は面白いんだけどね。



裁判長!ここは懲役4年でどうすか
裁判長!これで執行猶予は甘くないすか/北尾トロ
★★★★
文藝春秋、文春文庫
雑誌に連載するために、裁判の傍聴をはじめ、それにはまってしまった著者の裁判傍聴記録。
最近は裁判員制度開始時期が迫ってるので、よくこう言う本が出てると思う。今まで裁判傍聴録というと、佐木隆三氏のとか、固い系のしか読んでいなかったので、こう言うちょっぴりファンキーで野次馬根性丸出しの本を読むのは新鮮でした。しかし、著者が裁判傍聴にのめりこんでいくように、裁判には「ドラマ」がある。人間のおかしみや悲しみ、人生、あらゆるものが凝縮されているのだと思う。
特筆すべきは、傍聴を趣味にしている熱心で裁判を知り尽くした「傍聴マニア」たちの存在。彼らは裁判の行方を殆どぴたりと当てると言う。事件のケースの内容よりも裁判に携わる人たち、裁判官や弁護士や検察官に目が行くようになり、裁判所の「人事」が気になりだしたら一人前なんだとか。
裁判の行方は、ひとえに「人間」が決めているものだと言う事も、改めて実感させられる。
映画「それでもぼくはやってない」の中にもこういった「傍聴マニア」と呼ばれる人が登場するが、モデルはこの著者なんだと、周防監督が言ったとかいう「裏話」も書いてある。
また、映画「それでもぼくは」のモデルケースとも言うべき、冤罪裁判と思われたケースは後にやっぱり被告人がわいせつ行為をしていたのが明らかになったとか、まぁ色んな裏話にビックリさせられます。
「4年でどうすか」のほうは、右も左も分からない著者がだんだんと傍聴のコツを会得していくあたりの流れや、オウムや山田みつ子、佐木隆三というビッグネームも登場し、非常に興味深い。
そして、「執行猶予はあまくないすか」のほうは、そのタイトルにもなった警官の嬰児殺し事件など、インパクトのあるものもあり、また傍聴マニアの筆頭であるダンディ氏の行方が大変きになるところ。ダンディさん、トロさんに連絡して下さい!!

裁判所が近かったら(地裁じゃなくて、高裁ぐらい)わたしもマニアになりそう。なんか、私の求めているのはこう言うことなのかもしれない。野次馬ですみません。



狐火の家/貴志 祐介★★★
角川書店
「硝子のハンマー」の続編(のようなもの)。
例のかっこいい泥棒さんの榎本が、弁護士の青砥純子をサポートするという、前作同様の設定ですが、今回は短編集だったのでイマイチ乗り切れなかった。
二人のビミョーな距離感みたいなのが、ちょっと前作ほどトキメキをかもし出してないような気がしました。ストーリーよりもこの二人の関係がわたしには重視ポイントになってるので、その点含めて今回は思ったよりも面白みに欠けたような気がしましたが。
でも、やっぱり榎本の活躍は続けて見て行きたい。
純子さんがもうちょっと榎本に翻弄される様子が見たいな。
この続編も切に望みます。
出来れば長編で。(「新世界より」ほどじゃなくてもいいから)
よろしくお願いします、貴志せんせ。



生きさせろ! 難民化する若者たち/雨宮 処凛★★★★
太田出版
きつい本でした。
日本の将来に何の期待も希望も持てない。
世の中は、すべて企業の利益のために回ってるカンジ。
とにもかくにも、労働力を使い捨てにしているような。
しかし、わたしもその世の中で暮らしている。
っていうことは、それを踏み台にして生活しているのですよね。
だから、怒ってみても結局自分も「その」中の一人なんだと思う。
なんか虚しい。
安い商品をさがして、ちょっとでも安いものを買い、高いと文句を言う、、
そんな自分に、この世の中の仕組みをどう非難する資格があるか
などと思う。
いろんな意味で、きつかった。



ピンポンさん/城島 充★★★★★
講談社
これは荻村伊智朗という卓球選手の評伝です。

わたしの子どもたちは3人それぞれ「一応」って言う感じで「卓球部」に在籍していた経験があるけど、上の二人は真剣にやってなかったようだし、末娘は現在進行形で部員ですが、いつも早々に負けては帰ってくる、弱小部員?です。
なので、卓球には思いいれもないし、最近こそテレビで試合が中継されるようになったけど、それほど馴染みがないスポーツの一つ。

そんなわたしだから、卓球がオリンピックの正式種目になったのが、ソウル五輪からだったということも知らなかったし(「そうだったっけかな」と言う程度ですね)今は中国が圧倒的に強いけど、それ以前は日本が世界のトップに立っていたと言う事も知らなかった、そしてその中でもトッププレイヤーとして、この評伝の荻村伊智朗というひとがいて、世界選手権で12個のメダルを獲得するという偉業をなしたと言う事も知らなかった。もちろん、12個のメダルって言うのがどれほどのものかということすらも、大して分からないんだけど・・。そのうえ、この荻村と言う人がどんなに、日本だけではなく、世界的にスポーツ業界で活躍、貢献したかも知りませんでした。亡くなった時、メディアはトップニュースで扱ったらしいけど、全然覚えてもなかった。(スミマセン…)

前振りが長くてスミマセン。そんなわたし、って言う事が言いたかったんです。
そんなわたしが、何も知らずに、本当に何も知らずに読み始めた本書。
噂に違わず、素晴らしかったです。「そんなわたし」が読んでも、充分感動しました。

最初はこの荻村氏、素質がないだの、卓球に向いてないだの、言われたようです。
でも、驚異的な練習や訓練、自分で考え出した戦術「51パーセント理論」などで、見事に試合に勝ち進み、やがては世界一になるんです。(余談ですが、訓練の中に、電車に乗っているときに爪先立ちになったり、車窓を流れる電信柱を目で追うなどしているんですが、ひょっとして野球マンガの「ドカベン」のエピソードはこの荻村氏の訓練をヒントにしたのかもね)
あまりにも練習熱心だったり、求めるものが高度すぎて他の部員たちとの間に溝や軋轢ができたのは、一度二度ではなかったようだし、若かりし日の荻村氏は決して人好きするタイプでもなく、敬遠されたり疎まれたりしたこともあったよう。ナイフのように尖った孤高の獅子という風情でしょうか。
それでも、卓球の事だけを考えて、真の高みに上り詰めていく、どこまで登ってもまだ飽くことがない勝利への執念や、その姿勢は神々しいほどなのでした。
しかし荻村氏は「卓球バカ」では決してなかったのです。
大変頭脳明晰で、回転が速くそして文学的にも優れているので、彼の残した文章は美しく心に迫るものがあるのも印象的です。
文武両道という言葉だけでは足りない、まさに「天才」と言えるアスリートの姿がここにありました。
ゴッホやミケランジェロを見て深く感銘を受けるその感性の鋭さにも瞠目です。
荻村氏が、決して卓球バカではなかった、と言うのはそれだけではないのです。
引退する前も引退してからも、その視野は非常に広く、世界を見据え、世界平和を心から望み、スポーツが平和の手段になれば良いと考えていたのです。
「スポーツの本質を曲げずに、政治が歩みよりやすい場を設定する。それがスポーツ界にいる人間の力量。スポーツが政治を動かす事はできないが、援護射撃は出来る」と言った彼。ITTF(国際卓球連盟)会長として「ピンポン外交」を繰り広げてゆきます。
文化大革命で世界から孤立した中国を、卓球と言うスポーツを通じて国際復帰の場を作ろうと、周恩来に進言したことも。(会長就任よりも以前の事ですが)
「卓球はアジアをつなぐ」とは、荻村氏が発案したスローガンだそうです。
南北朝鮮が、統一コリアとして世界選手権に出たときも、荻村氏の尽力があったから。
あるいは、バルセロナ五輪では、アパルトヘイトの南アフリカの選手をITTF会長の推薦枠で32年ぶりに出場させたりと、発想・実行力ともに「ノーベル平和賞」レベル。
不治の病で62歳と言う若さでこの世を去る、まさにその最期の瞬間まで卓球のために走り回っていたような人だったのです。

そして、何よりも彼を支えた人、武蔵野の小さな卓球場の女主人である久枝さんとの交流が胸を打ちます。卓球を始めて間がなく、まだ一勝もあげたことのない学生のころから、ご飯を食べさせたり洗濯をしたり、献身的に荻村氏の世話を焼いてあげて支えてきました。
「おばさん、おばさん」と呼び慕う荻村氏に久枝さんは実の母親以上に親身になり、ふたりは実の母子以上の結びつきがあったのではないでしょうか。その母親や、後に荻村氏が家庭を持ったときその家族たちに対しても、本当の家族のように優しい愛情を注いだ人なのです。
荻村氏だけではなく、自身の経営する卓球場に寄ってくる人たちに対しても、同じように愛情深く接したようなのですが、この久枝さんとの交流、結びつきが全編にわたって描かれていて、胸を熱く打つのです。そのように、若者たちに援助する久枝さんを、また影で支えたのはご主人の深い理解であった事も、感動の所以なのです。

一番ジーンとして泣けたのは、初めて世界チャンピオンになったとき。久枝さんの卓球場を練習の拠点にしていた、荻村氏の所属する「吉祥クラブ」が去ってしまう。久枝さんは荻村氏も吉祥クラブとともによその練習場に拠点を移すのじゃないかと思う。我が子が親離れをしたときのような寂しさや喪失感があったのではないでしょうか。
だけどいつも必ず、荻村氏は久枝さんのところに戻ってくる。
「おばさんのところでやるに決まってるじゃない」と・・。

天界からこの蒼い惑星の
いちばんあたたかく緑なる点を探すと
武蔵野卓球場がみつかるかもしれない

こんな冒頭で始まる詩を久枝さんに送った荻村氏の生涯。評伝を読んでこんなにも感動して泣けたのは、初めてでした。戦後の日本の歩みとしても、良く理解できるし、世界の中で荻村氏が活躍した頃どんなに日本が嫌われていたかなど、知りませんでした。それをスポーツマンシップによって溶いていく荻村氏がやっぱり素晴らしいと思う。オススメの一冊です。



流星の絆/東野圭吾★★★
講談社
幼いころに両親を惨殺された3きょうだい。その後寄り添うようにして生きてきた彼らは、いつしか詐欺師になっていた。あるとき、「カモ」として目をつけた男の父親が、両親の死に関係している事がわかり・・・。
長男の功一はある計画を立てるのだが・・・。

これも一気に読みました。面白かった。
3人の兄弟関係がよかった。長男の功一には思わず肩入れして読んでしまいます。(自分が長女だから)冷静で頭の回転のいい功一は、ここ最近の東野作品の登場人物の中では、かなりカッコいい方だと思った。
詐欺師になってしまうくだりは、同情は出来るものの、やっぱりその仕事はいただけない。ので、あんまり共感できなかったかなぁ。
ただ、静奈の「女子大生」ぶりは、どうなのでしょうか。いくら上流階級の女の子でも、今時あんなタイプの子が存在するの?ちょっと違和感があったな。
ちょっとネタバレ↓
戸神の家に乗り込むシーンにしても、ずいぶんまどろっこしい気がした。手っ取り早く「恋人」になってしまい、家に行くってカンジの方がリアルだったような。で、その割りにすぐにバレたりして、何をやってるんだと思った。まぁその後の展開は面白かったけど。

物語としては全体的に大変面白かったんだけど、でもそつがないというか、出来すぎというか。きれいに収まりすぎてしまっている。後で考えれば、あれもこれも伏線だったのか、という周到さに唸らされるものの、深みはなかったかな。東野サンの本はハードルが高くなってしまうので(ハードルをあげているのはご本人)たいていのものは「まぁまぁかな」になってしまうのが申し訳ないです。



ダイイング・アイ/東野圭吾★★★
光文社
主人公の雨村慎介はある夜暴漢に襲われる。目覚めた時、慎介は一部の記憶を失っている事に気付く。それは慎介が起こしたはずの、交通事故の記憶だった。
事故の事を思い出そうと、調べ始めた慎介。聞かされる事故の状況になんとなく違和感を覚えるのだが・・・。
はたして、真実は。

一気読みでした。さすがに東野さん、と言いたい。
吸引力と言う点では、前回に読んだ「夜明けの街で」のほうが上だったかな。
読んでいる最中は面白いけど、読んだ後に印象に残っている部分があんまりなかった。
登場人物の誰にも感情移入できないし、魅力も感じないのが難点だったか。それでも物語は面白く、一気に読ませるのが東野さん。
これからも付いてゆきます!
(こんな感想でゴメンなさい)



明香ちゃんの心臓―
   〈検証〉東京女子医大病院事件 /鈴木 敦秋
★★★★★
講談社
心臓の先天性の病気を持つ少女(明香ちゃん)が、東京女子医大病院で手術を受けました。
しかし、簡単な手術だと聞かされていたのに、長時間の手術のあと対面した明香ちゃんは、瞳孔拡散、顔はむくみ、なぞの鼻血、そして結局その数日後集中治療室から出ることなく、亡くなってしまいます。
原因は、人工心肺装置の操作の不手際だったようですが、医師側はそれを隠蔽し、カルテを改ざんします。
明香ちゃんのお父さんは、自身も歯科医と言う医療関係者であり、大学病院の体質を知りつつ、ついには病院を相手に訴訟を起こす(起こさざるを得ない状況)ことになっていきます。
娘が死んでしまうと言う、究極の悲しみや喪失感の中でなおも、それまでにも起きていた事故の被害者のために、そして、今後二度とこう言う事故(事件)が起きないように、心を砕きながら、時には心を乱し、でも概ね冷静に行動するおとうさんの姿が胸を打ちます。

ここに、日本で一番最初に心臓移植をした和田医師のことがかかれてます。和田医師は心臓移植手術でセンセーショナルに一世を風靡した後、この東京女子医大病院に来たようですが、そのときのこの医師の横柄で尊大な態度に、驚きました。
だいたい、明香ちゃんがここで手術を受けるとき、医師や看護婦たちの態度のデカイことと言ったら。ナニサマ??ってカンジでした。親を怒鳴りつけるなんて当たり前みたいです。
執刀した担当医は明香ちゃんの顔すら見たことがなく、それがこの医師には当然だったみたいで、それも驚き。
この事件の前には、別の病院ですが、肺の手術を受けるはずの患者が、心臓手術を受ける患者と取り違えられてしまい、亡くなってしまうと言う痛ましい事件があったのだけど、そういう事件も医師側が今後の教訓にしてくれたらまだしも、全然ないんですね。
お父さんが話を聞けば聞くほどに、この東京女子医大の実態はお粗末で患者の人格を無視したものでした。おとうさんは「こんな病院で明香の手術を受けさせてしまった」と後悔します。その様子には本当に胸が締め付けられる感じがしました。
しかし、ただ遺族の後悔や恨みつらみを述べているのではなく、ここでは医療の未来を真剣に考えている。それは病院側と患者側が一体になって模索していかねばならないものだと言う事、不信感だけを募らせていてはいけないと言う事、冷静に何が一番大切かを考えてゆこうとする明香ちゃんのお父さんの姿に、真実の「医療」を感じました。

医は仁術・・・というのは死語?医療の進歩と反比例するように、医師たちは人間らしい心をなくして行ったのか??そうではありませんように。



魔術師 (イリュージョニスト) /ジェフリー・ディーヴァー ★★★
文藝春秋
うーん、なんというか
さすがに5冊目になると、今まで「うわ!」と驚いていたところで、驚かなくなってきたかな〜と。
ある結果が出るとする、でも、それは本当は違うんでしょ、ほーらやっぱりね、と、 いかにおバカなわたしでも、5作品目にもなりゃ、アアタ。
騙されたかったけど、おのずと最初から疑ってみたり、、、あるいは、今までなら単純に「ええ〜〜!!?まさか!」と思っただろう場面でも「ちぇ、またか。そんなこったろうと思ったよ。」と、覚めた目で見てしまうのでした。
つまり「慣れ」て来ちゃったのね。
それと、やっぱりこうなってみて一番面白かったのは「ボーンコレクター」だったなぁと、しみじみ思います。
なんといっても新鮮だったし。
アメリアの現場検証へのとまどいと初々しさ。これが良かったと思うのに、最近はどうでしょう。
ずいぶん彼女も慣れてきて、それはそれで「“攻め”のアメリア」が見られて、そりゃカッコイイし面白いんだけど、、、。
やっぱり最初のアメリアの死体に対する「怖い!やりたくない!お願い、見逃して」「でも、やるんだ!!やれ!!」というカンジが読者のサドッ気を満足させたと思うけど、それがないのが残念ね。
あと、これがわたしには非常に大事なんですが、猟奇度っていうか、死体のグロ度が下がってますね。
「ボーンコレクター」の死体は、ものすごく凄惨だったでしょう。見るのも震えるほどに。今回はかなり猟奇度低し。それも物足りない原因の一つ。
それと、もうひとつ「コフィン・ダンサー」のときに、あまりにも振り回されて、ちょっとやりすぎ!って思ったんですが、今回もちょっと振り回されすぎましたね。
最後はもう、疲れちゃったもんね。
思うに、このシリーズは読めば読むほどマンネリになっていき、面白みが減っていくのではないでしょうか。
(ライムもなんか、今回丸くなってませんか。)

今の所、面白かった順番は
1:ボーン・コレクター
2:石の猿
3:エンプティー・チェア
4:コフィンダンサー
5:魔術師(4と5は同点ぐらい)
って言う感じ。
もう、殆ど(概ね)読んだ順番に面白さが下がってる。 魔術師は、お気に入りのフレッド・デルレイが出てないのもマイナスかな。



エピデミック /川端 裕人 ★★★
角川書店
思ったよりも面白く感じなかった。。。
起承転結で言うと、「起」の部分は面白く、これからどんどんと物語に巻き込まれてゆくぞ!と、期待したのですが。
が、「承」の部分がちょっと長すぎた感じ。ぐるぐると堂々巡りのような・・。なんか進展があるようでないようで。正直に言えば辛気臭い展開。
そして「転」。
うーん、思わせぶりな割りに、なんか「違う」って感じ。
なので、「結」ももう「どうでもいいか」みたいになってしまった。もったいつけなくてもそのオチはわかってたよ、みたいな。
やっぱりこの手の物語は、映画の「アウトブレイク」本で「ホットゾーン」「38℃」(麻生幾)のが良かっただけに。強烈なインパクトがあっただけに。



ゴールデン・スランバー/伊坂幸太郎★★★★
新潮社
近未来、街中のいたるところに「セキュリティーポット」という個人情報を取得するシステムが置かれた仙台市で、その土地が輩出した首相が凱旋パレードの最中に、ラジコンヘリを使った爆弾で暗殺されてしまう。
多くの目撃情報から、犯人は数年前にアイドルを痴漢から救った、元配達員の青柳雅春だと手配される。はたして、犯人は青柳なのか。

とにもかくにも、ラストが素晴らしい。ラストまでを読めば、今まで読んでみた全文、どこにも無駄な部分はないと良く分かり、伊坂さんのすごさが分かります。それぞれのエピソード、登場人物、セキュリティポッドなどの小物、それらのつながりがとってもスマートで驚くほどです。「え?この人も?」みたいな。次々と明らかにされる事件の真実に、ただただ「へぇ〜」「ほぅ〜」と唸るばかりです。 巧い、見事な作品だと思いました。

ただ、自分がすきかどうかと言うと、そこまでは好きじゃないかな。登場人物たちが「いい人」すぎて「爽やか」すぎる。ひねた目線で見てしまう自分がいます。 自分の中では伊坂さんは、どうしても「★4つ」以上にはなれない作家さんなのです。 相性ですかね。伊坂ファンの人気を悪くしないで・・。 でも、文句なく面白い作品でした。

ネタバレで思ったこと↓ 反転して下さい
イケメン君だったのに、変貌はもったいない。 その後、彼はどうやって生きていくんだろう。 戸籍もないし、仕事も結婚も何もかもが困難になる。 まだ若い、人生前半なのに。 顔だけでもイケメンのままなら、水商売もいけそうだけど、不細工君になってしまってはね〜。 そう思うと暗い寂しいラストでは。。。



神の棄てた裸体−イスラームの夜を歩く/石井光太★★★★
新潮社
物乞う仏陀」の石井光太氏が、イスラム圏の風俗に焦点を当てて、実際に半年以上その場に身を置いて、見聞きしたもの感じたものを纏め上げたルポ。
今の日本で、普通の生活をしていたら、考えられないほど貧しい人々がここには書かれています。それは「もの乞う仏陀」でも同じだった。たとえば、物乞いをするために、自分で体の一部を切り取ったり、子連れのほうが同情を拾いやすいと言う事で、子どもをさらってきて、その子どもの体や顔の一部を切り取り、より多くの施しを受けようとしたり。
今回は、生活のために身を売る女性や少年を取材しています。
最初のうちは、そういった生活の中でも「一生懸命に生きている」人たちを見て、著者はこう言う人たちを「救おう」としているのではなく、どこまで共感できるか、出来る限り彼らの人生を肯定したい、と言う気持ちがあるのではないか?と感じました。
しかし、読めば読むほど、そういう感覚はなくなり、ひたすらその凄惨な生活にたじろいでしまう気持ちになりました。
先日、どこかのタレントさんが「チャリティとか慈善という言葉は嫌いだ。施すと言うのは、上からの目線だから。助けてあげなければと思うよりも、こちらも向こうの人たちから学べる何かがあるはず、お互いにそういう自分たちの持っている素晴らしい部分を交換する気持ちになるべき」とかなんとか言っていました。誰だったか忘れたし、言葉も正確には覚えてなくて、いい加減なもんですが概ねこんなことを言ってました。
この本を読み始めたときは、そのタレントの言葉をふっと思い出しました。
最初にそのタレントの言葉を聞いたときは「いい事を言うなぁ」と思ったんですよね。。
でも、13歳の自分の娘と同じ年の子どもが、体を売らなければ生きていかれない現実を、どう捉えたらいいのか。お金なんて、日本円にして数十円とか、あるいは一食分とか。中にはもっと酷い事をする人もいるようです。自分の娘がそんなことになったとして、それがそのタレントさんの言う事で済まされるのか。どうか、娘を助けて下さい、と言いたいでしょう。路上でしか生活が出来ない、食べるものもない、体を売ることしか出来ない生活、想像すらできないような貧困。。貧困と言う言葉すら、追いつかないほどの底辺で生活でする人たち。彼らに「お互いに素晴らしい部分を交換しましょう」と、言えるんでしょうか。この本を読みながら、ずっとそんな気持ちになってしまいました。
石井氏の文章は、会話文があまりにも小説調で、ノンフィクションらしくないのです。そこが反発を受けている部分もありますが、それでも一読の価値ある本だと思います。
思っちゃいけない、それは思い上がりだと思う、でもどうしてもその生活と自分の生活を比べてしまい「よかった、日本に生まれて」と、思わずにはいられないのです。



エンプティー・チェア/ジェフリー・ディーバー★★★★
文藝春秋
今回は、ライムが手術を受けに行った南部のノースカロライナ州で、連続殺人と誘拐事件に協力を請われ、事件に巻き込まれてゆくと言う話です。
事件は、昆虫が異常に好きな(しかも詳しい)少年が引き起こしているもの。女の子を二人も誘拐し、過去にも殺人事件に関与していると言うのが、地元当局の説明。
はたして、少年は本当に犯人か、そして、少年にとらわれている少女を助けられるのか、そしてライムの手術はどうなるのか。 あちこちいろいろ気になるところが満載の、ライムシリーズ第3弾!!
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今回も意外性の連続で面白かったです。騙されることが分かってても、無警戒にボーっと読んでて、いつもビックリさせられてしまうのが、このシリーズの面白いところです。どんどん騙してください!!と思います。
今回は昆虫少年が、本当に悪いやつなのか、実は違うのか。それも気になるし、またこの少年の虫の事を語るウンチクもまた面白かった。 自然環境のことも入ってて、社会派の部分でも楽しめましたし。満足の一冊でした。
ライムとアメリアの関係ですが、アメリアがライムの手術をどう思ってるのかが分かって、切なくなりつつ、ニンマリしてしまいました。 お互いに、相手のことを思ってる、なのに、正反対の結論に達すると言うのはなんとも皮肉な。ちょっと「賢者の贈り物」を思い出してしまった。全然関係ないけど。

「人間が滅んでも地球には何の影響もないけど、昆虫が一匹もいなくなったら、地球はたちまち植物の枯れ果てた星になる」とかなんとか、この一節がすごく印象深いです。



財布のつぶやき/群ようこ★★★★
角川書店
いつもながらユルユルと楽しめるエッセイになっております。 群さんもお年を召されてきて、最近は老後のご心配をなさる文章が多いようですが、今回も「老い」ははずせません。そして、そこが読者の共感を得る部分でもあるんですよね。
独身でいらっしゃる群さんは、老後は仲良しの女性ばかり3人で、長屋のように住まいたいと思ってらっしゃる。独身女の老後はさぞかし寂しいだろうと言う人は、昔はいたかもしれないけど、今はいないんじゃないでしょうか。この群さんの計画を聞いて「いいなぁ」と言う気持ちが、全くない人などいないでしょう。最近の心境の変化としては、以前は何が何でも東京にいたいと思ってたのに、最近は東京じゃない方がいい、と思うようになったそうです。
老後のためにせっせと持ち物を処分されているらしいんだけど、それが大変なんだって。その点はこころして読みました。なんたって、わたしもすっごい貯め魔だもんね。でも、物欲っていうか、ブランド物が欲しいと思ったりと言う「買い物癖」は全然なく、むしろ人よりもずっと少ないので、その部分はこの路線で頑張りたいと思います。
群さんって売れっ子作家なのに、いつも「お金がない」って言う感じです。彼女のエッセイを読むと、いつも「弟さんは何をやっているんだろう」と、ちょっと非難めいた気持ちになってしまいますよね。年収1000万円の独身の男性なら、姉のお金を当てにしなくても充分、立派な家を建てられるだろうしお母さんにもお小遣いをふんだんに上げられるだろうし。他人の家庭のことにくちばしを挟むなんていけないわ、と思いつつも、どうしても「なにをやっとるんだー!」って言う気持ちになってしまうんですよねぇ。そうじゃないでしょうか、みなさん。



自閉症ボーイズ ジョージ&サム/シャーロット・ムーア★★★★★
(相原 真理子訳)株)アスペクト
3人の息子のうち上のふたりが自閉症。そんなシングルマザーの奮闘記です。冒頭に、この著者の「とある朝」の様子が描かれている。それを読むと、わぁ大変だなぁ…と思ってしまう。
しかし、本書を読めば読むほどに、その気持ちは大きく変わってゆきます。
もちろん大変なことは変わりません。この著者(お母さん)には頭が下がる気持ちでいっぱいです。でも、ここにあるのは、自閉症を抱えたお母さんの苦労話を、涙ながらに語るものでは決してありません。自閉症の子どもたちとの毎日が、リアルに、ハツラツと、生き生きとユーモア混じりに描かれているのです。
全編にわたってわたしが感じたのは「暗くない」ということ。明るいと言うよりともかく「暗くない」んです。暗くなければ「明るさ」は、おのずと後から付いてきます。
そして、著者が冷静だということ。二人は自閉症と言う点では同じだけど、タイプが全然違うのです。そして3番目の息子は自閉症ではない。三人三様の息子たちの様子を目の当たりにして、その違いを楽しんでいるようにすら感じられるのです。
彼女はこのように、冷静に自分の子どもたちの個性を観察して、分析して、どうすれば子どもたちにとって一番なのかを最優先する努力をしています。そして事実から目を背けず、子どもたちをありのままに受け止めている様子が伝わります。もちろん、常にあるのは母親としての深い愛情。
子どもたちが、どんな事をしでかしても、どんなに自分が大変な思いをしても、それをくよくよしない。くよくよしているよりは前向きに受け止めて、その状況の中で出来る限り子どもたちとの生活を楽しもうとする著者のすがたが、本当の子育てとはこうあるべきだ、こう言う母親でありたい、と感じさせてくれるのです。それは自閉症とか自閉症でないとか、その枠にとらわれず、万人に感じさせるはずです。
最後に著者は、自閉症の子どもを抱える人が周囲にいたとして、その家族に手を差し伸べる方法を、具体的に提示しています。日本人はシャイなのでなかなか積極的に自発的に動くことが出来ませんが、そのときはこの本を思い出したいです。

このジョージとサムの弟ジェイク(自閉症ではありません)が、最後に母親に訴える言葉があります。ジェイクの言葉を聞いて、このお母さんの子どもたちへの接し方が、本当に愛情深いものなんだと、確信できます。そのジェイクの言葉は、是非とも本書で、実際に読んでみて下さい。

すべてを読んだ後、もう一度冒頭の「ある朝」のエピソードを読み返しました。最初に読んだ時とは全然違う目で、彼らの様子を読むことが出来ます。



顔なし子/高田侑★★★
幻冬舎
東京での生活に見切りをつけて、20年以上離れていた古里へ戻った修司。義理の弟である桐也は、ここ数年音沙汰がないという父の言葉に、修司の思いは忌まわしい事件のあった昭和55年へと馳せる。修司の父親は妻を亡くして喪の明けないうちに、桐也の母親を連れてきたのだ。すべてはそこから始まった。昭和55年に何があったのか。そして、その事件が現代にも禍々しい影を落とす。次々と起こる不審な事件は、過去の事件に関連するのだろうか。

陰湿な寒村を舞台に、泥臭くじめじめと陰気な物語が続くのだけど、なかなか読ませます。55年当時の話は、閉鎖的な村社会でありそうな事件だけに説得力がある。妻の喪が明けないうちに新しい女を連れ帰る父親、その新しい女であるセリ、そして昭和55年の修司・・・修司には気を許す女友達である麻樹と、孤独な少年桐也などのそれぞれの心理描写もていねいに描かれていて釣り込まれます。
排他的で残酷な村人たちにたいして、主人公たちは根底に人を思いやる気持ちを持ってるというのが、この物語の魅力だと思う。じめっとしている割に暗くなりすぎずに読めるのはそのおかげかもしれない。
だんだんとミステリー色が濃くなっていくのは、前回読んだ「鉄槌」とよく似た感じがしました。
ただ、ラストのミステリーのオチはそれほど意外性もなく、平凡な感じで拍子抜けしてしまった。もっと、胸震えるような真実が隠されているのでは??という期待を抱かせられる展開だっただけにちょっと残念。でも中盤が面白かったし、おどろおどろしくもオカルトではないかんじが好みだったので、また次も読んでみたいと思わせられる作家さんです。
個人的に言いたいのは「桐也に対して、結婚した事を義理の父親になぜ言わないのか?セリが死んだのは義父のせいだと恨んでいるのだろうか?でもその後も血のつながりのない桐也を育てたのは義父なのだから、せめて結婚した事ぐらいは伝えても良かったのでは」と言う事。
しかし、ああ言うラストはそれはそれで良いとおもうけど。



ヒトラーの贋札 悪魔の工房/アドルフ・ブルガー★★★★★
朝日新聞社
2007年のアカデミー賞、外国映画賞を受賞した同名映画の原作です。
タイトルの通り、ヒトラーは敵国の経済に打撃を与えるために紙幣の贋造を史上最大の規模で行っていました。本書はその贋札作りを強制させられたアドルフ・ブルガーという元印刷技師の回顧録です。
本書のメインテーマは、紙幣贋造の「ベルンハルト計画」ですが、著者がその計画に加担させられるまでにも、体験させられた地獄---突然ナチスに連行され、アウシュビツに押し込まれ、常に死の隣り合わせの恐怖の中での収容所暮らし---ホロコーストの地獄を、体験談だけではなく、史実も交え、時々刻々と順を追って丁寧になぞっています。
ホロコーストの悲劇は、今までに何度もいろんなところで読んだり見たりしてはいるけれど、改めてその残虐非道さに慄然としてしまいます。まるでゲームのように人を殺す様などは、映画「シンドラーのリスト」にも登場するが、著者はそれをその目で見てきたのです。
明日は(一瞬先にも)我が身か、という絶望と恐怖の中で、それでもホンのわずかな幸運が重なり生きながらえていく著者、本書のなかで一貫しているのは「生への執着」。それは「生きて、ナチスのこの蛮行を世の中に訴えたい」と言う強い気持ちがあったから。
また、本書には当時の囚人たちの写真やイラストが掲載されていて、ものすごいインパクトです。人間、ここまで痩せるものだろうかというほどにガリガリの人たち、彼らはムールゼンと呼ばれたそうですが、一日に1500キロカロリーほどの栄養で10時間以上の重労働、そして意味もなく繰り返される虐待や暴力のはてにそんな姿に。。。写真を見れば言葉を失ってしまうのです。
この本の読み応えある部分は、そのようにホロコーストの体験者による生々しい当時の体験談(ブルガー氏のほかにも生き延びた人たちの体験談が載っています)、中には親衛隊員たちに一矢報いたダンサーの話や、逃亡に成功した囚人たちの話など(こうして逃亡に成功した人たちの告発があってナチスのユダヤ人迫害が世界に知られる事になったのです)、ひとつひとつが読み応えがあり印象深かったです。
そして、なんといっても贋札造りの模様。
ものすごく細部にこだわり、本物と寸分違わない贋札を作り上げていく過程や、贋札だけではなくパスポートや政府の書類など、ともかくありとあらゆる書類を贋造したそうで、その過程なども読み応えがありました。彼らは徹底的に管理され、命と引き換えに、贋物つくりをさせられたのです。ナチスを憎みながらもナチスに協力をしなければならない、ましてや犯罪に加担させられた著者たちの苦悩と葛藤が痛々しい。
贋札作りに加担させられた囚人たちは、国家機密の一端を担ったわけだから、二度と生きて開放される見込みはなかったのです。でも、うまく生き延びる事ができた。それは僅差だったようです。初めてこの強制収容所のやせこけた囚人たちを見たアメリカ兵たちは、そのあまりの残酷さに絶句したとか。
贋札工房の証拠品一式はオーストリアのトプリッツ湖に今も沈められているらしい。2000年には著者ブルガー氏もそこを訪れ、湖に沈んでいた偽ポンド紙幣などを引き上げたりしています。が、全部ではないらしい。その点は本書を読んでもよく分かりませんでした。今もナチスが隠した財宝や証拠品は各地に眠っているのだそうです。そして驚く事に作戦の主任、ベルンハルト・クリューガーは生き延びた!!

さて、映画になったのは無論贋札造りの様子。
ここで登場するのがロシア系のプロの紙幣贋札職人、サラマン・モスリアノフ。(映画ではサロモン・ソロヴィッチ)非常に腕のいい贋札つくりで、ナチスに協力だろうがなんだろうが、自分のプロ意識のために贋札作りに専念します。作戦主任ベルンハルト・クリューガー(映画ではフリードリヒ・ヘルツォーク)はポンド紙幣の次はドル紙幣を作れと言う。しかし、工房の心意気ある囚人たちは密かにサボタージュを決行します。映画では原作著者のブルガーがその先導者として描かれていたけれど、実際にはアブラハム・ヤコブソンという人物が先頭に立ったと書かれています。彼らの必死の抵抗が、ナチスの敗北に大いに影響したのです。

映画になった部分だけではなく、全編にわたって衝撃の連続で、非常に感慨深い一冊でした。



コフィン・ダンサー/ジェフリー・ディーヴァー★★★★
文藝春秋社
ライム・シリーズの2作目です。
今回は、コフィンダンサーと言う異名を持つ殺し屋が登場。実はそいつは、かつてライムの部下を殺した事のある因縁の相手。そしてものすごく周到で、誰もその正体を知るものはないどころか、指紋の一つさえも残したことがない。
そのコフィンダンサーが狙うのはある民間航空機の未亡人(夫は既に殺されてしまった)とその仕事上のパートナー。ライムは彼らを守り抜く事ができるのか??

この本では、今回、コフィンダンサーという殺し屋とライムの頭脳戦がスリリングに描かれていて、気を抜けない。(これは前に読んだのもそうですが)ライムが殺し屋の裏をかけば、また殺し屋もライムの裏をかこうとする、と言うように、どちらの頭の中もどうなってるんだろうと思うほど賢いです。
そして、アメリアとライムの気持ち。これがくっつきそうでくっつかなかったりという、読者をジリジリとじらすもので、その部分も目が離せない。
殺し屋に狙われているパーシーとの三角関係にも似た感じが、かなり面白いです。

ライムシリーズにどんでん返しはつき物のようですが、今回はちょっとやり過ぎって言う感じも。「えーそりゃないよ」と思ってしまいました。それじゃぁあの時のあれはなんだったの、みたいな。突っ込みたくなってしまうんですよね。突っ込んだところできっと、完璧に跳ね返されてしまうんだろうケド。そこまではすっごく面白かったのに、ちょっと白けてしまったのが残念。でも、面白い事は確かです。



死のロングウォーク/S・キング★★★★
扶桑社ミステリー文庫
キングの初期の作品のようです。 なんとも暗澹たるロードムービーのような、いや、小説だからロード・ノヴェルとでも言うのでしょうか。 近未来、アメリカでは「ロング・ウォーク」というゲームが開催され、全米中を期待と興奮の坩堝に落とします。 100人の少年を無差別に集め、ルールに従って銃殺してゆく、最後の一人になるまで逸れは続けられる、歩いている間は眠る事はおろか、立ち止まる事もできず、速度が落ちただけでも警告を与えられ、警告が1時間に3回発せられたら4回目には…。 なんとも残酷でショッキングな内容です。読んでいるうちに段々と辛くなってくると同時に、目が離せない物語。 結末は予想が付くのですが、予想が裏切られる事を切望して読んでしまった。甘かった。。。

見知らぬ100人の少年たちがロング・ウォークを通じて友情を育み、極限の中でも相手を思う気持ち、あるいは思い出話の中にある少年たちの思春期など、キングらしい爽やかな部分もありますが、いかんせんあまりにも残酷な設定。 キングの好きな人にしかすすめられないかも。 「バトル・ロワイヤル」はこの小説を元にして作られたに違いないですね。



ホームシックシアター/春口裕子★★★
実業之日本社
ちょっぴり気分の悪くなるような「毒」入りの短編集。読む人を選びます。嫌いな人はご注意。
表題作品「ホームシックシアター」
隣の部屋で殺人があったマンションに、そのまま暮らし続ける主人公の類子。事件を厭いマンションは続々と住人が立ち退いてゆく。そんな中で殺人事件の現場である隣の部屋にに若い女が越してきた。
意外といえば意外な結末。自分が周りからどう見られているか、よくわかってない人間が引き起こす薄ら寒い事件。他人の評判や人の意見に向き合うこともとっても大切で、それが出来ない人間にはこう言う結末が待ってる?
しかし、おかしいのはこの類子の夫です。お金はふんだんに出す。自由に一人暮らしをさせる。自分は遠方で親と暮らしていて、類子には何も求めない。こんな都合の良い結婚生活があるか?この辺の設定にイマイチ疑問でした。
良かったのは第一作目に収録されている「蝉しぐれの夜に」。
不妊に悩む主人公と彼女を取り巻く友人たちとの心の軋轢、そしてそれがとある事件に発展していく物語。主人公が不妊を悩んでいたり、そのために病院に行ったり、でもそれを誰にも知られたくなかったりと言う、デリケートで難しいテーマをその立場から上手く捕らえていてリアル。
しかもこの作品集中、唯一読後感が良い作品。わたしは毒のある物語が好きだけど、この「蝉しぐれの夜に」なんかはけっこう一般受けすると思う。コレが一番作品としても完成度が高いように感じました。



石の猿/ジェフリー・ディーバー★★★★★
文藝春秋
「ボーン・コレクター」のリンカーン・ライムが登場するシリーズの第4弾です。
悪名高い蛇頭のゴースト。FBIやら移民帰化局やら市警察やらとタッグを組んだライムが追いかけます。ゴーストは自分が乗ってきた(そして密入国者たちをたくさん乗せている)その船を冒頭で破壊、海に投げ出された中国人たちをまだ追いかけて殺そうとする。そのゴーストとの戦いが描かれています。
中国からゴーストの逮捕のために自ら密入国者の振りをして乗り込んでいた刑事、かれが本作でとっても魅力的。ライムとの間にほのかな友情を芽生えさせていく。その過程がミステリー以外の部分でも大変楽しめた。
例によって、ほんのチリや埃や繊維、土や砂のようなものからスピーディに獲物に迫っていくライムたちの捜査の様子がすごく読み応えがあります。そして、今回そこに加わる中国人刑事、彼がライムたちの捜査を見ただけで全てを飲み込み吸収して行くスマートさに感心、それどころかライムに恐れずに意見を押し付けたりする「勇気」なども大変な見ものでした。物語を盛り上げていたと思う。
もちろん、パートナーのアメリアとの関係や会話も楽しめました。
途中で「え?」と思わせられる「意外な展開」がいくつかあって、後半はグイグイと一気読み。特に中国人刑事がライムに送ったメッセージが・・。
ゴーストから逃げる中国人一家の親子の関係も、目が離せず。また感動させられた。
ライムシリーズはまた読んでいこうと思います。満足満足。



そうだ、葉っぱを売ろう!
 過疎の町、どん底からの再生
/横石知二★★★★★
ソフトバンククリエイティブ
著者は1979年に20歳で上勝町農協に「営農指導員」として採用されます。
小さな過疎の町で活気も覇気も感じられない、低迷しているという感じの町。
それではいけないと、著者が農家の人たちに「改革」を唱えても、「よそ者に何が分かる」と一蹴される。
そんな雰囲気の中で、頼みの綱である収穫元の「みかん」が冷害で根こそぎやられてしまうという大ピンチが襲います。
「ミカン農協」と言うだけに、ミカンに頼り切っていた上勝町の農協は、大打撃。しかし、そのピンチが逆にチャンスとなる、つまりミカンが冷害にあって初めて一丸となって復興に取り組むと言う、、、殆ど全てはそこから始まったようです。
葉っぱビジネスとはつまり、懐石料理などの「飾り」のような「妻もの」である「葉っぱ」を売るビジネス。ちょっと自然があれば葉っぱなんてその辺にいくらでもある、その葉っぱが売れるのか?という常識を覆し、ちゃんと「売り物」になって、町を見事に生き返らせてゆくのです。
かと言って初めから「葉っぱビジネス」が成功したわけではなくて、もちろん苦労もあれば失敗も、いろーんな紆余曲折があるのです。それをどうやって乗り越えて行ったか、挫けない著者の頑張りに感動するのです。
そんな著者と気持ちを一体にして町の人たちも、いろんなことに取り組んでいく。その姿の前向きな事といったら、読んでるだけで元気が伝わってくるよう。そして、人と人とのつながりの大切さなども大いに再確認させられました。
著者は「暇ではいけない」と考えました。暇だと人の悪口や愚痴や、よくないことばかり考えてしまう、そんな暇がないぐらい「忙しい」ほうが人のためにはいいんだ。と。 でも、忙しいとは「心を亡くす」と書く、忙しい事は必ずしも人にとって「良い」事ではないと思っていたのですが、著者の言う「忙しさ」はここでは「生き甲斐」となっているんです。
この本を読めばこの町の人たちが、「忙しい」イコール「楽しく元気に生きている」ということが分かります。人々が元気になればもちろん、町全体も生き生きとしてきます。 この町は女性の年よりもパソコンやインターネットを使いこなしています。年寄りには出来ない、とあきらめない。 病気になっても自分の葉っぱや農作物を売ることが楽しみで、早く元気になろうとする。人を動かしているのは「気」なんだと、しみじみ思います。



茶々と家康/秋山香乃★★★★★
文芸社
いよいよ、この茶々シリーズの最後の本です。
秀吉亡き後の、石田三成の奮闘及ばず、諸大名が家康に懐柔され次第に関ヶ原の戦いに着々と進んでいく、それが描かれている前半と、後半はいよいよ関ヶ原の決戦に破れたあと、おとなしく余生を過ごしていた淀城の面々に家康が例の鐘に書かれた文字に難癖をつけて戦に持ち込み、豊臣家を断絶させるまで。
今までも書いてきたけど、このシリーズは茶々のイメージを全然違うものにしてくれます。
徳川の世の中が200年も続いて、その間に徳川に不利なことや徳川のイメージを壊すような事はかなり大幅に歴史の上から抹殺されたとか。家康が難癖をつけてまで滅ぼしたかった豊臣一族について、茶々は徹底的に悪女のように言い継がれ、その息子の秀頼についても事実以上に悪く語られてきた、というのは確かに否めないのでは。
実際には、賢く慈愛に満ち信仰心に篤い女であったというのがこの秋山説の茶々像。たしかにそんな風に思えてきます。事実はどうであったのか、それは今となっては誰にも分からないのだけど、でも、かなりの説得力を持つこの茶々のイメージ。
茶々を良く描いてあるからといって、於祢を悪く言ってるのではないところもいいです。二人の女はお互い豊臣を大事に思っていた、ちょっとした考え方の違いから、関ヶ原の時は別れてしまったけど、二人とも秀吉や豊臣家のことを心から思っていたこと、そんな二人の気持ちの動きなどもそれぞれが良く伝わり、実際にもこうだったに違いないと思わせられます。こんな風にふたりに思われた秀吉は幸せな人物であったと思います。

やはり一番の感動は、その生涯の終る時。
一緒に自害するという女たちに言います。「まずは生きてみよ。」と。自分の生涯を振り返り、生きてナンボだぞとみんなを諭し、一人でも多くの女たちを落ちさせます。
そして、息子秀頼との淡々とした、だけど心のこもった別れの場面。秀頼も見事な散り様です。男の中の男!
そして、この三部作通して 茶々が望んだのは浅井家の復興、それがささやかに身を結ぶのだという結末も感動的なら、三姉妹の長女として妹たちの行く末を案じ心を砕くところも感動的でした。
落ちて生き延びた女たちは何代にもわたって茶々の命日にはお参りをしたとか、それは徳川の世では非常に危険な行為であったにも関わらず。それほどに人々から慕われた茶々が「悪女」なだけであったわけはない、と。
このシリーズをとおして、茶々というひとの一生涯を覗いた。読み終えて非常に感慨深いです。

ラムちゃんにお借りしました。ありがとうございました。
茶々と信長
茶々と秀吉



14歳/千原ジュニア★★★
講談社
今テレビで見ている著者、千原ジュニアとはずいぶんイメージが違うような気がする…いや、納得できる気もする。
せっかく合格した中高一貫教育の中学に通ううちに、自分を見失い、不登校になり、屋根裏部屋に鍵を掛け終日パジャマ姿で過ごすようになった千原ジュニア。
そのことで親は言い争いもするし、母親は泣いている。
千原ジュニアの心の中は、いろんな言いたいことや想いが渦巻いているのに、それを言葉で親に伝えられない。そして、爆発して壁に穴を開ける。すると余計に母は泣く。そんな毎日が綴られていきます。
読んでいてかなり重苦しかったです。
田村の「ホームレス中学生」みたいな感じかと思って読んだけど、全然違ってキツかった。こう言うのは読んでいて伝線しそうな気がして、こちらも不安定な気分になってしまった。
ただ、突破口が開けるのは「おばあちゃん」のお陰なのですが、(引きこもりの子どもの気持ちをほぐしたのはおばあちゃんだった…どこかで聞いたような話です)そこから、兄とコンビを組んで漫才師として生きていく道を見つけるくだりは、かなり感動的でした。
暗い洞穴の先に一条の光が差し込み始め、やがて光射す世界に…。
ラストにすくわれます。



ああ知らなんだこんな世界史/清水義範★★★★
毎日新聞社
世界史と言えばわたしが知ってる(かじってる)のは「フランス革命(ベルサイユのばら)」とか「ロシア革命(オルフェウスの窓)」とか、そんなモン。
どっちにしろ「西洋史」と言うモノ。
本書では著者が実際に海外旅行で足を運んだ所の「歴史話」を、エッセイ風にまとめたものです。面白かったです。教科書もこれぐらい読んで楽しければ、もっと真剣に勉強したのに!!(ウソか本当かしらないけど、そんな風に言いたくなる)
しかしこの本、ちょっと偏ってます。世界史と言いながらも西洋史はほとんど出てこなくて、イスラム圏の国々を旅行したおりに聞いて見ての体験を綴ってあります。
自分に耳なじみがない部分も、文章が面白いので読まされるけど、頭にはなかなか残りませんね。
印象にのこっているのは…。↓

※クレオパトラはエジプト最後の女王、と思いがちだけど、彼女はエジプト人ではない。クレオパトラの頃はエジプトはすでにプトレマイオス朝だったので、クレオパトラはギリシャ人だったとか。
※インドのムガール帝国って言うのは、世界史を選択してなくても聞いたことがある言葉だけど、さもありなん巨大な帝国だったのだと言うことが、今回初めてわかりました。その代々の王様の話も、また、イギリスの植民地にされたときの話も面白かった。特に気になったのは、イギリスに領地を平然と明け渡す王様が多かった中(自分の利権さえ確保すればよかった)、ただ一人がイギリスに反旗を翻したという話。この人はマイソール王国と言う所のティプー・スルタンという王様。軽く紹介してあるだけだけど、興味をそそられました。
※有名なタージ・マハルの話も面白かった。かつてのイスラム世界はヨーロッパよりも文明が進んでいたとの事だけど、ヨーロッパの人たちはそれを認めたがらないそうです。タージ・マハルもそんなわけで「こんな見事なものを建設したのはヨーロッパ人に違いない」と言ったりしているとか。
こんな風に、日本に割りと近い所の話も、知らないことが多すぎて、どの話も「へ〜〜、ほぉ〜〜」と思いながら読みました。
イスラムの事をもっと知りたいと思ったりもします。
特に、十字軍と闘ったサラディンという武将。彼は十字軍を降伏させたのですが、殺戮の一切をしなかったとか。敵方十字軍の兵士にも尊敬されるほどの人物で、私財を持たず、彼が死んだ時葬儀代すらなかったほどの貧乏だったらしい。
今度はこのサラディンのことを書いた本を読んでみたいです。



死因不明社会/海堂 尊★★★
講談社ブルーバックス
つまり、日本では死因の特定が非常にいい加減なんだそうで、司法解剖の率も先進国の中ではかなり低いのだそう。たった2パーセント。それによってどんな弊害があるかというと、犯罪を見過ごしたりしている、見過ごされた犯人は陰でほくそ笑み、また同じ犯罪を繰り返し新たな被害者を生むかもしれない・・・これはわたしも以前読んだ柳原三佳氏の「死因究明」に、詳しく書かれていてとても興味かったです。
今回は「司法解剖の重要さ」からもう一つ踏み込み、どうしたら今の社会や医学で司法解剖を充実させる事ができるか、と言う視点から「Aiによる死亡時医学検索」を行うことで現状を打開するべきだと訴えている本です。
Aiは要するに、死体をスキャンやMRIにかけて、目で体内の異常を確認するということ、で、異常があればピンポイントで詳しく解剖できるし、死因が画像によって特定できれば無駄な解剖もしなくて良いと。
たしかに、画期的だと思います。
「チーム・バチスタの栄光」は、この本にて著者が提唱する「AI」、すなわち「オートプシー・イメージング」を取り入れたミステリーだったと言う事ですが、わたし、読んだはずなのにそこまでの記憶がありません。
本書でも、例のロジカルモンスターの白鳥が、別宮陽子という女性を相手に対話形式で、Aiの必要性、Aiのメリットなどをわかりやすく解説しています。
自分的には「死因究明」のほうが、社会的な立場から書いてあるので分かりやすくオススメだと思うけど、(この本は医学書に近いのか??医学的な立場から書いてあって専門用語やなんやらで読みづらかったし分かりにくかった。架空の人物による対話形式で進んでゆくのも好きじゃなかった)一読の価値はあるかも。
白鳥の弁、無知は罪。
ちょっと耳が痛い言葉です。



モンスターマザー/石川結貴★★★★★
光文社
子どもの運動会でピザの出前をとり、同級生たちにも気前良く振る舞い(自分のお母さんが頑張って作ったお弁当には見向きもせず、ピザに群がる子どもたちにピザを分け与える)得意げになっている母親や「お米を買わない。ご飯は炊かない。おかずがほしくなるから。100円ショップのホットケーキ粉を買えばお得でおかずも要らないから節約になる」と、これもご満悦な母親。小学生の子どもをブランドで着飾らせ、自身ももちろん同じぐらいにオシャレに決め「近所のファッションリーダーになり周囲に刺激を与えている」と自信満々の母親、あるいは中学のうちから「誘惑メイク」を子どもに教え、ダイエット飲料を飲ませ、小顔美人になるように、そして男に好かれてナンボの「教育」をする母親、、、、
対して子どもたちはどうかと言うと…
和式トイレを見たことがないから学校や公共のトイレの使い方がわからない子ども、お風呂に入っても自分で体を洗わないから、背中の流し方も知らない子ども、ひじきやゼンマイを「ウジ虫だ〜ミミズだ〜」と怖がり食べようとしない子ども、保育士が体に触れるのを嫌がる子ども、潔癖すぎて給食のお皿でものが食べられない、ホウキなどが触れない子ども、小学生でも紐が結べない、ボタンがかけられない、ファスナーがあげられない「後ろ前」「裏返し」と言う意味が分からない、安全ピンが使えない、綱引きの綱は手が痛くてもてない、ノートの升目に字を書くのは疲れる、鍵盤ハーモニカは重くて持ちたくない、、、本書は、そんな「モンスターマザー」や子どもたちの実態を取り立ててセンセーショナルに取り上げているだけでは、決してありません。
著者は10年間にわたって3000人のお母さんたちを取材したようです。この10数年に様変わりした母親のあり方を、母子を取り巻く環境や今話題となっているモンスター親が、どのように「培われてきたか」と言う観点から、非常に深く掘り下げてレポートしている。ので、大変興味深いし、読み応えがあります。
たとえば、団地での10年。10年前にはみんなでビニールプールを使って、子どもたちをみんなで遊ばせていたのが、個人主義が発達してプールも個人で使うようになり、やがてはプールを使わない人から「不公平」と言うクレームが来てプールの使用を禁止する事になるという顛末などは、地道に10年の取材を続けた著者ならではの説得力があった。
「ルーズソックス現象」と言う昨今の格差社会(ホンの一部の上部と、中間がなくて、大多数の下部)に象徴される現代、どうしてこんな風になってしまったんだろう、と言う問いにみごとにキッチリ答えをくれる本。
主婦にも育児にも母親になるのにも、ライセンスは要らない。だけど、子どもを育てると言うことは、命を預かるのだから大変なことに違いない。責任も大きい。それをあたかも自分が「子育て」の被害者(あるいは犠牲者)になってしまうと感じてしまうのが今のお母さんたち、被害者でも犠牲者でもなく子どもを育てる「当事者」なのだから、もっと子育てに前向きになり「子どもに恥じない生き方をしよう」と。。。
とにかく、母親として反省もしながら一気に読まされたオススメです。



虐待の家/佐藤万作子★★★★
中央公論新社
「義母は十五歳を餓死寸前まで追い詰めた」と言う副題が付いている。
2003年大阪府岸和田市で起きた虐待事件。
15歳のその少年が意識不明となってその両親に救急通報された時、体重はなんと24キロだったとのこと。そしてそんな状態まで追い詰めたのは、実の父親とその妻である義理の母親だった。
彼らの言い分では、言うことを聞かない息子に対し、身体的暴力と食事を抜くと言う「バツ」を与えた。それは3ヶ月(推定)にもわたった。
少年は一命を取り留めたものの、重い脳障害が残り、今までのような日常生活は出来ない体になってしまった。当然事件被害の詳細を訴える事も出来ない。
このルポは、その事件に「親の方」から迫ったものである。
放置すれば死ぬと分かっていながら「死んでも良い」と両親が考えたかどうかが、裁判の争点になったらしいが、それを紐解いてゆく。
多分に著者の推理や考察も交えてはいるけれど、多角的に事件を見ていて冷静に判断してある印象で説得力があった。
驚くのは、少年が食事を与えられずやせ細り、次第に正常な判断も出来なくなっていき、なんと自分の排泄物を食べていたと言うもので、それをこの義母もその目で見ているのに、その後義母が語るところによると「それをおかしいと感じなかった」と言うこと。ウンチを食べると言うことも衝撃なのだけど、それを目にしながら「変だと思わない」親の精神構造にもただビックリ。
もう一つ腑に落ちないのは、少年はこの家から逃げようと思えば逃げられたのだ。現に弟はこの家を出て祖父母の家に身を寄せているし、少年の方も実の母親と暮らすという選択肢もあったのだ。
なぜ少年がこの家に留まり続けたのか。虐待の家であるこの家に。
それがなぜなのかを紐解くもろもろが書かれたルポなのだけど、それだけに留まらず中学や福祉センターの、虐待児に対する支援のあり方にも言及していて深く考えさせられる。
この事件では、自分の価値観のままに子どもに接しようとした義母の融通の利かなさと共に、それぞれの機関が「自分に与えられた任務をこなせば良い」という、これまた融通の利かなさが悲劇を招いたのだと言うことが浮き彫りになる。
虐待をなくすために必要なことは、虐待を起こす保護者の側からの問題を考えていくこと、そのために行政ができる事はなにかと言う問題提起がなされていて、報道とは色々と違う視点で書かれていて、非常に読み応えがあった。
ちなみに、この事件が福祉関連にもたらした影響は大きいらしく「岸和田以前」「岸和田以後」と、線引きされる物差しになっているらしい。



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感想



アンダーリポート/佐藤正午★★★
15年前に起きた殺人事件を、あるきっかけから見直す検察庁につとめる主人公の物語。
見直すといっても、真犯人を探し出して告発するつもりでもない。
物語は思わせぶりで、ジリジリと進行する。
主人公の心理描写が巧みで、読んでいる最中はとっても面白いし、さくさく読めるのだけど、殺人事件というのがそれほどインパクトを持たないし興味も惹かれない、真犯人も割りとあっさり見当が付くので、意表をつかれたりという面白みもない。
読み終えて「だから何なの?」と言いたい。
でも、読んで決して「つまらない」こともない。



あなたの呼吸が止まるまで/島本理生★★★
両親の離婚により母もなく、父も舞台の活動が忙しくどこか浮世離れした人物なので、必要以上に老成してしまった少女が主人公。小学6年生にして頭の中は常に理路整然とした大人っぽい表現でいっぱい。
そんな少女が見舞われた出来事とは。。。

小学生の頭の中にしてはちょっと言葉が大人びすぎていると思う。たしかにこの生活をして同世代の子どもよりもはるかに大人になってしまったのはわかるけど、こんな風に言葉を作れる子どもがそういるとは思えない。
しかし、わたしはこの話を著者が体験した実話だと思う。
忌まわしい体験をこうして本にして世に知らしめ、相手を貶める事で、次にこんな思いをする少女が一人でも減るようにとの思いをこめて、著者が敢えて書いたのだと思う。
そうならば、わたしは著者の勇気を買う事ができる。



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感想



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感想



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