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2001年こんな本読んでます page 4



三月は深き紅の淵を   恩田陸

その本はたった一人にだけ、たった一晩だけしか他人に貸してはなりません。 かつて一度でも、むさぼるように本を読む幸せを味わったことのある人に。 ・・といういわく付きの本にまつわる 4部作になっている。 最後まで読んだら この本の正体が分るのかと期待しながら読みすすめたんだけど そんなことは・・あるのかないのか。読んでからのお楽しみ。最後の章は つい先日読んだ 「麦の海に沈む果実」とシンクロするもので、この本を読まれたらぜひ「麦」の方もオススメします。




赤目のジャック   佐藤賢一  集英社文庫

直木賞作家の初期の作品だそうで 王妃の離婚とか 傭兵ピエール とか 色々読んでみたい作品はあるものの はじめて手にした作品だ。 1300年代に フランスで起きた農民の手による「ジャックリーの乱」という 暴動があったそうっだ。余りにも残虐な暴動として 歴史に残っているんだそうだけど、 わたしには耳慣れないものだった。その名前に登場する「ジャック」という実在の人物を 佐藤氏なりに解釈したのが本書だそうだけど、歴史本としても エグイ系としても 中途半端なような気がした。(8/23)




わが子、正和よ  須津光男・洋子  想思社

サブタイトルは「栃木リンチ殺人事件被害者両親の手記」。みなさんも記憶に新しいかもしれない、 日々いろんな事件が起こりすぎてもう記憶のかなたに忘れ去られたかもしれない。
冒頭 ようやく会えた息子さんはむごたらしい遺体に変貌しており、その様子と ご両親の心中が描かれていてその時点でもう 耐えられない気がした。 ご両親の心情は察するに余りあるが 経験したご本人でないと決してわからないだろうとは思う。 だけど 想像する事はできる。もしもわたしの息子がこんな目にあったなら・・・・ 胸が押しつぶされそうにならない親がいるだろうか?
日産に勤める若者(須藤正和さん)が同僚やその友人(主犯格は警官の息子)に、連れまわされ、恐喝され 暴行され 全身焼けどだらけで、揚げ句の果てに殺されてしまう事件である。
被害者のご両親の手記という事で多面性には欠けるけど、だからこそ  警察に対する苛立ち憤り、すぐそばまで近寄ってもいつもすれ違い息子に会えない心配不安恐怖 、息子が今とんでもない目に会っているのに助けられないもどかしさ・・などが生々しい肉声として 聞こえてくるようだった。他にも特筆すべきは警察の責任逃れの捏造、そして メディアに流された その情報を鵜呑みにしてしまう恐ろしさ。書ききれないほどの残酷で凄惨で悲しい事が この本には書かれている。このご両親の心中を思うと 到底想像しても及ばないとは思うけど こんな事件がなぜ起こるのか・・・どうしてこんなことをする人間が出来上がってしまうのか・・悔しくて悲しくて怖くてたまらない。(8/10)




ジャンプ   佐藤正午 光文社

佐藤正午の本は たったの3冊目。(すばる文学賞を受賞した当時に「永遠の1/2」を読んだし、 ずーーーっと後になって「Y」を読んだ)どれも ものすごいドラマチックな盛り上がりがある内容じゃないのに (「Y」は設定自体がドラマチックだったけど・・SFだし)飽きる事もなくす〜〜っと読めちゃう。 文体もわたしとしてはすごく読みやすくって○。この作品はあらすじを言うと「ある日 突然恋人に 失踪されてしまった男が右往左往するうち月日は流れて・・」というミステリー仕立てのストーリー。 偶然に偶然が重なりいつの間にか 彼女は消えていた・・と思っていたらじつは 失踪の理由が判明した時にはそこに 一つのある必然があった・・と言う物語。過去にどんなことがあっても 今を受け入れていこうとする 登場人物たちに ある意味すがすがしさを感じた。(8/10)




麦の海に沈む果実  恩田陸 講談社

ミステリアスな雰囲気のストーリーと 神秘的な文体とで まるで夢の中の出来事を体験しているようだった 。  おまけに概視感まである。デジャブ・・というやつだ。それもそのはず 同作者の 「三月は深き紅の淵を」という物語と同じ舞台なのだ。いや、件の本が重要なアイテムになっているのだ。 「三月は深き紅の淵を」は、その本が 本当にあるのかないのかを巡っての4部構成だったが、 この「麦の海に沈む果実」では ほんとうにあったことになっている。「こんなところにあったのか!!」 と思う読者も多いはず!不思議な世界の中で読みなれている殺人事件もとっても怖い雰囲気。 背筋がゾゾゾ〜〜〜・・・・とした。怖い物語をお探しの人はご一読を!(笑) それにしても タイトル覚えにくい!!(笑)




心とろかすような(マサの事件簿) 宮部みゆき 創元推理文庫

久々の宮部作品!!。。というのも いまや宮部氏は巷で一番人気の作家先生だ!!(笑) なのでいつ図書館にいっても 宮部さんの本が残ってると言う事がない!!いま 予約中の 「摸倣犯」にしろ、20人待ちとか とんでもない状況なんだ。それもそのはず こんなに面白くっちゃね。。 さて、 マサというのは 前作「パーフェクトブルー」で、大活躍した元警察犬のジャーマンシェパードだ。 蓮見探偵事務所で人間顔負けの推理力を働かせて、飼い主加代ちゃん糸ちゃん姉妹の守護神として 活躍中。
こんな物語を読むと 犬が飼いたくなるよね。。それほどに賢くて主想いの犬だ。 今回のこの本は 5つの短編集だ。とくにラストの「マサの弁明」とその前の「マサ、留守番す」が 読み応えあり!!「留守番」のほうは 人間の尊大さやエゴを犬の目を通して糾弾している。 ハラショウと言う犬とのくだりでは、涙涙。。。。




離婚まで  藤本ひとみ  集英社

だーいすきな藤本さんの本にしては いささかいつもの魅力に欠けたかな?(ゴメンナサイ!!) タイトルのとおり 平凡に暮らす主婦が離婚を確信するまでを描いてあるのだ。 なんせ読んでいてイライラさせられたのは、この主婦、共働きで自分のほうが通勤時間も多くて 疲れてるのに 夫に家事の分担を要求する事ができないどころか 中学生の娘にお風呂の用意さえ させないのだ。そして 自分が追いつめられていくのだ。。もっとも それにもいろんな理由があって つまりは 彼女は「アダルトチャイルド」なんだと思う。子供の頃 親から与えられたトラウマのせいで 、普通の社会生活を送るのに困難がある。。と言うヤツ(間違ってたらごめんなさい) 過去と現在を交差させてのストーリー展開。トラウマを明確にしたかったのはわかるけど 過去の描写が細かすぎると思ったのはわたしだけ?




幸福の絵  佐藤愛子  集英社文庫

自分が描いた「幸福の絵」の中に、今の自分が描かれているんだろうか? 2度の離婚で 子供を手放し 今は不倫の恋の真っ只中。 そこへ 分かれた子供が訪ねてきたところから 物語が始まる。 不倫に苦しむ 中年女の心情が奇麗事過ぎずに的確に(と思う)描かれている。 細部の心理描写が とってもリアル(なカンジ。。) それを流麗な文体で これぞ「文学」!!と思わせる。 ラストが悲しい。




中原中也詩集  新潮社 日本詩人全集

中也の詩集を読むとき 必ず読みたい詩の中の一つに「桑名の駅」がある。 「桑名の駅は暗かった。かえるがころころ鳴いていた。。」と言うヤツである。 むかし中也がこの桑名の駅に降り立ったんだ そして駅長に「焼き蛤の桑名とは、ここのことか」 などと訊いたんである。桑名人としては嬉しくなっちゃうじゃないか!!ところで 図書館のこの本には やはりしおりがその詩のページに!わたしと同じように嬉しく思った誰かがはさんだのかな? こんな事を考えるのも 図書館利用者の楽しみの一つだ。




アルジャーノンに花束を  ダニエル・キイス ハヤカワミステリ
思いっきりネタばれにつき ご注意!!

主人公のチャーリーゴードンは 精神障害だが 人体実験の材料となり 脳手術を受け常人以上の知能を持つようになる。
泣ける本の代名詞みたいな作品だけど、どこがなけるかは人それぞれ違うかもしれない。 わたしが泣けた部分は。。
いったん天才的に知能が向上したチャーリーだけどじょじょにまた知能が低下して 元に戻る。。それと同時に 天才であった時に知能と同じようには情緒が成熟しなかったたため、 思いやりだとか愛情だとかの 情緒面でのやりとりがすごく下手になっていたのが 皮肉にも知能の低下とともに 戻ってくる。つまりは 元のお馬鹿さんに戻ったら 元の良いチャーリーに戻ったということ。 自分の行く末が 実験ねずみのアルジャーノンを見ていればわかるのだけど、 それは辛い末来である。しかし チャーリーはそこで落ち込むだけじゃなく、 なんとか少しでも 「賢さ」を残しておこうと 前向きに努力するのだが、 その前向きさというのが これもまた皮肉にも「元の」チャーリーのものなのである。 そしてわたしはその、元のチャーリーの心の美しさと、健気さとに涙を誘われるのだ。




あの頃僕らはアホでした 東野圭吾  集英社文庫

おもしろい!!!
東野圭吾はわたしより年上である。世代的にも一世代上というカンジ。でも この時代は時間の流れが今より緩やかなため 世代が違っていても 時代感覚としては同じような印象を受ける。 ツッパリ(今で言うヤンキー)のこと。ウルトラマンのこと。「そうそう!!!そうやったよね〜!!」 という感覚で読めるのだ。
なかでも一番面白かったのは この作者 東野圭吾氏はなんと 幼少のみぎりには大の読書嫌いだったのだ。 作品を読んでいると決して文系の人じゃない 理系人間だということは周知なんだけど、ここまでだったのか!というほどの 読書嫌い。なにせ中学の頃まで「江戸川乱歩」も知らなかったのだ。問われた姉にしても乱歩と本家ランポーを、一緒くたにして教えちゃう始末。 それが乱歩賞作家になるんだもんね。。。。才能って 隠れてるんだねぇ。。。。
ところで、この本途中で途切れているような終わり方をしている。そのことは巻末での対談のGUESTでもある 金子修介氏も指摘済み。
それに対して東野氏、「子供のころの話→少年のころ→青年時代→会社員時代・・ときて、 『つぎは我々だ・・』と、恐れている友達が、エッセイをここで終わらせた事を知り『アイツは仁義を 守る奴だ』と、安堵しているため これ以上は書けない・・」と言うようなことを言われている。 でも、我々はその続きこそ読みたいのです!!先生!ぜひ!!